検索結果書誌詳細

蔵書情報

この資料の蔵書に関する統計情報です。現在の所蔵数 在庫数 予約数などを確認できます。

所蔵数 2 在庫数 2 予約数 0

書誌情報サマリ

書名

磐田市史 史料編3      近現代 

著者名 磐田市史編さん委員会/編集
著者名ヨミ イワタ シシ ヘンサン イインカイ
出版者 磐田市
出版年月 1994


書誌詳細

この資料の書誌詳細情報です。

タイトル番号 1009410032519
書誌種別 地域資料
書名 磐田市史 史料編3      近現代 
著者名 磐田市史編さん委員会/編集
書名ヨミ イワタ シシ   キン ゲンダイ
著者名ヨミ イワタ シシ ヘンサン イインカイ
各巻書名 近現代
出版者 磐田市
出版地 [磐田]
出版年月 1994
ページ数 1080p 図版16p
大きさ 22cm
価格 頒価不明
言語区分 日本語
分類 S234
件名 磐田市-歴史
目次 口絵、序、凡例、第一章、政治・行政、第一節、維新変革期の政治と行政、第二節、明治政府のもとでの地方自治、第三節、大日本帝国の成立から「明治」の終焉、第四節、大正デモクラシー期の自治改良、第五節、「昭和」のはじまりと不況からの更正、第六節、日中戦争と戦時体制の歩み、第七節、磐田町の成立、第八節、紀元二千六百年奉祝と大政翼賛、第九節、太平洋戦争と磐田町の決戦体制、第十節、磐田市の発足、第二章、産業・経済、明治、大正、昭和、第三章、社会、第一節、維新の変革と人びとの暮らし、第二節、社会生活の進展と村での暮らし、第三節、日清戦争・日露戦争をはさんで、第四節、大正デモクラシー期の農村と民力の涵養、第五節、経済恐慌の嵐と自力更生、第六節、戦時体制のなかで、第七節、東南海地震と国民義勇隊の結成、第四章、教育、第一節、明治前期の小学校設立、第二節、明治前期の教育会、第三節、教育勅語と御真影、第四節、学事統計史料、第五節、見付高等学校、第六節、明治後期の中等教育、第七節、俳句の流行、第八節、教員養成、第九節、「御厨」の栞、第十節、大正期の小学校、第十一節、大正期の青年教育、第十二節、女子教育、第十三節、戦前の小学校衛生教育、第十四節、戦前の中等学校教育、第十五節、見付国民学校空襲被害状況、第十六節、戦後復興期の中等学校教育、第十七節、専門学校教育と青年教育、解説、第一章、政治・行政、第二章、産業・経済、第三章、社会、第四章、教育、あとがき、史料目次、第一章、政治・行政目次、第一節、維新変革期の政治と行政、一、(慶応三年)、一月十日・二月、孝明天皇崩御を伝える中泉代官所の触書と普請・鳴物の停止、二、(慶応三年)、二月、穀類の他国への売渡の差留を申し渡した触書、三、(慶応三年)、五月二十六日・七月二十七日、中泉代官交代の廻状と着任の触書、四、(慶応四年)、二月二十一日、官軍東征に際し継立人足差出の触書、五、(慶応四年)、天朝の御料となっても支配はこれまでどおりという触書、六、(慶応四年)、五月、田安亀之助の徳川家名の相続と駿河国の拝領、七、(慶応四年)、八月、明治天皇即位の廻状、八、(慶応四年)、九月十日、明治天皇の東幸にあたり中泉役所の触書、九、(明治二年)、二月、年貢米の取立など郷村の支配の継続をはかった廻状、一〇、(明治二年)、赤心隊・報国隊の隊員の取扱をめぐる触書、一一、(明治二年)、救窮助廃之院を建て民心を治めようと寺院に呼びかけた前島来輔の告理氏諭、一二、(明治二年)、七月一日、元代官大竹の率いる地方役所、(政府系民政役所カ)、役人の退去を伝える廻状、一三、(明治二年)、十月四日、中泉郡政役所の事務取扱い、一四、(明治四年)、十月二十七日、戸籍法の布告と人別帳の廃止、一五、(明治四年)、十一月、府県制の施行による職制と職権とを規定した、「県治職制」、の写し、一六、(明治四年十二月)、二十二日、浜松県の事務取扱の開始、 一七、五年二月二十二日、中泉出張所の廃止、一八、六年二月、管内士族平民心得、第二節、明治政府のもとでの地方自治、一九、明治七年一月、山名郡岩井村の村費の明細書、二〇、七月二日、地方長官会議の開催にあたり、浜松県参事が人民の所見をもとめた布告、二一、(明治七年)、七月、豊田郡匂坂上村の正副区長の給料と諸費の覚、二二、十二月、豊田郡匂坂上村の村費の明細書、二三、(明治七年)、徴兵令施行にあたり、匂坂上村で戸主のため免役となった者の一覧、二四、九年五月二十三日、区長・戸長にあてその不品行な行跡を咎めた浜松県令の告諭、二五、十年四月四日、積石の代金として買上げられる米穀の時価買取を求める遠江国民会議場の請願、二六、十三年七月八日、静岡県令大迫貞清から学務委員に布達された、「学務委員職務心得」、二七、十四年七月十五日、静岡県本庁の各課の事務分掌の改正の達、二八、二十七日、県立町村立学校職員の名称・准官等・月給額の布達、二九、九月十八日、遠州有志同盟会の見付宿での集会、三〇、十月一日、沼間守一らの見付駅磐田座での政談演説会、三一、十五年四月二十七日、県令大迫貞清から布達された、「地方税徴収規則」、三二、十七年九月二十六日、豊田郡匂坂中村の村会で議決された明治十七年度村費予算、三三、十七年、豊田郡寺谷村組連合会議に提出された明治十七年度協議費予算、第三節、大日本帝国の成立から、「明治」、の終焉、三四、明治二十二年二月十一日、大日本帝国憲法の発布、三五、三月八日、町村区域更定にともなう豊田郡岩田村戸長から三川村戸長への引継書目と演説書、三六、二十三年六月三十日、第一回衆議院議員選挙での候補者の推戴、三七、二十七年八月三十一日、御厨村から分離して南御厨村が設置されるにあたり、御厨村村長の演説書、三八、二十八年、第四回衆議院議員選挙での静岡県第五区の候補者の得票数、三九、二十九年、豊田郡岩田村の明治二十九年度の歳入・歳出予算案、四〇、(明治二十九年)、進歩党結成にともない、党の組織づくりと活動のため、各村の党員に常議員の選出を依頼、四一、三十五年七月十二日、第七回衆議院議員選挙での政友会の政談演説会の案内、ならびに警察署への届、四二、三十六年九月二十四日、県郡会議員の選挙にあたっての選挙人の心得、四三、三十七年十二月、日露戦争の際、年末年始、不用不急の発翰廃止をもとめる陸軍省通達の通知、四四、三十九年十二月二十五日、日露戦争行賞賜金につき拝受者への磐田郡長の訓令と岩田村長の通達、四五、四十五年七月二十二日、明治天皇の不例につき磐田郡役所から町村長宛の通牒、四六、二十七日、明治天皇の病気平癒祈願の言上、四七、三十日、明治天皇の死去にあたり、磐田郡役所・見付町役場の通牒・公示、四八、三十日、「聖上陛下崩御」、を報ずる浜松新聞文号外、四九、大正元年七月三十一日、「大正」、改元と歌舞音曲の停止、 五〇、八月二十六日・二十八日、大行天皇追悼の法会、五一、九月十日、中泉駅での明治天皇霊柩の送迎につき見付町長から各字長への通知、五二、九月十日、中泉駅入場御霊柩奉送迎者配列図、五三、二十日、矢奈比売神社大祭にあたり大喪中についての注意の追加、第四節、大正デモクラシー期の自治改良、五四、大正四年・六年、磐田郡における立憲政友会中遠事務所の活動、五五、五年八月、御厨村での大正天皇即位の奉祝行事と記念事業、五六、八月、大正五年度御厨村歳入歳出予算、五七、九年一月二十八日、見付町会会議規則、五八、十一年四月、郡制廃止による町村連合自治改良会への移行など、磐田郡自治改良会の協定事項、五九、十月、磐田郡町村連合自治会規程、六〇、十一年、磐田郡自治改良会の物価調節に関する対策、六一、十一年、磐田郡各町村の町村費負担・町村税課税率・吏員給料・自治会・婦人会などの調査、六二、(大正十三年)、磐田郡町村連合自治が、「国民精神作興ニ関スル詔書」、の奉体をはかり配付した要旨、六三、十五年、磐田郡町村長会の会則およびその他の規程・細則、六四、十二月十四日、矢奈比売神社での大正天皇の病気平癒祈願、六五、二十五日、大正天皇の死去につき見付町長の公告、六六、昭和元年十二月二十五日、年号の改正、六七、二十六日、大正天皇死去に対する弔意についての見付町長の通牒、第五節、「昭和」、のはじまりと不況からの更生、六八、昭和三年十月二十三日、昭和天皇の即位に際し、見付町での行事の協議と示達、六九、三十日、即位礼当日の万歳唱和の時刻の照会、七〇、十一月五日、昭和天皇、即位のための京都下向に際し、中泉駅通過のため、国旗掲揚の通達、七一、四年二月十六日、大礼奉祝の状況の調査について静岡県からの照会、(静岡県公報)、七二、三月、昭和天皇の即位のための京都下向に際し、中泉駅通過のため、国旗掲揚の通達、七一、四年二月十六日、大礼奉祝の状況の調査について静岡県からの照会、(静岡県公報)、七二、三月、昭和天皇の即位の奉祝行事について見付町の回答、七三、五年二月一日、静岡県第三区衆議院議員候補太田正孝への政友会総裁犬養毅の推薦文、七四、七年九月、自力更生-県営穀物検査による米の品位の向上、七五、十二月、米穀委員会の米価の決定、七六、八年十一月、米穀統制法実施をむかえ、産米の改良の呼びかけ、七七、十一年七月三十日、市町村振興委員会の設置についての静岡県の通牒、七八、(昭和十一年八月十七日)、向笠村振興委員会の規定と委員の構成、第六節、日中戦争と戦時体制の歩み、七九、昭和十二年七月、北支において発生した事変につき静岡県知事の県民への諭告、八〇、十三日、事変発生にあたっての全国町村会の声明、八一、二十日、官公署にラジオ受信設備の設置、八二、二十一日、事変発生にあたっての静岡県町村長会の声明、八三、九月二十四日、次年度予算編成にあたり、戦時体制に対応を求めた県総務部長の通牒、 八四、十月七日、防空費・町村葬費を加えた追加・更正予算の作成の指示、八五、十月、国民精神総動員を呼びかけた近衛文麿首相の訓話と内閣情報部の解説、八六、十月十一日、国民精神総動員強調週間の実施、八七、十月、応召された労働者・農民の労働力を補うため、国民精神総動員運動の一環として勤労奉仕がはじまる、八八、十月十六日、国民精神総動員のポスターと標語の募集、八九、十二年、見付町の戦死者町葬の内規と方法、九〇、十二月七日、非常時財政経済への協力の趣旨の徹底、九一、二十三日、銃後美談の報告の照会、九二、十三年二月、国体観念明徴をうたった国民精神総動員第二回強調週間、九三、三月一日、国民精神総動員を家庭に浸透させようとした家庭報国三綱領と実践十三要目、九四、十四年九月、戦時下での県会議員選挙にあたり、静岡県警察部からの通達、九五、九月、鎌田小学校での選挙粛正講話会の案内、第七節、磐田町の成立、九六、昭和十五年六月十九日、見付町長磯部喜作の退任にあたっての演説書と引継書、九七、九月二十八日、西貝村長磯部惣太郎の町村合併についての稟請、九八、三十日、町村合併について静岡県知事の中泉町会への諮問、九九、十月二十四日、静岡県総務部長による磐田町役場の位置の指定、一〇〇、三十一日、中泉町長から磐田町長臨時代理への帳簿書類の引継、一〇一、十一月一日、磐田町役場の位置の決定、一〇一、一日、各区長への大字設置の通知、一〇三、十一月、磐田町役場建築資金蓄積条例、第八節、紀元二千六百年奉祝と大政翼賛、一〇四、昭和十五年十一月五日、紀元二千六百年・勅語下賜五十年記念式典と自治振興会の開催、一〇五、七日、紀元二千六百年奉祝式と式次第、一〇六、十四日、磐田町役場の中泉・天竜・西貝の各出張所の看板作成についての通知、一〇七、二十日、大政翼賛会訓練部下部組織指導者訓練講習会の案内と実施要綱、一〇八、十二月十日、新年を迎え、臣道実践の本義に則り戦時生活の確立を、一〇九、十一日、磐田町町会議員選挙での当選者、一一〇、二十日、磐田町の町会で議員が大政翼賛運動への寄与を誓約、一一一、二十日、磐田町町会の招集と議事案件、一一二、二十日、収入役事務引継完了の報告、一一三、二十一日、町長・助役・収入役の県知事宛の就職報告、一一四、二十七日、大政翼賛運動第一の新年の拝賀式と町長の式辞、一一五、十六年一月十五日、磐田町職員の人数ならびに有給職員の給料、一一六、二月八日、紀元節国民奉祝の実施、一一七、四月十二日、大政翼賛会磐田町支部協力会会議の報告、一一八、五月二十四日、「枢軸ノ勝利」、大講演会、一一九、二十六日、「防諜読本」、の配付、第九節、大平洋戦争と磐田町の決戦体制、一二〇、昭和十六年十二月八日、大東亜戦争の勃発にあたり県知事の諭告、一二一、九日、必勝県民大会の開催、一二二、十日、防空下令の際の町役場当直員の採るべき措置、 一二三、十一日、陸軍大臣・海軍大臣へ感謝の電報、一二四、十一日、必勝町民大会の開催と宣言、一二五、十三日、皇軍全捷・武運長久祈願会と大講演会の開催、一二六、十二月、昭和十七年元旦の奉祝と式次第、一二七、十七年四月三十日、大東亜戦争完遂市町村会議員翼賛選挙貫徹運動、一二八、六月、町村決戦態勢確立実行方策要綱、一二九、七月二十日、町村決戦態勢確立運動への尽力を要請、(一)、一三〇、二十二日、町村決戦態勢確立運動への尽力を要請、(二)、一三一、八月二十六日、健兵健民対策の根幹としての国民健康保険の普及の促進、一三二、九月二日、町村自治大戦時態勢化の内面指導、一三三、十九年六月二日、戦時災害による町税の減免ならびに納税延期を計らう条例の制定、一三四、十月一日、戦時体制の急迫にともなう町内会・部落会の整備をうながす規則と施行細則、一三五、二十年六月二十六日、戦局の深刻化にともなう磐田町の非常対策の体制づくりと事務規程、一三六、八月二十一日、敗戦をむかえ静岡県知事の県民への訓令、第十節、磐田市の発足、一三七、昭和二十三年一月二十三日、市制施行をめぐり西貝小学校で行われた懇談会の記録、一三八、二月十一日、市制施行の促進をはかる懇談会の開催、一三九、十二日、市制の実現をめざし、町長・町会議長から総代・委員への説明、一四〇、二十三年、市制へふみ出そうとする磐田町の概要、一四一、二月二十日、静岡県知事に提出された磐田市設置のための内申書、一四二、二十七日、磐田町を磐田市とする件を審議する町会臨時会の招集、一四三、四月一日、磐田市開庁式での市長赤松照彦のあいさつ、一四四、一日、市会議長水野政治のあいさつ、一四五、一日、磐田市開庁式での市制施行までの経過報告、一四六、一日、静岡県町村会長石垣清一郎の祝辞、第二章、産業・経済目次、一四七、明治二年一月、磐田・山名・豊田郡内に派遣された飛御代金帳面、一四八、三年四月五日、中泉郡政役所から出された茶の制法に関する触書、一四九、二十五日、中泉郡政役所から出された産物生育のための肥料代貸下げについての触書、一五〇、(明治三年)、五月二十八日、中泉にあった秤座役所から提出されたにせ秤役人に対する注意触書、一五一、(明治三年八月)、中泉郡政役所から出された茶の実書上に関する触書、一五二、五年七月、文久二年から一〇カ年間における物産取調帳、一五三、十一月、匂坂中村より中善地村にかけての、匂坂上村における渡船請書、一五四、七・九・十一年、匂坂中村の物産についての書上、一五五、九年十一月十三日、海寿丸の竹蔵が荷主より売買を依頼された時の勘定帳、一五六、九年~四十一年、鎌田村の安西家が入会していた糶講の月編成書・講事一覧、一五七、十一年八月十六日、明治十二年二月に設立された見付第百二十四国立銀行の創立願書、一五八、十二月、植物殺虫薬販売のための県への届け出、 一五九、十二年~二十五年、報養社、(報徳社)、の構成員・規則の書上帳、一六〇、五月、報徳運動家、伊藤七郎平が述べた籾種・苗太に関する注意事項の書上、一六一、十三年一月、鎌田村の安西家における農事暦、一六二、七月、見付第百二十四国立銀行の営業報告書、一六三、十四年、岩井村における家別・職業別の税金徴収簿、一六四、十六年、明治十五年十二月に匂坂新村に設立された匂坂銀行の営業報告、一六五、十七年一月二日、明治十五年三月に銀行類似会社として発足した鎌田積隆社の規則及び構成員の書上、一六六、三月二十日、見付茶業組合の申合規則、一六七、四月二十七日、岩井村における生茶の焙炉・生葉売買商人・茶畑反別の書上、一六八、四月、見付茶業組合の横浜廻送店・売込店、一六九、十八年九月、報徳遠譲社内匂坂社のこの時期における対応を規役所として纏めたもの、一七〇、十一月十一日、明治十八年十一月に設立された報養組報徳社の基本規則、一七一、二十年一月二十四日、磐田郡と豊田郡の報徳社一一社の連合会規則、一七二、六月、静岡県知事宛てに出された上岡田村の煙草作付に関する提出書類の控え、一七三、二十二年三月二十二日、明治二十二年四月に認可された豊田郡南部・山名郡・磐田郡の茶業組合規約、一七四、二十六年十一月、中泉町遠江委托株式会社内にあっ太中遠信用組合の基本規則、一七五、二十七年四月、豊田・山名・磐田郡内の蚕糸業組合の基本規約、一七六、二十七年、豊田・山名・磐田郡内の村からなる中遠藍改良組合の基本規約、一七七、二十七年、明治二十七年度における下岡田区の藍・煙草・面の作付面積・収穫量の書上、一七八、二十八年十一月十五日、県内の自由党系新聞、、「静岡新報」、の購読人募集広告、一七九、二十九年十二月十日、山名郡於保村における畦畔改良事業に係る願書綴、一八〇、(明治二十九年)、見付町で行われた臨時事業に対する援助を目的とする講の会則、一八一、三十年三月二十五日、磐田郡蚕糸業組合が省光寺に設立した養蚕伝習所の基本規則、一八二、五月一日、中泉町に設立された中泉貯蓄銀行の勧誘書、一八三、八月二十三日、中泉町に設立された貸会場屋中泉座の前身照日座の設立規約、一八四、三十一年十月二六日、磐田郡米穀改良組合の基本規約、一八五、三十二年七月四日、匂坂上区における農会設立に係る基本規定、一八六、三十二年、明治三十一年四月に認可された磐田郡南部茶業組合の規約、一八七、(明治三二年)、農業生産物や肥料の売買を中心とした中遠商事株式会社の第一回営業報告書、一八八、三十四年二月十五日、向笠村向笠新屋における耕地整理に対する基本規約、一八九、七月十二日、明治三十三年に見付町に設立された遠江共同銀行の第三回営業報告書、一九〇、三十五年四月十五日、明治三十三年一月以降の岩田村農会における重要事項と歳入出簿、 一九一、三十五年、向笠村向笠新屋における道路・悪水路改良事業耕地整理に対する誓約書、一九二、三十六年一月一日、見付報徳信用組合の定款、一九三、四月、向笠村岩井の製茶販売の契約書、一九四、三十七年、明治三十年に設立された中泉貯蓄銀行の第一五期営業報告書、一九五、四十二年一月九日、三川村中心道路工事に伴う小藪川堤防修繕に関する契約書、一九六、大正二年九月、大正三年から発足した磐田郡地主会の基本会則、一九七、三年六月三十日、明治十五年七月に長野村小島にできた小島銀行の第六三期営業報告書、一九八、九年三月十三日、報養報徳社が会津から木炭を買い入れた時の明細書、一九九、十年四月七日、大正十四年六月に開業した光明電気鉄道の敷設願、二〇〇、十三年、匂坂上村の渥美家が行った春子、(養蚕)、に関する日誌、二〇一、(大正十四年)、大正十年四月に提出された光明電気鉄道株式会社定款、二〇二、十五年五月三十一日、大正十四年から営業開始した光明電気鉄道株式会社の第二回営業報告書、二〇三、昭和十年九月二十三日、昭和十年初めに起こった光明電気鉄道内の争議報告書、二〇四、十月十五日、昭和十四年に廃業した光明電気鉄道の一部営業廃止に係る申請書の副書、二〇五、十三年九月八日、三ヶ野・岩井両区における桶ヶ谷排水に係る和解書、二〇六、十九年一月二十五日、向笠村耕地改良事業に係る地区本部の人員機構書、二〇七、二十一年、磐田町事務報告書に掲載されている同町の空襲被害状況、二〇八、二十四年、磐田市制が敷かれた昭和二十三年当時の同市の農業生産状況、第三章、社会目次、第一節、維新の変革と人びとの暮らし、二〇九、(慶応三年)、二月七日、村民の心得、(一)、二一〇、(慶応三年)、八月二十九日、伊勢神宮・秋葉神社・豊川稲荷の守札が降る、二一一、(慶応四年)、一月七日、村民の心得、(二)、二一二、(明治二年)、十一月七日、肉食のすすめ、二一三、二年、小児への種痘の徹底を訴えた、中泉東親町の種痘所の小川清斎村々への廻状、二一四、三年三月四日、中泉に病院開設にあたり、村々の医業に従事する者の調査をもとめた廻状、二一五、(明治三年)、九月、平民に苗字が差許される、二一六、(明治四年)、一月、郵便業務の開始、二一七、四年三月、中野戸村での切支丹宗門禁制の布告、二一八、(明治四年)、七月、新生児の神社への参詣と登録、氏子の死亡や移動を戸長の管理のもとにおく通達、二一九、(明治四年)、十二月、新紙幣の発行、二二〇、(明治五年)、二月、戸籍編成のため、百日間の戸籍出入の差止、二二一、(明治五年)、三月、まびきの禁止、二二二、(明治五年)、七月五日、売女と紛らわしい渡世の禁止、二二三、(明治五年)、七月十四日、自葬祭りの禁止、二二四、(明治五年)、七月、村々で物真似に興じたり・物真似・相撲等の興行を禁止、二二五、(明治五年)、八月十九日、地券発行の趣旨、二二六、(明治五年)、 九月、地券規則村触案、二二七、(明治五年)、十月二十五日、屠殺・獣に区の売買に携わる物への布達、二二八、(明治五年)、十月、入札による戸長・副長の選出、二二九、五年十一月九月、太陽暦採用の詔書、二三〇、(明治五年)、十一月十五日、太陽暦の採用と神武紀元の制定を伝える太政官の通達、二三一、六年二月、娼妓と貸座敷業者の心得、二三二、二月、男女の混浴の禁止、二三三、二月、抱置飯売女の解放、二三四、六月十五日、石高制が廃止され、地券に基づき諸公費の賦課を行うという大蔵省通達、二三五、二十七日、年貢の貢納にあたり、これまで定免の分の据置を伝える浜松県の通達、二三六、七月七日、裸体や股脛の露出を禁止、二三七、十二日、堕胎薬の売買の禁止、二三八、七年二月八日、神葬祭と壇那寺の変更届の書式、二三九、十月三日、男女が混じり合っての舞台興行の禁止、二四〇、十三日、賭博の禁止、二四一、九年四月十一日、売淫を行う婦女への教諭と罰則、二四二、十二年六月二十三日、戸長選挙の不正を咎め、教唆首謀の者の吟味を県令に求めた願書、第二節、社会生活の進展と村での暮らし、ニ四三、(明治五年)、二月二十日、宿駅での継立は陸運会社の鑑札が必要、二四四、(明治五年)、二月二十二日、人力車の営業は願い出て、許可が必要、二四五、五年九月二十二日、天長節の奉賀の徹底をもとめた通達、二四六、(明治六年一月)、徴兵令の布告、二四七、七月十五日、徴兵の対象となる人員の取調、二四八、七月二十八日、地租改正の布告と地租改正条例、二四九、十月、業者が連合して見付駅陸運元会社の設立を申請、二五〇、十二月二日、人民警保のために屯所に番人を置き、巡邏にあたらせる、二五一、七年九月、赤松則良が秣場を開墾した岩井村の農地への秣場税免除の願書、二五二、八年二月十五日、女子教育の振興と奨励、二五三、十二月二十一日、豊田郡匂坂上村の反別と収穫米麦の総量ならびに代金、二五四、九年五月三日、村方で公有地としてきた土地を調査し、証拠のないものは官有地とする通達、二五五、八月五日、見付に警察主帳所が設置され、事務取扱を開始、二五六、十年七月二十二日、伊勢の皇大神宮・大和の大峯山への参詣の旅行と戸長への届出書、二五七、十二年四月、戸長の職印が押された東京への旅行証、二五八、十三年八月二十七日、学務委員渥美茂平が静岡県令に宛てた匂坂学校の景況報告書、二五九、十四年月十月五日、見付の大火の記録、二六〇、十七年一月六日、佐野郡原川町から天竜川豊田橋への車道開削の知事宛願と翌年の知事聞届書、二六一、二月二十三日、匂坂学校の校舎建築の経費の支払い報告、二六二、三月一日、匂坂学校の下肥料汲取りの入札の案内、二六三、十八年~四十二年、雇人請状四通、第三節、日清戦争・日露戦争をはさんで、二六四、(明治二十八年)、二月二十三日、岩田村匂坂中の増参寺で開催された幻燈会の案内、 二六五、三月、岩田村匂坂上の岩田中央青年会の規則、二六六、二十八年九月三十日、静岡県下の銀行・会社と役員、二六七、(明治二十八年)、豊田郡の町長・村長を力士に見立て、静岡新報記者が作成した番付、二六八、二十九年十月、新聞各紙の月極定価の値上げを知らせる、新聞売捌所の読者への広告、二六九、十一月、定期馬車の二俣発車時刻を、汽車便に合わせて改めた中泉中遠馬車会社の案内、二七〇、三十一年六月二十四日、夏季の大掃除にあたり、立会を衛生委員に依頼、二七一、三十二年五月二十九日、見付町の町会で、中泉町との合同避病院の建設討議の通知、二七二、十月、中遠の報徳運動の中心人物、伊藤七郎平の遺書、二七三、三十三年三月二十三日、見付町・中泉町伝染病院の明治三十三年度歳入出予算、二七四、十一月二十日、磐田・小笠・周智の三郡の農民が遠江小作同盟会の結成を準備、二七五、二十日、見付町での廃娼演説会、二七六、二十三日、遠江小作同盟会の結成、二七七、三十日、磐田郡於保村の小作人が四割減納を要求し集会を開く、二七八、三十四年二月十八日、廃業をくわだてた袋井町の娼妓が見付町に一泊、二七九、三十五年八月、合名会社山乃内銀行の営業内容、二八〇、三十六年一月二十日、岩田村での臨時戸数割県税、二八一、(明治三十六年)、一月二十八日、岩田村での埋葬と火葬の管理者の嘱託、二八二、(明治三十六年)、十月二十四日、第三師団の機動演習にあたり、岩田村役場から村民に通知された注意事項、二八三、十月二十七日、第三師団の機動演習にあたり、岩田村村長から斡旋方の依頼、二八四、(明治三十六年)、中遠米穀改良組合が農家に配付した、米穀調整・米穀調査の基準、二八五、三十七年一月十七日、見付町の牧師、「平民新聞」、を読んで社会主義にひかれる、二八六、二月一日、日露戦争に際して、軍事債券・国庫債券への応募と申込の指示、二八七、一日、出征の兵士たちを犒う-日露開戦時の安西濤一の日記、二八八、十五日、日露戦争の勃発にあたり、会の活動方針を定めた磐田郡振武会の決議、二八九、二十二日、向笠村振武会による出征軍人とその家族の保護のための規約、二九〇、十一月五日、社会主義の宣伝にあたる行商伝道の一行が中泉町を訪れる、二九一、三十七年、向笠村勤倹貯畜組合の準則、二九二、(明治三十七年)、従軍した岩田村の出征軍人の氏名と所属部隊、二九三、三十八年一月十八日、出征中の歩兵第三十四連隊長川上才次郎から知事への近況報告、二九四、三十八年十月、寺谷渡船場の渡船の照会、二九五、四十二年五月十四日、電話による長距離通話の許可、二九六、四十三年三月二十三日、愛国婦人会第九回総会の案内、二九七、五月十九日、日本赤十字社第十八回通常総会の案内、第四節、大正デモクラシー期の農村と民力の涵養、二九八、大正元年~昭和五年、御厨村鎌田の地主会の記録、 二九九、大正三年二月八日、静岡県立農学校の武道大会の番組表、三〇〇、三月十八日、大正天皇の即位にちなむ向笠新屋区の紀念事業の規約と内容、三〇一、四月一日、磐田郡地主会の会則、三〇二、十二月一日、御厨村鎌田の地主会規約の草案、三〇三、一日、御厨村鎌田地主会の事業要項、三〇四、(大正三年)、御厨村青年会の会則、三〇五、五年、御厨村振武会・農会・在郷軍事会・青年会の歳入出予算、三〇六、七年五月、赤松則良の咸臨丸による大平洋横断の回顧談、三〇七、八月十五日、見付町で起こった米騒動、三〇八、十一月二十二日、第一次世界大戦の休戦条約成立祝賀提燈行列、三〇九、(大正七年)、磐田競馬倶楽部理事会開催の案内と取扱金、三一〇、(大正七年)、磐田競馬倶楽部の定款、三一一、八年九月、静岡県から県民へ、「節米」、の訴え、三一二、九年九月四日、岩田村民力涵養実行会の規約、三一三、十四年六月五日、岩田村読書倶楽部の規程、三一四、十五年十一月、中泉町中泉座で廃兵大会の開催、第五節、経済恐慌の嵐と自力更生、三一五、昭和三年三月、向笠新屋救済会の救助規定、三一六、五年、向笠村結婚改善案、三一七、六年十一月、満州で戦う鈴木一太郎君の便りとその死、三一八、七年一月四日、一家から三名の兵士を出して、表彰をうけた御厨村の七家族、三一九、三月、郵便局の活用を希望す、三二〇、七月一日、見付郵便局の電話番号簿、三二一、(昭和七年七月)、不況にあえぐ磐田郡の農村の実態、三二二、九月、非常時教化運動実施、三二三、十一月二十六日、産米の改良、三二四、十一月、満蒙からの便り、秦名寛治君の奮戦、三二五、八年八月、御厨村経済更生委員会の設立と規定、三二六、(昭和八年十二月六日)、更生運動の推進をはかった向笠村向笠新屋の新興生活館の奨励要項、三二七、十年七月二日、向笠村での農家飯米需給状況の静岡県学務部長への報告、三二八、九月、婦人の心得、三二九、十一月、鎌田新興生活館の落成を祝す、三三〇、十一月、尊農七訓、第六節、戦時体制のなかで、三三一、昭和十二年七月二十九日、応召者の送別・神社での祈願などについての向笠村振興委員会の申合わせ、三三二、八月二六日、見付町軍人後援会会則ならびに事業細則、三三三、十二月十四日、国民精神総動員に関して静岡県総務部長・学務部長の通牒、三三四、(昭和十二年十二月)、戦死者の町葬にあたり、見付町役場からの執行方法の通達、三三五、(昭和十四年)、十一月十二日~十五日、女子青年団員の中国での前線慰問、三三六、(昭和十五年)、新体制のもとで、町内や部落の組織が上意下達の戦時体制に組込まれる、三三七、十六年五月十日、米に代えて食用甘藷の配給が始まる、三三八、七年十一日、配給物品価格表、三三九、十七年二月一日、衣料品点数表、三四〇、十月十日、磐田郡の招魂祭を神式・仏式交互にという寺院側の町村会長への陳情、 三四一、十八年五月二日、中部第百二十九部隊の下岡田部落会への感謝状、三四二、十二月十四日、購買木炭の配給方法について長野村の陳情、三四三、十八年、慰問袋の募集要項と割当ならびに発送計画、三四四、十九年二月・三月、磐田町勤労報国隊編成要項と割当ならびに発送計画、三四三、十八年、慰問袋の募集要項と割当ならびに発送計画、三四四、十九年二月・三月、三四四、十九年二月・三月、磐田町勤労報国隊編成要項と結成式、三四五、(昭和十九年)、向笠村の耕地改良事業本部の規定、三四六、十九年、疎開してくる人びとへの、静岡銀行の疎開預金の呼びかけ、第七節、東南海地震と国民義勇隊の結成、三四七、昭和十九年十二月八日、東南海地震の報道、三四八、十一日、東南海地震罹災者への清酒の特配、三四九、十三日、東南海地震罹災者への蠟燭の特配、三五〇、十四日、非常対策本部の設置と救援隊の受入れ、三五一、十七日、復旧の指示と打合わせ、三五二、十九日、牛車隊の緊急動員、三五三、二十一日、応急対策に動員された者への米穀の特配、三五四、十二月、東南海地震にあい、静岡県から県民への呼びかけ、三五五、(昭和十九年十二月)、震災救援工作隊の運用についての打合わせ、三五六、二十年一月十三日、工作挺身隊の継続奉仕の申請、三五七、二十九日、戦時災害復旧住宅の建築申請、三五八、(昭和二十年一月)、国民生活最低限の住宅基準、三五九、三月二十五日、本土決戦に備え、国民義勇隊を結成、三六〇、六月四日、国民義勇隊の結成状況-静岡県、三六一、七日、国民義勇隊静岡県本部の副本部長の発令、第四章、教育、第一節、明治前期の小学校設立、三六二、明治二年六月、西願寺において仮小学校を開莚するにあたって出された中泉奉行所からの通達、三六三、六年四月、新教員を迎えるにあたって役所へ提出された向笠村戸長連名の村学校御届書、三六四、十三年三月九日、困窮した向笠学校の概況、三六五、十四年、個人の力で設立された坊中学校の予算議案、三六六、十六年~十九年、各年次ごとに精算された鎌田学校の実費精算届、三六七、十六年十月、教育令改正にに伴い村立匂坂学校から静岡県令に提出された設置内容、第二節、明治前期前期の教育会、三六八、(明治十四年)、小学に関する百般の得失・生徒の進歩等を審議する郁文会の概則、三六九、十八年一月、磐田・豊田・山名三郡連合教育会規則・同細則付則、第三節、教育勅語と御真影、三七〇、明治二十四年一月八日、教育勅語が下賜されたときの見付尋常高等小学校拝受式の様子、三七一、二十五年十月二十四日、見付尋常小学校における両陛下の御真影拝戴式の様子、第四節、学事統計資料、三七二、明治三十一年十二月、明治三十一年の磐田郡学事統計一覧表、三七三、三十六年九月、明治三十五年度磐田郡学事統計表、第五節、見付高等小学校、三七四、明治三十三年、見付高等小学校の入学にかかわる諸要項、 三七五、四十年三月、見付高等小学校入学生募集広告、三七六、四十三年四月十八日、見付尋常高等小学校春季運動会の保護者あて通知、三七七、七月三十日、見付尋常高等小学校夏季休業中の心得、第六節、明治後期の中等教育、三七八、明治三十三年五月、見付町にあった当時の県立農学校の学校規模一覧、三七九、四十一年十月、中泉町に移転後の県立農学校の学校規模一覧、三八〇、四十二年、実践高等女学校を二俣に誘致する陳情書、三八一、四十三年、明治四十二年八月に文部省から設立を許可されたときに出された郡立実践高等女学校の学則、三八二、四十四年頃、郡立高等女学校の経営方針、第七節、俳句の流行、三八三、明治二十九年九月、見付矢奈比売神社大奉燈にあたって作られた見付月並・第三一号俳句集、三八四、三十六年八月、第一〇回見付月並の一頁、三八五、後期、大藤村半僧坊祭典にあたって出された俳句の募集広告、三八六、後期、岩田村寺谷の殖産館玄関掛額にあたって出された俳句の募集広告、第八節、教員養成、三八七、明治三十九年、尋常小学校の准教員養成のために出された中遠教育会の教員講習会規則、三八八、三十九年、准教員養成のための夏季講習会要項、三八九、(大正三年三月)、見付町女子小学校、(現旧見付学校)、に設けられた准教員養成所の規程、三九〇、五年九月十七日、大正五年に改正された磐田郡教育会の会則、三九一、十年、大正十年に開設された尋常小学校准教員養成所の学則、三九二、明治四十一年~昭和十七年、年次別に表された准教員養成所生徒数の出身地別一覧、第九節、「御厨の栞」、三九三、大正六年八月、第八号の巻頭言、「負けじ魂」、三九四、八月、愛国と村内土地移出について述べた第八号の、「霹靂鞭」、三九五、八月、「村是会」、の第六回総会記録、三九六、大正五年~六年、教育統計と青年の朝間補習学校記事が掲載されている第八号の、「学校記事」、三九七、大正六年八月、青年教育が重視された第八号の、「入営者準備教育」、三九八、八月、村内で軍隊の演習が行われたときの様子を述べた第八号の、「軍隊歓迎」、三九九、八月、立太子礼について述べた第八号の、「立太子礼と御厨村」、第十節、大正期の小学校、四〇〇、大正九年十一月、見付尋常高等小学校増築落成十周年記念祝賀運動会の次第、四〇一、(大正十年四月五日)、見付尋常高等小学校から父兄にあてた入学に際しての注意事項、四〇二、(大正十四年・十五年)、岩田小学校後援会会則、(改制)、第十一節、大正期の青年教育、四〇三、大正六年、第一回磐田郡教育会及び磐田郡連合青年会連合運動会規定、四〇四、十一年、磐田郡下図書館に関する調べ、第十二節、女子教育、四〇五、大正十二年、大正十二年度高等女学校入学に関する調べ、四〇六、十二月、中泉農学校の女子教育の開始について、四〇七、昭和二年一月、見付町に高等裁縫女学校を設置するにあたって出された理由書と学則、 四〇八、十二年三月二十五日、見付町立高等裁縫女子青年学校の出身地別に調べた第一回から第一三回までの卒業生一覧、第十三節、戦前の小学校衛生教育、四〇九、昭和九年九月、中泉尋常高等小学校の学校衛生施設概要、四一〇、前期、中泉尋常高等小学校の施設経営一覧、四一一、前期、中泉尋常高等小学校の沿革誌よりみた衛生教育、四一二、十一年七月、見付尋常高等小学校における学校給食の実際、第十四節、戦前の中等学校教育、四一三、昭和六年、見付中学校の校友会購買部開設趣意、四一四、九年七月、見付中学校の休暇中における心得及び注意事項、四一五、十月、見付中学校の作業科実施情況、四一六、十五年八月、見付中学校生徒の教養に資すべき読物について、四一七、十九年五月~八月、中泉農学校の北海道援農隊、(斜里郡旧小清水村)、に参加した生徒の日記、第十五節、見付国民学校空襲被害状況、四一八、昭和二十年五月二十日、見付国民学校の空襲に依る被害状況、第十六節、戦後複興期の中等学校教育、四一九、昭和二十一年十二月、県立見付高等女学校生徒課の生徒生活補導案、四二〇、二十一年、県立見付高等女学校校友会、(縁会)、の組織活動状況報告、四二一、二十一年九月一日、磐田商業、工業、学校の、「本校の教育」、四二二、二十二年一月、磐田商業、工業、学校校友会、(火群会)、の経営案、四二三、二十二年、県立見付中学校の教育概要、第十七節、専門学校教育と青年教育、四二四、昭和二十三年二月二十五日、波磨青年衆団の第一期青年長期講習会開催要項、四二五、八月、静岡農林専門学校大学昇格期紀成委員会の委員依頼と会則・設置計画案、



内容細目

この資料に対する操作

カートに入れる を押すと この資料を 予約する候補として予約カートに追加します。

いますぐ予約する を押すと 認証後この資料をすぐに予約します。

この資料に対する操作

電子書籍を読むを押すと 電子図書館に移動しこの資料の電子書籍を読むことができます。


資料情報

各蔵書資料に関する詳細情報です。

No. 資料番号 所蔵館 請求番号 配架場所 資料種別 帯出区分 状態 貸出
1 0003127461県立図書館S234/65/閲覧室地域資料貸可資料 在庫    
2 0003127479県立図書館S234/65/書庫5地域資料貸禁資料 在庫     ×

マイ本棚へ追加ログインするとマイ本棚を利用できます。


関連資料

この資料に関連する資料を 同じ著者 出版年 分類 件名 受賞などの切り口でご紹介します。

前のページへ

本文はここまでです。


ページの終わりです。