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書誌情報サマリ

書名

福田町史 資料編3      於保近世 

著者名 福田町史編さん委員会/編集
著者名ヨミ フクデ チョウシ ヘンサン イインカイ
出版者 福田町
出版年月 1997.3


書誌詳細

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タイトル番号 1009710019175
書誌種別 地域資料
書名 福田町史 資料編3      於保近世 
著者名 福田町史編さん委員会/編集
書名ヨミ フクデ チョウシ   オホ キンセイ
著者名ヨミ フクデ チョウシ ヘンサン イインカイ
各巻書名 於保近世
出版者 福田町
出版地 福田町
出版年月 1997.3
ページ数 890p
大きさ 22cm
価格 頒価不明
言語区分 日本語
分類 S234
目次 序、凡例、於保地区の概要、第一章、近世村落の成立、解説、第二章、於保の村々と領主、第一節、年貢の収納、第二節、御触と願届、解説、第三章、村と地域の自律性、第一節、村の運営、第二節、地域社会の形成、解説、第四章、諸産業の展開、第一節、農業と水産業、第二節、広野の開発、第三節、米の流通、解説、第五章、於保の村々と「水」、第一節、用悪水と堤の管理、第二節、水をめぐる争い、第三節、天竜川水防組合への参加、解説、第六章、家の経営と相続、第一節、農家の経営、第二節、農民と土地、第三節、家の相続、解説、第七章、寺社と信仰、解説、第八章、他地域との交流、解説、第九章、国際関係との接点、第一節、朝鮮通信使、第二節、異国船、解説、第十章、幕末・維新の動向、第一節、中村甚平の記録、第二節、大池開墾計画の阻止、解説、あとがき、附、近世村落略図、(於保地区)、年代表、度量衝表、福田町史編さん関係者名簿、福田町史於保地区資料目次、第一章、近世村落の成立、一、慶長九年、七月、遠州山名郡大原郷の検地帳、二、慶長十九年十一月、大原村の年貢割付状、三、慶長十九年十二月、大原村の年貢皆済状、四、年月不明、上下大原村高わけの覚、五、元禄十二年閏九月、浜部村六兵衛が塩新田村に引越し、塩焼渡世したい旨の願書、六、元禄十三年正月、清庵新田京五郎、浜部村に引越につき手形、七、寛政十二年七月、大原開発咄し、八、文化八年七月、清庵新田川島家の系図、九、天保四年正月、慶長九年検地にもとづく大原村堤外本田高の書付、一〇、年月不明、太郎馬新田開発庄屋太郎馬跡平七の庄屋役就任を求めた訴訟にかかる内済証文、第二章、於保の村々と領主、第一節、年貢の収納、一一、年月不明、公儀への金子弁済による下大原村長兵衛・長助質入れ地の高わけ目録、一二、貞享四年十二月、公儀への金子弁済による下大原村長兵衛・長助の田畑譲渡証文、一三、享保六年十一月、下大原村の年貢割付状写、一四、享保十九年十一月、下大原村の年貢割付状写、一五、寛政十一年四月、下大原村の定免願、一六、寛政十一年、下大原村の免状取米割付帳、一七、文政元年、下大原村の年貢小割帳、一八、文政六年十一月、横須賀領下大原村の年貢割付状写、一九、文政十年九月、下大原村の本田畑と新田畑水損引方帳、二〇、文政十一年十一月、下大原村の本田水損当引帳、二一、天保二年四月、下大原村の本田本畑年季限引帳、二二、天保二年、下大原村の年貢皆済状写、二三、天保三年十一月、下大原村の年貢小割帳、二四、天保五年三月、下大原村の定免継続の願書、二五、弘化四年十一月、宇兵衛新田と南田伊兵衛新田の年貢割付状写、二六、文久三年十月、南田村の去戌年貢皆済目録、二七、子年九月、年貢米清撰と俵拵えにつき触書、二八、申年八月、御籾引米請取りにつき浜部村六郎左衛門あて清庵新田権右衛門の手形、二九、年欠九月、麦の納入につき触書、 三〇、年欠十月、年貢米値段につき触書、三一、年欠十二月、御城米改めにつき触書、第二節、御触と願届、三二、年欠七月、生類憐みにかかる幕府の法令を支配村々に示す中泉役所触書、三三、年欠二月、他所の者への宿貸を禁じる中泉役所触書、三四、享保十年二月、往還通り当り丁場をうけもっていない旨の浜部村と一色村の一札、三五、延享三年正月、池田渡船取締りにつき見付宿問屋と助郷村々の請書、三六、延享四年七月、下大原村の明細帳、三七、寛延三年三月、下大原村の拝借金請取証文、三八、宝暦五~十三年、南田村・伊兵衛新田・宇兵衛新田の願書品々控帳、(1)、宝暦十三年正月、南田村と新田村の東海道掃除丁場の覚、(2)、宝暦五年八月、伊兵衛新田御林下枝打ち願書、(3)、宝暦五年八月、南田村の田畑質入値段の調書、(4)、宝暦五年五月、南田村国役金高の覚、(5)、宝暦七年七月、七蔵新田堤切所の締切普請につき南田村ほか浜辺村々の願書、(6)、宝暦七年十一月、南田村田方荒地等についての調書、(7)、宝暦七年十一月、南田村御料私領組合用水圦樋の伏替御入用金請取状、(8)、年月不明、寝間見取米の覚、(9)、宝暦八年二月、御入用による南田村圦樋伏替願、(10)、宝暦八年三月、南田村見取場開発につき覚、(11)、宝暦八年三月、南田村と一色村の年貢定免願、(12)、宝暦九年四月、南田村の苗代鳥防ぎのため鉄砲預かり一札、(13)、宝暦九年六月、伊兵衛新田と宇兵衛新田の検地帳につき覚、(14)、宝暦九年六月、南田村に起返場所がない旨の書付、(15)、宝暦九年七月、南田村国役金上納につき覚、(16)、宝暦九年八月、南田村悪水吐圦樋の伏替願、(17)、宝暦九年九月、神社御吟味につき南田村・一色村・清庵新田の書付、(18)、宝暦九年十月、樫にかかる御尋につき伊兵衛新田・宇兵衛新田の書付、(19)、宝暦十年正月、郡奉行順村にあたり伊兵衛新田・宇兵衛新田の荒地についての書付、(20)、宝暦十年正月、郡奉行順村にあたり宇兵衛新田新川掘り立てのため見分願、(21)、宝暦十年二月、伊兵衛新田・宇兵衛新田に人家がない旨の書付、(22)、宝暦十年二月、伊兵衛新田に荒地永引の場所がない旨の書付、(23)、宝暦十年二月、南田村用水圦樋御普請証拠書類についての書付、(24)、宝暦十年五月、伊兵衛新田・宇兵衛新田の田方植付仕舞いにつき往進、(25)、宝暦十年七月、南田村に起返場所がない旨の書付、(26)、宝暦十年八月、石代金上納につき触書、(27)、宝暦十年九月、南田村の国役金納目録、(28)、宝暦十年十月、伊兵衛新田御林下枝打ちにつき願、(29)、年月不明、検見につき覚、(30)、年月不明、南田村常光寺領と八幡領につき覚、三九、宝暦十一~十四年、南田村・伊兵衛新田・宇兵衛新田の願注進留帳、(1)、宝暦十一年三月、伊兵衛新田浪除御林に松苗植付につき注進、(2)、宝暦十一年四月、宇兵衛新田と伊兵衛新田の請免延長願、 (3)、宝暦十一年七月、南田村の国役金納目録、(4)、宝暦十一年八月、大風雨高波による汐入につき宇兵衛新田の注進と見分願、(5)、宝暦十一年四月、浜松藩役人あて定免請書の書式、(6)、宝暦十二年二月、伊兵衛新田御林に松苗植付につき往進、(7)、宝暦十二年二月、伊兵衛新田地付波除御林枝打ち願、(8)、宝暦十二年四月、伊兵衛新田汐除御林松葉円運上銭上納につき書付、(9)、宝暦十二年五月、田方植付仕舞いにつき伊兵衛新田・宇兵衛新田の届、(10)、宝暦十二年六月、南田村に起返地がない旨の書付、(11)、宝暦十二年九月、伊兵衛新田・宇兵衛新田にかかる朝鮮使節通行の際の御用につき書付、(12)、宝暦十二年九月、南田村国役掛銀高につき書付、(13)、宝暦十二年、日和不順のため検見目延願、(14)、宝暦十二年十月、伊兵衝新田の新発場所検地日延願、(15)、宝暦十三年二月、伊兵衛新田汐除御林に松苗植付につき注進、(16)、延享四年以降、朝鮮・琉球使節の通行にかかる記録、(17)、宝暦十三年五月、伊兵衛新田・宇兵衛新田の田方植付仕舞いにつき注進、(18)、享保六年三月、朝鮮通信使通行にかかる国役金についての公儀触書、(19)、宝暦十三年、松平老之助知行所の人別宗門御改帳雛形、(20)、宝暦十三年六月、大雨による田方冠水につき、南田村および伊兵衛新田・宇兵衛新田の注進、(21)、宝暦十三年六月、御米郷蔵預けにつき伊兵衛新田・宇兵衛新田の書付、(22)、宝暦十三年、朝鮮通信使にかかる諸記録、(23)、宝暦十三年八月、稲の品種につき南田村の調書、(24)、宝暦十三年八月、南田村の早稲方刈取り願、(25)、年月不明、道場人足についての覚、(26)、宝暦十三年十月、南田村の寺社領にかかる国役掛銀につき覚、(27)、宝暦十四年二月、伊兵衛新田汐除御林に松苗植付につき注進、(28)、宝暦十四年四月、朝鮮通信使にかかる諸文書、(29)、宝暦十四年五月、伊兵衛新田の定免三か年延長願、(30)、宝暦十二年、南田村年貢割付高の覚、(31)、宝暦十四年五月、田方植付仕舞いにつき伊兵衛新田・宇兵衛新田と南田村の書付、四〇、宝暦十四年~安永九年、南田村・伊兵衛新田・宇兵衛新田の諸願届の帳面、(1)、明和元年六月、寺谷割賦掛高につき南田村の書付、(2)、宝暦十四年五月、塩新田と伊兵衛新田の新発場所御改日延願、(3)、明和元年十二月、琉球使節につき南田村の調書、(4)、明和元年十一月、宇兵衛新田の朝鮮通信使御用免除願、(5)、明和二年正月、伊兵衛新田汐除御林に松苗植付につき注進、(6)、明和二年八月、高潮による汐入の被害の記録と伊兵衛新田の見分願、(7)、明和二年八月、南田村の早稲方刈取り願、(8)、明和二年八月、宇兵衛新田・伊兵衛新田の田畑付訳につき書付、(9)、明和二年八月、潮入の害を被った田方につき南田村の刈取り願、(10)、明和二年八月、宇兵衛新田の内、耕作できなくなった田畑反別の書付、 (11)、明和二年八月、伊兵衛新田田畑方定免の継続願、(12)、明和二年、大風雨潮入による被害の記録、(13)、明和二年十一月、伊兵衛新田地付御林伐木の願、(14)、明和三年六月、宇兵衛新田の定免額、(15)、明和三年六月、大雨による太田川満水につき南田村と一色村の注進、(16)、明和三年、伊兵衛新田圦樋村請につき扶持米受取の覚、(17)、明和三年五月、南田村田方植付仕舞いにつき注進、(18)、明和三年、伊兵衛新田圦樋村請につき松板代等受取の覚、(19)、明和三年六月、大風雨につき宇兵衛新田の注進、(20)、明和三年、水害のため伊兵衛新田御林内開発場見分の御免願、(21)、明和三年八月、早稲方刈取りにつき南田村の願、(22)、明和二年十一月、伊兵衛新田御林伐木につき書付、(23)、明和三年正月、伊兵衛新田と南田村の圦樋伏替願、(24)、明和三年八月、稲の品種についての南田村の書付、(25)、明和三年十一月、南田村国役掛り銀の覚、(26)、明和三年十二月、汐除堤外葭場の沿革につき南田村の上申、(27)、年月不明、南田村の圦樋伏替願、(28)、明和四年三月、伊兵衛新田御林に松苗植付につき注進、(29)、明和四年四月、南田村圦樋請負代金につき触書、(30)、明和四年十月、国役銀にかかる南田村の覚、(31)、明和四年十月、伊兵衛新田の畑に植え付けた小松の枝打ち願、(32)、明和四年、大雨違作による南田村の年貢米収納高の記録、(33)、明和五年二月、宇兵衛新田の種籾代拝借にかかる諸文書、(34)、明和五年三月、定免継続願、(35)、明和五年四月、南田村人口の覚、(36)、明和五年五月、伊兵衛新田と宇兵衛新田および南田村の田方植付仕舞いにつき注進、(37)、明和五年八月、南田村の早稲方刈取り願、(38)、明和五年七月、大風雨と高浪による汐入につき宇兵衛新田の注進、(39)、明和五年八月、南田村の稲品種と作付面積の書上、(40)、明和五年八月、大原村松林開発のため、伊兵衛新田松林との境を吟味につき覚、(41)、明和五年十月、汐入による検見につき宇兵衛新田の願、(42)、明和五年十二月、南田村の国役掛り銀の覚、(43)、明和六年二月、南田村堤修復につき願、(44)、明和六年四月、大原村松林との境につき支障がない旨の伊兵衛新田と塩新田村の口上、(45)、明和六年四月、伊兵衛新田新畑見取場の定免継続願、(46)、明和六年三月、汐入皆損による宇兵衛新田の種籾代金拝借請取覚、(47)、年月不明、摂津国天王寺修復日本国中寺々寄進御帳面覚、(48)、年月不明、寺谷井組懸り高の覚、(49)、明和六年八月、南田村の稲品種と作付面積の書上、(50)、明和六年九月、旱害等により宇兵衛新田田方皆損同然につき検見願ほか一連の文書、(51)、明和七年三月、伊兵衛新田・宇兵衛新田庄屋および南田村名主を勤める伊兵衛の退役願、(52)、明和七年六月、南田村田方植付仕舞いの注進、(53)、明和八年三月、伊兵衛新田の定免継続願、 (54)、明和八年三月、過去三年間の平均で定免とするよう宇兵衛新田の願、(55)、明和八年五月、伊兵衛新田の定免請書、(56)、明和八年五月、伊兵衛新田と宇兵衛新田の田方植付仕舞いの注進、(57)、明和八年八月、南田村の稲品種と作付面積の書上、(58)、年月不明、南田村の大堤間数割合、(59)、年月不明、南田村汐除堤外葭割合、(60)、安永元年四月、伊兵衛新田見取場畑の定免継続願、(61)、安永元年五月、大雨につき伊兵衛新田と宇兵衛新田の注進、(62)、安永元年八月、大風雨高浪による被害につき諸文書および記録、(63)、安永二年八月、南田村の稲品種と作付面積の書上、(64)、安永二年十一月、宇兵衛新田地内御米津出し河岸拡張修繕につき願、(65)、安永二年九月、差汐のため宇兵衛新田田方不作につき御見分願、(66)、安永二年三月、伊兵衛新田汐除御林に松苗植付につき書付、(67)、安永三年三月、定免継続願、(68)、安永三年八月、南田村の稲品種と作付面積の書上、(69)、安永二年十二月、宇兵衛新田河岸場普請入用竹の覚、(70)、安永四年八月、大風雨高浪につき注進、(71)、安永四年九月、南田村の稲品種と作付面積の書上、(72)、安永四年九月、汐入のため不作につき願、(73)、安永四年九月、寺谷用水修復入用等の割付、(74)、安永四年十月、伊兵衛新田畑方了簡引の請書、(75)、安永五年正月、前年の汐入不作のため種籾代下置につき南田村と一色村の願、(76)、安永五年正月、百姓の除帳願、(77)、安永五年八月、南田村の早稲方刈取り願、(78)、安永五年八月、南田村の稲品種と作付面積の書上、(79)、安永五年八月、大風高浪にかかる記録と諸文書、(80)、安永六年三月、宇兵衛新田堤普請人足の割付、(81)、安永六年二月、南田村悪水圦樋の伏替願、(82)、安永六年三月、伊兵衛新田と宇兵衛新田の定免継続願および請書、(83)、安永六年二月、大池溜井浚出願入用につき井組村々の連判一札、(84)、安永六年八月、南田村の早稲方刈取り願、(85)、安永六年八月、南田村の稲品種と作付面積の書上、(86)、安永六年十月、南田村の国役掛り銀の覚、(87)、安永七年正月、伊兵衛新田汐除御林に松苗植付につき書上、(88)、安永七年八月、南田村の稲品種と作付面積の書上、(89)、安永六年、大池井組出入の記録、(90)、安永七年、御勝手方御用のため出府の記録、(91)、安永八年、東海道川々御普請と南田村の水害の記録、(92)、安永九年八月、南田村と一色村の田方虫害につき注進、四一、天明二年三月、太田備後守への御奉公につき土井平吉あて一札、四二、天明四年八月、太郎馬新田勘七と塩新田村多数村民との喧嘩につき浜松藩庁あて吟味願、四三、文化十三年九月、横項賀藩がおこなった田面と普請所見分の道筋の記録、四四、天保六年十二月、囲籾の預かり証文、四五、天保八年十二月、南田村の領主役所あて拝借金証文、 四六、嘉永二年十一月、南田村の久津部役所あて拝借金証文、四七、嘉永三年二月、南田村の久津部役所あて戸口調書、四八、嘉永三年六月、南田村の地頭役所あて惣益講金借用証文、四九、安政二年十一月、江戸大地震による領主屋敷破損につき、下大原村八郎兵衛の献金願、五〇、辰年七月、触書の受取りにつき浜部村名主あて塩新田名主の書付、五一、年欠七月、貯稗につき横須賀藩領大庄屋の廻状、第三章、村と地域の自律性、村と地域の自律性、第一節、村の運営、五二、天和二年十二月、下大原村の郷借証文、五三、元禄二年十二月、三分一金と船役米を高割りにしたい意向を伝える浜部村あて一色村の書状、五四、元禄十二年十二月、年貢延納につき下大原村八左衛門あて一札、五五、享保二年四月、御用金調達困難のため下大原村の郷借証文、五六、享保十七年十一月、袋井宿伝馬利金借用にかかる下大原村百姓質物田地名寄代付目録、五七、享保二十年十二月、白須賀宿拝借金にかかる下大原村弥兵衛ほか五名の連判証文、五八、文化二年二月、下大原村庄屋藤八困窮破産のため負債を惣百姓が弁納につき一札、五九、文化二年三月、不勝手のため下大原村平十の惣百姓あて質取地差出証文、六〇、文化六年五月、下大原村元庄屋平十ほか小前百姓の帳面開示要求につき村役人の願書、六一、巳年十月、下大原村村方勘定出入を企てた元庄屋平十に対する城下・居村追放の申渡、六二、文化七年四月、村方取賄金引負けにつき下大原村元組頭利左衛門の大庄屋あて引請証文、六三、文化十年二月、萱野等にかかる下大原村若者出入につき内済一札、六四、文政十一年十一月、藤枝宿宮城屋茂平あての下大原村の郷借証文、六五、文政十二年十一月、掛川天然寺御用意金融通につき下大原村の百姓質地名寄目録、六六、文化十二年十二月、難村状況克服のため下大原村が企てた相続講の講金預かり証文、六七、文政十三年十一月、下大原村の郷借証文、六八、文政十三年十一月、掛川宿万右衛門あて下大原村の郷借証文、六九、天保六年二月、上下大原村萱間の取扱いにつき議定、七〇、天保八年、上下大原村萱間の取扱いにつき再議定、七一、天保九年二月、龍法院付届米にかかる下大原村若者出入につき議定書、七二、弘化四年、下大原村の萱売払い覚帳、七三、嘉永元年、下大原村若者の萱代金勘定覚帳、七四、嘉永三年三月、年貢上納差し支えのため南田村庄屋惣右衛門の借用金証文、七五、万延元年十二月、水難のため下大原村村中百姓の借用金証文、七六、万延二年二月、村制裁の示談に伴う下大原村百姓の屋敷譲渡証文、七七、元治元年八月、下大原村の夜具人足出入差引帳、七八、慶応元年七月、萱間の取扱いにかかる下大原村若者出入につき済ロ一札、七九、年月不明、節句凧祝にあたり馳走不調法のため若者の取り決め、八〇、年月不明、南田村と近村との出入に取材した「ちょぼくれ・数え歌・狂歌」、第二節、地域社会の形成、 八一、天保三年四月、見付宿助郷物頭引にかかる草崎村ほか五か村の訴状、八二、天保三年八月、見付宿助郷のうち三九か村休役にあたり物頭役の取扱いにつき一札、八三、天保三年八月、見付宿助郷物頭引にかかる故障の示談につき一札、八四、嘉永二年十一月、海老塚村大黒講連中あて南田村の大黒講金落札証文、八五、安政四年十一月、震災後の大工作料と天竜川堤補強の問題につき寺谷用水年番の廻状、八六、安政五年四月、寺谷用水積立金の取扱いにつき同用水路年番の廻状、八七、安政五年七月、日和乞いのため秋葉山登山につき寺谷用水年番惣代の廻状、八八、安政五年七月、日和乞い再願につき寺谷用水年番惣代の廻状、八九、安政六年六月、寺谷用水引き入れ普請のため浜綱の差し出しを求める廻状、九〇、安政六年六月、日和乞いのため中泉三仭坊への参詣を促す寺谷用水惣代の廻状、九一、文久三年正月、諸山勧化を謝絶すべき旨の四五か村惣代の廻状、第四章、諸産業の展開、第一節、農業と水産業、九二、延宝五年閏十二月、駒場村ほか十三か村の漁猟役銭免除願、九三、天和元年十月、駒場村ほか村々の漁猟運上請書、九四、天和元年十二月、駒場村ほか九か村の漁猟運上銭高据置願、九五、元禄九年十一月、駒場村ほか村々の漁猟運上請書、九六、天保三年八月、今ノ浦川通り堤外新開につき下太村ほか諸村の請書、九七、天保四年八月、今ノ浦川通り茅立場所の村請新開につき、南田村ほか四か村の願書、九八、弘化四年九月、浜部村の者が塩新田村前浜に鯨を引き揚げたことにつき役所あて注進、九九、万延元年~文久二年、下大原村中村家の手作植付稲把俵数覚、一〇〇、文久二年~元治元年、下大原村中村家の手作植付米稲数覚、一〇一、年欠九月、一色村ほかの浜出入につき浜部村の口上、第二節、広野の開発、一〇二、延宝五年、大原村による広野の開発を拒み野米と忠節塩の請負を求める訴状の下書、一〇三、貞享二年二月、大原村広野のうち浜部村源右衛門請負塩浜に境杭を打立てにつき請書、一〇四、貞享二年、大原村広野塩浜につき訴状断簡、一〇五、元禄五年十二月、浜部村前浜通り広野元塩浜の新田開発願、一〇六、元禄十一年六月、浜部村前広野元塩浜の新田開発不成就のため塩年貢免除願、一〇七、明和五年八月、広野汐除松地所の存置を求める浜部村の願書、一〇八、明和六年五月、広野の開発に反対し松林の存置を求める浜部村の願書、一〇九、明和八年五月、広野松林で浜部村の者が枝葉を伐り取ったことにつき上下大原村の訴状、一一〇、明和八年、広野松林枝葉伐取一件につき浜部村の返答書、一一一、明和九年二月、広野松林枝葉伐取一件につき上下大原村の公儀あて訴状、一一二、明和九年、広野松林枝葉伐取一件を上下大原村より公儀に出訴につき浜部村の返答書、一一三、明和九年四月、広野松林の境界を明らかにし、村持地の確認を求める浜部村の訴状、一一四、明和九年四月、 広野松林出入につき相手方浜部村は惣代が公儀評定所に出頭する旨の願書、一一五、明和九年六月、広野松林枝葉伐取一件の示談につき上下大原村と浜部村の済口証文、一一六、明和九年六月、広野松林枝葉伐取一件の示談につき浜部村あて上下大原村の証文、一一七、天明六年三月、広野松林検地のため案内につき一札、第三節、米の流通、一一八、文政六年十二月、酒造米に差し支えのため浜部村御蔵米借用につき清庵新田酒屋十太郎の証文、一一九、天保十二年正月、彦島村収納米買請けにつき大原村油屋源蔵あて大島村問屋平右衛門の一札、一二〇、天保十三年三月、上大原村収納米買請けのため浜松宿池田徳三郎あて下大原村源蔵の借用金証文、一二一、天保十三年六月、上岡田村収納米買請けにかかる契約不履行を訴える下大原村源蔵の願書、一二二、年月不明、金銭貸借にかかる下大原村源蔵の訴状に対する沖之須村伊左衛門の返答書、一二三、卯年十二月、南田村佐兵衛あて南国米問屋伊三次の蔵米預かり証文、一二四、年欠五月、米屋喜三郎より大原村鈴木民蔵への出金督促の書状、第五章、於保の村々と「水」、第一節、用悪水と堤の管理、一二五、貞享五年正月、上下大原村と南田村の寺谷用水助人足免除願、一二六、元禄二年閏正月、上下大原村と南田村の寺谷用水井普請重役の免除を求める訴状、一二七、元禄二年四月、上下大原村と南田村の普請に寺谷井組村々が人足を出すことを求めた訴状、一二八、宝永二年十二月、領主の交替にあたり水利の不便を訴える浜部村ほか三か村の口上書、一二九、宝永三年正月、浜部村ほか三か村の堤普請の仕来りにつき口上書、一三〇、宝暦六年十一月、上下大原村と南田村が寺谷用水御普請御入用金を負担しない旨の上申、一三一、宝暦七年五月、満水にて海老島堤破損のため水留御普請につき一札、一三二、明和三年四月、一色村立会圦造用割合帳、一三三、明和五年正月、上下大原村による大池通り水除堤普請のため杭木等の下付願、一三四、天明二年四月、宇兵衛新田新堀開掘につき十五か村組合の取り決め、一三五、文化三年正月、下大原村の田畑土取跡・堀敷永引案内帳、一三六、文化四年二月、浜部村と一色村の組合立会圦樋の伏替請負証文、一三七、文化六年正月、今ノ浦川圦樋と橋梁の仕様帳、一三八、文化七年四月、下大原村堤修復のため扶持米下げ置願、一三九、文化十年正月、浜部村と一色村の組合悪水吐圦樋の伏替願、一四〇、文化十年二月、浜部村と一色村の立会悪水吐圦樋の仕様帳、一四一、文化十年五月、浜部村と一色村の組合悪水吐圦樋の伏替割賦金受取、一四二、文化十三年十月、上下大原村囲堤切所の箇所付帳、一四三、文化十四年正月、国役普請出願につき国役世話掛りあて宇兵衛新田の一札、一四四、文政二年二月、浜部村と一色村の立会圦樋の伏替請負証文、一四五、文政十年六月、上下大原村と大和田村にかかる圦樋・板橋目論見仕様帳、 一四六、文政十年七月、今ノ浦川通り川除堤欠所につき国役普請願、一四七、文政十年七月、今ノ浦川堤切所・欠所普請願箇所付帳、一四八、文政十年八月、今ノ浦川掘り浚いと両側杭篝の御普請願、一四九、文政十年十二月、十六か村悪水組合の構成についての記録、一五〇、文政十二年三月、下大原村堤切所の築立目論見仕様帳、一五一、文政十二年七月、敷地川と今ノ浦川通堤は国役普請しがたい旨の請書、一五二、天保二年二月、大和田境北圦ほか五か所の圦樋目論見仕様帳、一五三、天保三年正月、下大原村圦樋仕様帳、一五四、天保三年正月、仿僧川堀割普請と悪水路浚方につき組合村々の規定、一五五、天保四年正月、今ノ浦川の浚渫についての請書雛形、一五六、安政二年正月、伊兵衛新田と宇兵衛新田の安政地震で破損した圦樋の修繕願、一五七、安政二年正月、安政地震の復旧として一色村地内圦樋の国役普請願、一五八、安政二年正月、安政地震の復旧として仿僧川の国役普請願、一五九、文久三年八月、寺谷用水定掛場になったことにつき、南田村ほか四か村の掛り役人あて礼状、一六〇、文久四年正月、一色村地内悪水吐圦樋の伏替願、一六一、子年四月、悪水圦施工事につき清庵新田権右衛門の請書、第二節、水をめぐる争い、一六二、寛文九年五月、悪水吐圦の変更と新規井堀の設置による支障を訴える上下大原村の覚書、一六三、享保十一年十月、上下大原村と大和田村との境堤修復争論についての済口証文、一六四、延享二年五月、大池の新田開発につき議定書、一六五、明和八年正月、塩新田前堀の開発に不同意の旨の悪水組合村々願書、一六六、天明元年六月、南田村地先十六か村悪水吐川通り葭刈払一件の内済証文、一六七、寛政三年十一月、大池一件入用取立帳、一六八、寛政四年十二月、大池にかかる出入につき地改御代官の抄汰に対する請書、一六九、享和二年三月、上下大原村囲堤につき中泉村ほか十一か村の訴状、一七〇、享和三年二月、堤普請にかかる中泉村ほかの出訴に対する上下大原村ほかの返答書、一七一、享和三年七月、上下大原村と大和田村の水除堤修復にかかる争論の取扱い破談につき届、一七二、文化元年九月、上下大原村ほか囲堤修築にかかる争論の裁許につき請書、一七三、天保十四年三月、大池の刈り浚いをめぐる村間出入の済口証文、一七四、弘化三年三月、大池島崎圦樋について下大原村ほか三か村を相手とする二之宮村の訴状、一七五、弘化三年六月、大池圦樋にかかる二之宮村の出訴に対する上下大原村の返答書、第三節、天竜川水防組合への参加、一七六、享保二年三月、天竜川出水の節は浜堤を切り流す旨の二二か村取替証文、一七七、文化六年八月、天竜川通り水下村々水防組合設置に反対する上下大原村ほかの願書、一七八、文政十年七月、大水のため切り流した一色村と浜部村の囲堤復旧につき廻状、一七九、文政十一年八月、天竜川東縁村々の川除堤築立願、 一八〇、天保元年ヵ、天竜川下流域私領六十余か村の堤防修復願、一八一、天保二年正月、天竜川通り水下村々水防組合結成の下問に対する条件付きの請書、一八二、天保二~九年、天竜川水防組合の規定、一八三、天保三年二月、天竜川小島村堤の出水時の取扱い規定の請書、一八四、天保六年閏七月、岡村に新規締切堤築立のため難儀につき八間川と十二間川の改修願、第六章、家の経営と相続、第一節、農家の経営、一八五、元禄十五年三月、年貢不賄のため下大原村八左衛門の十輪寺祠堂金預かり証文、一八六、正徳二年十二月、三倉大苻賀村惣左衛門の下大原村八左衛門あて奉公人請状、一八七、正徳三年正月、下大原村藤右衛門の小作証文、一八八、正徳三年十二月、下大原村佐平次の小作証文、一八九、享保三年四月、浄円院通行人馬御用に差し詰りのため下大原村喜兵衛の借用金証文、一九〇、享保六年十二月、水損による年貢等差し詰りのため下大原村八左衛門の借用金証文、一九一、享保十一年十一月、馬買金を理由とする下大原村兵左衛門の借用金証文、一九二、元文元年十二月、下大原村八左衛門の借米証文、(反古)、一九三、宝暦九年十一月、乳持女についての下大原村八左衛門あて奉公人請状、一九四、天明七年十一月、下大原村八左衛門の中泉清次郎あて奉公人請状、一九五、文化四年二月、下大原村八左衛門の龍守院修堂金の借用証文、一九六、文化九年十一月、頼母子講落札につき講金預かり証文、一九七、天保九年十月、下大原村八左衛門の頼母子講金落札証文、一九八、天保十三年十二月、手操船入用差し支えのため三ツ合村熊五郎の南田村佐兵衛あて借用金証文、一九九、弘化四年十二月、下大原村粂蔵あて東貝塚村林平の奉公人請状、二〇〇、安政四年~明治六年、頼母子講関係帳面綴、二〇一、安政六年、下大原村中村家の散田附並びに年貢諸勘定帳、二〇二、万延二年正月、下大原村八左衛門の田地請作証文、二〇三、文久三年~明治十年、下大原村田中家の高覚帳、二〇四、慶応元年十一月、長寿講金寄帳、二〇五、慶応二年二月、大原村八郎兵衛あて福田村太郎右衛門女子つまの奉公人請状、二〇六、明治元年十二月、下大原村中村家の散田勘定帳、第二節、農民と土地、二〇七、延宝九年二月、上大原村権七郎と下大原村八左衛門の田地取替証文、二〇八、元禄四年十二月、三右衛門の田地等譲渡証文、二〇九、元禄六年四月、下大原村長左衛門の名敷譲渡証文、二一〇、享保十一年三月、下大原村太郎作より八左衛門にかかる質地争論の訴状、二一一、享保十一年六月、質地争論につき掛川役所より下大原村への差紙、二一二、享保十一年六月、質地にかかる下大原村太郎作の訴状に対する八左衛門の返答書、二一三、享保十一年八月、質地争論につき下大原村八左衛門の口上書、二一四、享保十一年八月、下大原村太郎作と八左衛門にかかわる質地争論の済口証文、二一五、延享二年八月、下大原村孫左衛門の田地質流証文、 二一六、明和八年二月、父孫左衛門質入地にかかる争論につき下大原村藤四郎の書付、二一七、明和八年二月、下大原村孫左衛門家の相続にかかる質地請戻の覚書、二一八、安永七年二月、増金の融通による下大原村清兵衛あて流地証文、二一九、文政十三年正月、中野村弥兵衛と下大原村・浜部村農民との下作米滞り出入の記録、二二〇、天保九年正月、見付宿古田屋平八郎から請け戻した田地の高控覚帳、二二一、天保十年十月、八郎左衛門の講落札金譲渡につき書添証文、二二二、嘉永五年四月、八郎兵衛と彦兵衛の地替につき書付、二二三、嘉永六年九月、下大原村八左衛門名敷にかかる中泉村立節より又質地請け返しにつき訴状、二二四、安政五年正月、質地請け一戻しが郷例であることの確認を求める下大原村八左衛門の願書、二二五、安政五年正月、下大原村百姓質地差し縺れの示談にあたり村役人の一札、二二六、文久三年三月、下大原村八左衛門の質入地請け返しにつき書付、二二七、慶応元年六月、南田村における質地請け戻し争論の内済につき一札、二二八、慶応二年正月、見付宿古田屋平八より請け戻し地の永年期売渡証文、二二九、明治二年二月、弘化三年の田地替を確認する為取替証文、二三〇、年月不明、見付宿古田平八郎より請け戻し質地にかかる団地替争論の訴状、二三一、明治三年二月、見付宿古田屋より請け戻し地にかかる田地売買故障につき一札、二三二、明治三年ヵ、見付宿古田屋より請け戻し地にかかる争論の和解につき済口一札下書、二三三、明治三年、見付宿古田屋より請け戻し地にかかる争論の示談につき書付、二三四、明治三年七月、大原村弥平ほか四名の遠州物産掛役所仕法金借用証文、二三五、明治三年八月、大原村八郎平ほか四名の中泉横町尾張屋庄五郎あて金子借用証文、二三六、明治四年四月、大原村八郎平ほか一名の遠州物産掛役所仕法金借用証文、第三節、家の相続、二三七、宝永五年正月、蛭池村三郎左衛門家相続にあたり下大原村八左衛門の田地譲渡証文、二三八、宝永五年正月、蛭池村三郎左衛門家相続にあたり下大原村八左衛門の金子借用証文、二三九、正徳五年四月、前野村権三郎、下大原村おひさと縁組につき持参金の預かり証文、二四〇、享保十年十二月、大原村三郎次の隠妻と男子の引取りについての一札、二四一、享保十九年正月、蛭池村八右衛門が所持する下大原村太郎作名田地の譲渡につき一札、二四二、寛政五年正月、下大原村八郎兵衛の新家幸三郎あて屋敷田畑譲渡証文、二四三、文政元年十二月、下大原村中村家住宅の葺替入用帳、二四四、文政二年正月、下大原村中村家の雪隠普請帳、二四五、天保十五年、下大原村中村家の婚礼諸入用覚帳、二四六、弘化二年正月、下大原村中村家の祝儀受納帳、二四七、弘化四年正月、下大原村中村家のみゑ婚礼諸入用帳、二四八、嘉永三年八月、胤八不埒一件につき清水家への詫入れの仲介を依頼する書付、 二四九、嘉永三年~文久二年、下大原村中村甚平倅平八郎の出産祝ほか諸祝儀の覚帳、二五〇、嘉永六年四月、下大原村甚八亡母の香奠帳、二五一、嘉永七年十月、下大原村甚平亡母の香奠帳、二五二、安政元年十二月、下大原村中村家の蔵普請諸入用帳、二五三、安政二年二月、一色村権兵衛娘せんの人別送り状、二五四、安政二年八月、下大原村中村八郎兵衛家の台所普請諸入用帳、二五五、安政五年十一月、下大原村中村家のわか三歳祝諸入用並びに祝儀受納帳、二五六、安政五年十一月、下大原村中村家のお歌九歳祝儀覚帳、二五七、安政六年正月、下大原村中村八郎兵衛家住宅の家普請諸入用覚帳、二五八、安政六年正月、藤蔵よりこのへの離縁状、二五九、万延二年三月、下大原村中村甚平の子、浦治郎・おはんの産祝三品祝儀受納覚、二六〇、文久元年十一月、下大原村中村家の浦治郎十蔵祝儀受納帳、二六一、文久二年九月、下大原村中村家のおはん三歳祝儀受納帳、二六二、慶応三年、居士号の位戒料として下大原村八郎兵衛より本山へ田地寄附の証文、二六三、慶応三年二月、永代居士号許容につき下大原村八郎兵衛あて見付宿見性寺の請書、二六四、明治二年三月、宮ノ一色村甚兵衛娘八重、下大原村惣左衛門方へ縁組につき宗門送り状、二六五、年月不明、南田村鈴木家の系図、第七章、寺社と信仰、二六六、元禄十五年三月、上大原村龍守院の再興にかかる金子借用証文、二六七、宝永元年~寛政六年、一色村智泉庵本堂棟札、二六八、天明六年九月、十輪寺末寺の持高田地寺領調、二六九、天保十年四月、下大原村長池大頭龍大権現の碑文、二七〇、天保十二年正月、下大原村長池の代参講落札帳の綴、二七一、嘉永四年九月、狂言中諸入用覚帳、二七二、嘉永四年、下大原村氏神建築費負担についての覚書、二七三、嘉永四年、氏神鳥居造立等のため蛭子講金落札の証文、二七四、安政三年、下大原村龍法院地蔵堂の再建入用払物帳、二七五、文久元年十一月、下大原村龍法院の本堂再建寄附帳、二七六、文久三年、下大原村長池の大峰山富士山両山講落札人の覚、二七七、文久四年、下大原村龍法院の本堂諸入用帳、二七八、元治二年正月、龍法院世話人による子暮利足勘定帳、二七九、年月不明、可睡斎より下大原村への御供米受取証文、第八章、他地域との交流、二八〇、寛文九年八月、塩新田沖で破船につき駿河国沼津甚右衛門手代甚左衛門ほかの手形、二八一、寛文十二年正月、紀伊国雑賀七郎兵衛船破船につき海中より取り上げ品々の覚、二八二、宝暦十四年五月、尾張国大野村金左衛門船破船につき浦証文、二八三、文化十年三月~四月、下大原村中村八郎兵衛による信濃国善光寺参詣の記録、二八四、文政二年四月、遠州灘で破船した紀伊国比井浦大運丸の船具を破損・流失につき内済証文、二八五、嘉永五年十一月、大和国浪人五十馬の下大原村甚平あて短刀売払証文、二八六、慶応四年四月、越中国立山三学坊へ半鐘寄附者の戒名書上、 二八七、年欠七月、尾張様御鷹場の件を談示のため浜松鍛冶町への出会を求める廻状、第九章、国際関係との接点、第一節、朝鮮通信使、二八八、延享五年、朝鮮通信使の通行にかかる諸廻状の記録、(1)、延享五年正月、天竜川舟橋御入用品々の調達につき中泉役所の廻状、(2)、延享五年正月、天竜川舟橋板角木取人足の徴発につき中泉役所の廻状、(3)、延享五年正月、朝鮮通信使通行にかかる諸役を協議のため村々の出会を求める廻状、(4)、延享五年三月、天竜川舟橋板角運搬のため人足の徴発につき中泉役所の廻状、(5)、延享五年三月、朝鮮通信使の通行にかかる御用のため村々名主の出頭を求める廻状、(6)、延享五年三月、人馬割につき出願のため村々庄屋の印形を求める見付宿問屋の廻状、(7)、延享五年三月、天竜川舟橋用材運搬のため人足の徴発につき中泉役所の廻状、(8)、延享五年三月、天竜川舟橋敷板にかかる人足の徴発につき天竜川舟橋御用会所の廻状、(9)、延享五年三月、幸右衛門ほか二名あて太郎右衛門の書状、(10)、延享五年三月、見付御賄所入用の諸品の請負につき新貝村善右衛門ほかの廻状、(11)、延享五年三月、人馬割のため村々有馬の取調につき見付宿問屋年寄の廻状、(12)、延享五年三月、天竜川舟橋東側固番所地形築立の人足の徴発につき御用会所の廻状、(13)、延享五年二月、天竜川舟橋板角木取のため木挽手伝人足の徴発につき中泉役所の廻状、(14)、延享五年二月、天竜川舟橋にかかる材木手伝人足の徴発につき中泉役所の廻状、(15)、延享五年三月、見付御賄所へ差し出すべき品々の員数につき大草太郎左衛門の廻状、(16)、延享五年四月、見付御賄所へ差し出すべき品々の請負につき中泉村甚右衛門の覚書、(17)、延享五年四月、見付御賄所へ差し出すべき品々の請負につき飯田佐五郎ほかの書付、(18)、延享五年四月、往還道橋土手の取り繕いにつき新貝役所の廻状、(19)、延享五年四月、浜松宿へ差し出すべき人馬の員数と勤方の心得につき人馬割役人の廻状、(20)、延享五年四月、朝鮮通信使の通行期日の見込につき見付御賄所の廻状、(21)、延享五年四月、天竜川舟橋架設のため人足の徴発につき舟橋御用会所の廻状、(22)、延享五年四月、出金を促す上下大原村庄屋あて見付鈴木孫兵衛の書状、(23)、延享五年四月、朝鮮通信使通行期日の見込につき見付宿問屋年寄の廻状、(24)、延享五年四月、馬札の取扱いにつき見付宿問屋の廻状、(25)、延享五年四月、見付御賄所へ品々差し出しの期日につき御賄所の廻状、(26)、延享五年五月、人馬割役人への祝儀につき匂坂新村弥兵衛ほかの廻状、(27)、延享五年四月、往還丁場の高草刈り取りを促す中泉村十兵衛の書状、(28)、延享五年、上大原村が負担した馬数の覚、(29)、延享五年五月、青大豆葉などの差し出しにつき見付御賄所の廻状、(30)、延享五年四月、浜松宿寄人馬につき人馬割役人の廻状、 (31)、延享五年五月、人馬員数の増減につき廻状、(32)、延享五年五月、組合世話役の出頭を求める見付宿問屋の廻状、(33)、延享五年五月、朝鮮通信使の通行にかかる村方金銭出納の記録、(34)、延享五年五月、矢来詰人馬と宿詰人馬の日程につき見付宿問屋の廻状、(35)、延享五年五月、人馬員数の記録、(36)、延享五年五月、見付御賄所へ納品の覚、(37)、延享五年五月、通行の日延につき見付宿問屋年寄の廻状、(38)、延享五年四月、天竜川舟橋破損所拵え人足等の徴発につき御用会所の廻状、(39)、延享五年五月、満水のため天竜川舟橋流失につき舟橋請負人の廻状、(40)、延享五年五月、掃除人足の差し出しを督促する中泉名主の書状、(41)、延享五年五月、朝鮮通信使の通行にかかる村方金銭出納の記録、(42)、延享五年五月、書翰台荷物請取状不参につき見付御書院番の書状、(43)、延享五年五月、朝鮮通信使の通行にかかる村方金銭出納の記録、(44)、延享五年五月、書翰台荷物請取状不参につき見付宿問屋の書状、(45)、延享五年五月、天竜川出水のため舟橋囲人足の徴発につき舟橋御用会所の廻状、(46)、延享五年五月、保六島村十蔵へ支払金の覚、(47)、延享五年五月、天竜川舟橋入用ねこだ流失のため追徴につき中泉役所の廻状、(48)、延享五年五月、ねこだ追徴の員数削減につき中泉役所の廻状、(49)、延享五年五月、朝鮮通信使の通行にかかる村方金銭出納の記録、(50)、延享五年五月、御用につき申し渡しのため名主の出頭を命ずる浜松宿詰人馬割役人の廻状、(51)、延享五年五月、天竜川舟橋入用ねこだの調達等につき廻状、(52)、延享五年五月、天竜川舟橋新規普請の目論見につき請負人の廻状、(53)、延享五年五月、天竜川舟橋人足賃増値段につき保六島村庄屋ほかの廻状、(54)、延享五年五月、見付御賄所へ差し出すべき諸品の員数につき大草太郎左衛門の廻状、(55)、延享五年六月、浜松差し出すべき人馬賃の覚、(56)、延享五年六月、朝鮮通信使帰国日程の見込につき見付御賄所の廻状、(57)、延享五年六月、天竜川舟橋破損のため人足の徴発につき御用会所の廻状、(58)、延享五年六月、見付御賄所へ野菜物等の納品の期日につき廻状、(59)、延享五年六月、浜松宿へ人馬差し出しの期日につき人馬割役人の廻状、(60)、延享五年六月、代官の廻状を拝見承知につき村々庄屋の請状、(61)、延享五年六月、朝鮮通信使帰国のため浜松宿へ人馬差し出しにつき見付宿問屋年寄の廻状、(62)、延享五年六月、正人馬と雇人馬の別を照会する廻状、(63)、延享五年六月、見付御賄所へ野菜など納品の請負証文、(64)、延享五年六月、朝鮮通信使先荷物のため人足の徴発につき人馬割役人の廻状、(65)、延享五年六月、浜松矢来詰人馬書上の差し出しにつき見付宿問屋の廻状、(66)、延享五年六月、朝鮮通信使帰国のため見付宿へ人馬差し出しにつき問屋年寄の廻状、 (67)、延享五年六月、朝鮮通信使帰国にあたり村方金銭出納の記録、(68)、延享五年六月、先荷物のため人足差し出しにつき見付宿問屋年寄の書状、(69)、延享五年六月、至急人馬差し出しにつき見付宿問屋年寄の配符、(70)、延享五年六月、朝鮮通信使荷物差し立てにつき道中奉行の触、(71)、延享五年六月、天竜川舟橋人足質代の精算につき保六島村名主ほかの廻状、(72)、延享五年六月、天竜川舟橋入用諸品納切手の下げ渡しにつき新貝役所の廻状、(73)、延享五年六月、天竜川舟橋入用諸品納切手の下げ渡し場所を改める中泉役所の廻状、(74)、延享五年七月、見付宿詰人馬につき取調のため出帳を求める見付宿問屋年寄の廻状、(75)、延享五年六月、天竜川舟橋板角諸色持運び人足の徴発につき御用会所の廻状、(76)、寛延元年七月、見付宿詰人馬雇数を照会する見付宿問屋年寄の廻状、(77)、寛延元年七月、天竜川鹿島十分一諸木板類の入札につき大草太郎左衛門の廻状、(78)、寛延二年八月、琉球人通行にかかる遠江宿々人馬継立請負賃銭の請取状、(79)、年月不明、朝鮮通信使通行にあたり宗対馬守雇人馬賃銭の精算につき書状、二八九、宝暦十二年八月、朝鮮通信使通行にかかる諸役の不均等是正を求める袋井宿・見付宿助郷村々の願書、二九〇、宝暦十三年八月、上下大原村ほかの朝鮮通信使通行にかかる根伐り人足免除願、二九一、宝暦十二年~十四年、上大原村庄屋による朝鮮人来朝明細留帳、(1)、宝暦十二年、朝鮮通信使掛り役人人名、(2)、宝暦十二年八月、天竜川舟橋役矢来詰重役を相談のため出会を呼び掛ける上下大原村庄屋の廻状、(3)、宝暦十二年八月、重役にかかる願書に調印のため出会につき上下大原村庄屋の廻状、(4)、宝暦十二年八月、江戸へ出願の諸費について村々の取り決め、(5)、宝暦十二年八月、上大原村が延享五年天竜川舟橋役に差し出した諸品と人足の記録、(6)、宝暦十二年八月、掛川宿御賄諸色入札につき大草太郎左衛門手代の廻状、(7)、宝暦十二年八月、延享五年に見付御賄所に差し出した品々の調査につき廻状、(8)、宝暦十二年八月、延享五年に上大原村が見付御賄所に差し出した品々の書付、(9)、宝暦十二年九月、新居渡海舟路浚御普請にかかる入札につき大草太郎左衛門の廻状、(10)、享保六年三月、朝鮮通信使の通行にかかる国役金につき幕府の触書、(11)、宝暦十三年七月、見付御賄所および天竜川舟橋へ諸色差し出しにつき村々の請書、(12)、宝暦十三年七月、天竜川舟橋材木の根伐りのため人足の差し出しを命じる山本平八郎手代の廻状、(13)、宝暦十三年八月、役人足の件につき出頭を命じる山本平八郎手代の廻状、(14)、宝暦十三年八月、天竜川舟橋普請のため諸色の差し出しを命じる山本平八郎役所の廻状、(15)、宝暦十三年八月、天竜川舟橋役につき申し渡しのため出頭を命じる山本平八郎役所の廻状、(16)、宝暦十三年八~九月、入用金取替の覚、 (17)、宝暦十三年九月、御料理草の手配のため出頭を命じる山本平八郎手代の廻状、(18)、宝暦十三年九月、水夫人足の差し出しの事情を照会する山本平八郎役所の廻状、(19)、宝暦十三年十一月、人足について申し渡しのため出頭を命じる山本平八郎役所の廻状、(20)、宝暦十三年十一月ヵ、天竜川中瀬堀割人足の免除を求める七十か村の願書、(21)、宝麿十四年正月、天竜川舟橋人足の差し出しを命じる山本平八郎役所の廻状、(22)、宝暦十四年、朝鮮通信使通行の記録、(23)、宝暦十四年三月、諸色舟人足割付のため出頭を命じる山本平八郎役所の廻状、(24)、宝暦十四年四月、御用のため出頭を命じる見付御賄所の触書、(25)、宝暦十四年四月、諸品請取切手を下げ渡しのため出頭を命じる見付御賄所の廻状、(26)、宝暦十四年四月、上下大原村の水夫人足扶持米請取覚、(27)、宝暦十四年四月、上大原村より諸色受取りにつき山本平八郎手代の書付、(28)、明和元年九月、朝鮮通信使の通行にかかる国役金につき幕府の触書、第二節、異国船、二九二、弘化三年閏五月、異形の船を発見につき横須賀藩触書、二九三、嘉永六年六月、異国船浦賀表に来航のため、たいまつ等の用意を命じる横領賀藩触書、二九四、安政六年十一月、掛塚湊に異国船漂着につき横須賀藩触書、二九五、年欠七月、異国船のことについて申し達しのため庄屋組頭の出頭を命じる横領賀藩触書、第十章、幕末・維新の動向、第一節、中村甚平の記録、二九六、嘉永七年~明治四年、下大原村中村甚平が編さんした諸事件の記録、二九七、明治三年、下大原村中村家の日記、第二節、大池開墾計画の阻止、二九八、明治三年五月、大池開墾にかかる下大原村村方故障の記録、二九九、明治三年六~七月、大池開墾一件につき中泉郡政役所など諸方との折衝の記録、三〇〇、明治三年六~七月、大池開墾一件につき中泉郡政役所との折衝の記録、三〇一、明治三年六月、大池開墾一件につき静岡へ出張の者の中泉への出頭を促す村役人の書状、三〇二、明治三年六月、大池開墾一件につき不届きの取扱いを詫びる小前惣代あての一札、三〇三、明治三年六月、大池開墾一件につき上下大原村小前一同の議定書、三〇四、明治三年六月、大池開墾の差し止めを嘆願するにつき上下大原村小前惣代への頼み証文、三〇五、明治三年六月、大池開墾の差し止めを求める小前惣代の願書、三〇六、明治三年八月、大池開墾一件につき静岡へ出張の記録、三〇七、明治三年八月、大池開墾一件につき上大原村ほか三か村小前惣代の内願書、三〇八、明治三年八月、大池開墾一件にかかる上下大原村故障にあたり小前一同の議定書、三〇九、明治三年八月、大池開墾一件の取り計らいにつき井組惣小前あて詫状、三一〇、明治三年九月、下大原村村役人交替にかかる折衝の顚末、三一一、明治三年閏十月、大池開墾一件出願諸費にかかる下大原村諸入用〆出し帳、 三一二、明治三年十一月、大池開墾一件につき静岡へ出張の記録、三一三、明治四年二月、大池に蓮を植えたいとの上下大原村の願書、三一四、明治四年八月、大池開墾一件の落着につき証拠として差し出した書類の下げ渡し願、三一五、明治四年十二月、大池開墾中止にあたり上下大原村の溜井冥加米上納願、三一六、明治四年十二月、大池開墾一件にかかる上下大原村故障の示談につき届、三一七、年月不明、大池関係書類の取扱いにつき小前中あて下大原村会所一札、三一八、年月不明、大池開墾中止の裁定につき証拠として差し出した書類の返却願、三一九、年欠十一月、大池開墾一件につき利平ほかの口上書、三二〇、年欠六月、大曽根胖より野栗七郎兵衛あて静岡へ至急使者を促す書状、三二一、年欠四月、大池開墾一件にかかる静岡出張諸費精算のための調書、三二二、明治十九年二月、大池記、(碑文)、



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