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2026(令和8)年7月のWeb版貴重書展示「芳年の浮世絵」

月百姿 雨後の山月 時致

K915-108-037-019
『月百姿 雨後の山月 時致

月岡芳年(1839~92)は、幕末から明治にかけて活躍した浮世絵師です。時代の変化に伴って浮世絵そのものが衰退していくなかで、ただ一人傑出した作品を描き、「最後の浮世絵師」とも呼ばれています。
一般には「残酷絵」「血みどろ絵」の印象が強い芳年ですが、残酷絵の作品点数はそれほど多くありません。武者絵や美人画などでも多くの傑作を世に送り出したほか、新聞や雑誌の挿絵も手掛けました。中でも代表作として知られるのが浮世絵「月百姿(つき百姿)」です。月にちなむ説話・故事・伝承で構成された全100作品の連作で、芳年の最後の大作です。錦絵版画でありながら色彩やぼかしの技法などは日本画に近く、明治の錦絵界に新しい様式を生む発端となった作品とも言えます。
今回は、前半(7/1~15)に夏らしい作品を、後半(7/16~30)は静岡県ゆかりの人物を描いた作品を展示します。

展示期間・場所

期間 7月1日(水曜日)~7月30日(木曜日)
場所 静岡県立中央図書館 閲覧室に入ってすぐの貴重書展示コーナー

展示資料一覧

画像をクリックすると、当館デジタルライブラリーの該当資料が表示されます。

書名等 画像 略説

K915-108-037-020
上村翁旧蔵浮世絵集(37)

『つき百姿 盆の月』

月岡芳年
大判錦絵
明治18(1885)年頃
版元:秋山武右衛門

つき百姿 盆の月

「月百姿」は逸話から月にちなんだ場面を描き出した作品で、芳年が描いたシリーズとしては最大規模の全100点から成っています。
盆踊りは、旧暦7月15日の盂蘭盆の前後に、老若男女が広場などに集まって踊る風習で、元禄時代(1688~1704年)に最も盛んに行われ、農漁村では最大の娯楽でした。本図には、満月の下で若衆たちの円舞する様子が、縦長の画面に切り取ったような構図で描かれています。柔らかい丸みのある線を用いて元禄時代の屈託のないおおらかな雰囲気が表現されており、踊る人々の表情も楽しげです。

K915-108-037-028
上村翁旧蔵浮世絵集(37)

『月百姿 銀河月』

月岡芳年
大判錦絵(1枚)
明治19(1886)年9月
版元:秋山武右衛門

月百姿 銀河月

天帝は仕事熱心な娘、織女(織姫)を真面目な牛飼いの青年、牽牛(彦星)と結婚させました。結婚後に仕事をせず遊んで暮らすようになった織女と牽牛は天帝の怒りを買い、一年に一度、7月7日の夜だけが天の川を渡って会うことを許される時間となってしまいました。この中国の七夕伝説をモチーフとして描かれたのが本図です。
七夕は星と関係が深い行事ですが、芳年は本図で月を印象的に描いています。七夕の月は弧を描くような形をしており、この形は古くから舟と結び付けられることが多いものでした。天の川を渡って愛しい人に会いに行く七夕の夜を描いた本図に月は重要な存在であるといえます。

K915-108-039-021
上村翁旧蔵浮世絵集(39)

『於御浜御殿徳川大樹御船手西瓜合戦上覧之図』

大蘇芳年
大判錦絵(3枚続)
明治期
版元:不明

於御浜御殿徳川大樹御船手西瓜合戦上覧之図

海とスイカで夏らしい作品ですね。本図で描かれている西瓜合戦とは、御船手が源氏方と平氏方に分かれ、取り付けた紅白の紙片を目印に西瓜を取り合う訓練だったようです。浜の上では、徳川将軍が合戦を上覧しているのが見えます。御船手は真剣な表情ですが、背景には紙風船や達磨が空中を舞っていたり、花火が上がっていたりと、楽しそうな様子が伝わってきます。
また、「徳川大樹」の「大樹」は征夷大将軍の異称である「大樹将軍」を意味しています。さらに、「御浜御殿」とは江戸にあった徳川将軍家の別邸の当時の呼び名です。御殿の庭園は「浜離宮恩賜庭園」として現在も人々に親しまれています。

K915-108-037-019
上村翁旧蔵浮世絵集(37)

『月百姿 雨後の山月 時致』

芳年
大判錦絵(1枚)
明治18(1885)年
版元:秋山武右衛門

月百姿 雨後の山月 時致

建久4(1193)年5月28日、曽我十郎祐成・五郎時致の兄弟は、富士の裾野に設けられた狩場の陣屋で、父の仇である工藤祐経を討ち果たし、長年の本懐を遂げました。この日本三大仇討ちの一つは『曽我物語』として広く語り継がれています。
物語では激しい雨の中の出来事として語られる夜討ちですが、本図のように雨上がりの場面として描かれることは珍しい趣向です。雲の切れ間から三日月がのぞく夜空を、ホトトギスが一声鳴いて飛び去る情景は、仇討ちを果たした時致の晴れやかな心情を象徴しているかのようです。

K915-108-037-080
上村翁旧蔵浮世絵集(37)

一魁隨筆曽我十郎祐成曽我五郎時致』

一魁斎芳年
大判錦絵(1枚)
明治5(1872)年
版元:不明

一魁隨筆曽我十郎祐成曽我五郎時致

建久4(1193)年5月28日夜、曽我十郎祐成・五郎時致の兄弟は、父の仇である工藤祐経を討つため、富士の裾野の狩場へと向かいました。降りしきる雨と吹きすさぶ風の中、兄弟は漆黒の闇を進みます。手にした松明の炎は風雨に揺らぎ、わずかな光で周囲を照らし出しています。強風になびく衣服や険しい表情からは、仇討ちを目前にした兄弟の緊張感となみなみならぬ決意が伝わってきます。
芳年は風雨に包まれた暗夜の情景を巧みに描き出し、物語の緊迫した場面を印象的に表現しています。

K915-108-039-029
上村翁旧蔵浮世絵集(39)

『桶狭間合戦稲川義元朝臣陳歿之図』

芳年
大判錦絵(3枚続)
元治元(1864)年3月
版元:藤岡屋慶次郎

桶狭間合戦稲川義元朝臣陳歿之図

本図は、永禄3(1560)年5月19日に起きた桶狭間の戦いの様子を描いたものです。尾張桶狭間(現・愛知県豊明市)で休息していた今川義元軍を織田信長軍が奇襲しました。義元は、一番槍を務めた信長家臣の服部一忠(通称は小平太)は退けましたが、毛利良勝(通称は新介)によって首を討ち取られてしまいました。敵に囲まれながらも太刀を抜き、最後まで勇ましく戦う義元の姿が色鮮やかに描かれています。
画題では、江戸時代まで徳川将軍家に仕えた今川家に配慮して、名字を「稲川」に変えています。

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