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2025(令和7)年12月のWeb版貴重書展示「古活字版」

群書治要

K074-1
『群書治要

NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」で蔦屋重三郎が行っていたように、江戸時代は整版印刷(木版印刷)による出版が主流でした。
整版とは、文字などを彫った板木のことで、整版印刷とは、板木の面に墨を塗り、紙を置いて刷り上げる印刷方式です。増刷が容易であるなど、商業出版向きだったことから、江戸時代には整版印刷によって大量の本が書店から刊行されました。
この整版印刷に対する印刷方式として、活版印刷があります。活字版印刷とも言い、彫刻や鋳造によって一字ずつ作った活字と呼ばれる字型を組み合わせて作成した版を用いた印刷のことです。
日本で活版印刷が本格的に普及したのは明治になってからですが、実は、近世初期の文禄年間(1592~96)から寛永年間(1624~44)の約50年間、活版印刷が主流だった時期がありました。木活字や銅活字によって当時印刷・刊行された書物は、「古活字版」と呼ばれ、現在では稀覯本(きこうぼん)として珍重されているものも少なくありません。

展示期間・場所

期間 11月29日(土曜日)~1月15日(木曜日)
場所 静岡県立中央図書館 閲覧室に入ってすぐの貴重書展示コーナー

展示資料一覧

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書名等 画像 略説

AC2
『論語』



論語

本書は、後陽成天皇(ごようぜいてんのう)(在位1586~1611)の勅命(ちょくめい)により刊行された、「慶長勅版」(けいちょうちょくはん)といわれる貴重な木活字(もくかつじ)本です。朝鮮から伝来した銅活字にならって大型の木活字が作られ、慶2(1597)年から慶長8(1603)年まで、本書のほか『日本書紀神代巻』(じんだいのまき)など多くの本が印刷されました。
表紙裏には「論語慶長己亥刊行」(つちのといかんこう)とあり、慶長4(1599)年の刊行であるとわかります。
また、弘前藩医で考証家(古い文書や物品などを考え調べ、証拠を引いて、物事の説明をする人)としても知られる渋江抽斎(しぶえちゅうさい)(1805~58)や儒者(じゅしゃ)(儒学とくにその経典(けいてん)を学びまた教える人)の林復斎(はやしふくさい)(1800~59)の蔵書印が捺(お)されています。

デジタルライブラリーへのリンク 論語 (左の画像は6コマ目)

K074/1
『群書治要』

群書治要

『群書治要』は、唐の太宗の命により、魏徴(ぎちょう)が『周易』(しゅうえき)、『尚書』(しょうしょ)、『論語』など60余りの古典の中から、政治の手本となる部分を抜き書きし、50巻に編集したものです。中国では宋代に散逸してしまいましたが、日本には奈良時代に遣唐使によってもたらされていました。
展示している『群書治要』は、「駿河版」と言われ、駿府隠居後の徳川家康の命によって鋳造された銅活字を用いて印刷されたものです。金沢文庫(鎌倉時代中期に北条実時(さねとき)が設けた武家文庫)に所蔵されていた写本、47冊をもとに刊行されました。家康はこの駿河版『群書治要』の完成の前に亡くなりますが、書物の出版をもって「知」の普及を目指した家康の文教政策の一つと言えます。本書は徳川頼宜(よりのぶ)の紀州転封の際に和歌山にもたらされ南葵文庫に保管されていたもので、昭和3(1928)年に紀伊徳川家の頼貞(よりさだ)侯により当館に寄贈されました。

デジタルライブラリーへのリンク 群書治要 (左の画像は3コマ目)

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『尚書』

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本書は、元和・寛永期(1615~1644年)に京都で出版されたと思われる古活字版(木活字本)で、『尚書』(しょうしょ)は五経(儒教の五つの基本的な経典)の一つ『書経』(しょきょう)の古名です。『書経』はもともと『書』と呼ばれ、その後『尚書』という言葉が用いられるようになり、宋代以降は『書経』へと呼称が変わりました。本書は、堯(ぎょう)(中国古代の伝説上の聖王)から秦(しん)の第9代君主である穆公(ぼくこう)(紀元前621年没)までの政治や思想を記したもので、もとは孔子が編纂したものと伝えられています。
また、日本の元号「昭和」や「平成」の出典として、本書の一節が用いられたことでも知られています。「昭和」は第1巻「尭典」(ぎょうてん)にある「百姓昭明にして、万邦を協和し」、「平成」は第2巻「大禹謨」(たいうぼ)にある「地平らぎ天成り」を典拠としています。

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