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2024(令和6)年9月のWeb版貴重書展示「安政の東海地震」

万留帳
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『静岡市史編さん資料 70 万留帳(よろずとめちょう) [30]』

幕末の安政年間(1854~1860)、日本の広範囲で大地震が発生しました。このうち、嘉永7(安政元、1854)年11月4日の東海地震と翌5日の南海地震は、南海トラフ沿いのプレート境界を震源域とする南海トラフ地震とされています。
『静岡県史』によると、安政の東海地震の被害が最も大きかったのは、沼津から天竜川河口にかけての静岡県沿岸一帯だったそうです。地震の揺れによる家屋の倒壊のほか、火災、津波、山崩れ、土石流、液状化などの複合災害も発生しました。
安政の東海・南海地震の後、南海トラフでは、昭和19年に東南海地震が、昭和21年に南海地震が発生しましたが、プレート境界面の破壊が及ばなかった駿河湾から御前崎沖が地震の空白域とされ、そこを震源とする東海地震への対策がとられることになりました。
しかし現在では、昭和の東南海・南海地震からも80年近く経過していることもあり、東海地震単独ではなく、南海トラフ全体を領域とする巨大地震への防災対策が進められています。

展示期間・場所

期間 8月31日(土曜日)~9月29日(日曜日)
場所 静岡県立中央図書館 閲覧室に入ってすぐの貴重書展示コーナー

展示資料一覧

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書名等 画像 略説

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『静岡市史編さん資料 70 万留帳 [30]』

静岡市史編さん資料 70 万留帳 [30]

安政元(1854)年に起きた安政東海地震により、駿府城内外の建物や石垣などは、ほぼ全壊しました。その後、駿府城の修復工事が行われることになりましたが、工事は他領 の者により落札されました 。
本書には「乍恐書付を以奉嘆願候(おそれながらかきつけをもってたんがんたてまつりそうろう)」として、府内の職人や日雇いの者のために地元雇用の拡大を求める嘆願書が載っています。工事が落札できなかったことに対する悲痛な思いや、震災により家屋を失い再建もままならない者たちが修復工事による手当を期待していたことなども書かれています。
安政3(1856)年11月14日のこの嘆願は聞き入れられず、駿府城の修復工事は安政4(1857)年8月2日に着工し、安政5(1858)年7月9日に完了しました。

デジタルライブラリーへのリンク(左の画像は29コマ目)

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『静岡市史編さん資料 70 万留帳 [32]』

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安政元(1854)年と安政2年(1855)に起きた地震(安政の東海・南海地震と安政の江戸地震)により、職人の手間賃が高騰しました。駿府町奉所では、手間費を震災以前に引き戻し、さらには公定価格を提案するよう棟梁たちに命じました。これに対して安政6(1859)年に各職棟梁たちが賃金の基準を提案しました。
本書には、その「乍恐以書付御訴奉申上候(おそれながらかきつけをもっておんうったえもうしあげたてまつりそうろう)」が収録されています。職種ごとに細かい条件で賃金が記載されています。

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『静岡市史編さん資料 130 地震并出火ニ付町方へ御救被下引続施米一件日記(じしんならびにしゅっかにつきまちかたへおすくいくだされひきつづきせまいいっけんにっき)』

静岡市史編さん資料130 静岡市史編さん資料130

本資料は、嘉永7(安政元、1854)年11月4日に発生した地震(安政の東海地震)の被災者に対し、「御救」として行われた炊き出しの様子を記録したものです。
初日の炊き出しでは、紺屋町(葵区)の少将井社(しょうしょういしゃ)(現在の小梳(おぐし)神社)で1,590人分の握り飯とお粥が用意されましたが、人々が先を争う危険な状況となりました。そこで、上魚町の秋葉社(現在の葵区金座町付近)でも炊き出しを行うこととし、開催日数を長くしました。炊き出しで配給された米は町奉行所からの下賜(かし)と有力商人からの寄付でまかなわれました。

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