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2024(令和6)年10月のWeb版貴重書展示「万留帳」

万留帳[1]
S222/8
『静岡市史編さん資料 70 万留帳(よろずとめちょう)[1]』

静岡市葵区七間町に現在もある別雷(わけいかづち)神社の境内には、江戸の中期から明治の初めまで、駿府の町方(まちかた)全体の事務所であり、町頭(まちがしら)たちの集会所でもあった町会所(まちかいしょ)がありました。旧版『静岡市史』には、『駿府地役巡見記』を引く形で、「往古この雷電寺(らいでんじ)(別雷神社の別当)は町家(まちや)の者の寄合所に取立、古絵図古書物町家の町役人其外諸書物を預け置く市中の会所なり。」と記されています。
当館が所蔵している『万留帳』は、その駿府町会所において年行事(ねんぎょうじ)(駿府町役人)となった町頭たちが書き留めた記録です。正徳5(1715)年から150年以上もの長きにわたって書き継がれており、近世の駿府町方を研究する上で貴重な資料とされています。
当館の「ふじのくにアーカイブ」では、『万留帳』の全文の画像を公開しています。元駿河古文書会副会長の石山幸喜氏による翻刻資料の画像も公開していますので、ぜひご利用ください。
デジタルライブラリーへのリンク 『萬留帳 [1]』(石山幸喜/翻刻)

展示期間・場所

期間 10月1日(火曜日)~11月4日(月曜日)
場所 静岡県立中央図書館 閲覧室に入ってすぐの貴重書展示コーナー

展示資料一覧

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書名等 画像 略説

S222/8

『静岡市史編さん資料 70 万留帳[1]』

万留帳 [1]

『万留帳』は正徳5(1715)年、駿府を襲った飢饉の記述から始まります。町方からの報告によれば、家を捨てて流浪する者は3月時点で168名、餓死者は最終的に21名に上ったとのことです。町方では有力商人による施粥(せがゆ)を行う一方、町奉行を通じて幕府による御救米(おすくいまい)の支給を歎願しました。歎願は実現しませんでしたが、飢饉の恐怖とその後の行動は町人たちの自治意識を大いに高めました。このことが『万留帳』の作成につながったものと思われます。
町会所には年次的記録として、『万留帳』のほかに『触書帳』(ふれがきちょう)『御触留』(おふれどめ)が引き継がれていましたが、『触書帳』と『御触留』が町奉行所や町方の触をそのまま写したのに対し、『万留帳』は町方の総意を取りまとめるプロセスや奉行所との交渉の詳細が記されています。『万留帳』はまさに町人たちの自治の記録というべきものでした。

デジタルライブラリーへのリンク 万留帳[1] (左の画像は2コマ目)

貴重書展示コーナーでは、万留帳[37]も展示しています。

デジタルライブラリーへのリンク 万留帳[37]

S092.2/3

『駿河国駿府町方文書 148 七間町三丁目絵図』

七間町三丁目絵図

当館所蔵「駿府町方文書」町絵図の1枚です。江戸時代、駿府七間町三丁目の雷電寺(現在の別雷神社)にあった町会所には付属の蔵があり、多数の古文書が保管されていました。明治維新後、これらの古文書は静岡町会所に引き継がれ、当絵図も絵図面の注釈によると、明治3(1870)年閏(うるう)10月に裏打ちを施されて大切に保管されました。
家数21軒から成る七間町三丁目の中央を走る北東-南西道路の北西側に50坪、南東側に60坪、計110坪の会所地(共用地)があり、雷電寺の控地(ひかえち)(寺が使用していない寺領)である南東側の60坪に町会所が建てられていました。ここで年行事(1~3か月交代の町政運営当番)の町役人たちが事務を執り、駿府町方全体に関わる会議を催していたのです。

デジタルライブラリーへのリンク(七間町三丁目絵図は152~154コマ目)

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