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2023(令和5)年7・8月のWeb版貴重書展示「夏の風物詩」

上野公園より不忍花火の夜景
K915-108-029-029
『上野公園より不忍花火の夜景』

夏の風物詩

Web版 貴重書展示~

あまり知られていないかもしれませんが、静岡県は全国でも有数の花火どころであり、経済産業省の統計によると、花火の出荷額は全国でもトップクラスです。
理由は様々ありますが、お隣の三河地方がもともと花火製造の盛んな地域で、その影響を受けたものとも言われています。
また、静岡県は伝統花火が盛んな地域でもあり、遠州新居の手筒花火や草薙の龍勢花火などは、全国でも有数の伝統花火です。
日本で最初に花火を観賞したのは徳川家康であるという説があります。その場所はなんと静岡で、慶長18(1613)年に駿府城で観賞したとの記述が残されています。
この花火に感銘を受けた家康が三河武士に花火の製造を命じたとも言われており、静岡県が花火どころになったのも家康のおかげなのかもしれません。

展示期間・場所

期間 7月1日(土曜日)~8月30日(水曜日)
場所 静岡県立中央図書館 閲覧室に入ってすぐの貴重書展示コーナー

(期間中、資料を入れ替えて展示します)

展示資料一覧

画像をクリックすると、拡大画像が表示されます。

書名等 画像 略説

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上村翁旧蔵浮世絵集『江戸名所両国橋花火』

(7月前半のみ)

江戸名所両国橋花火

隅田川の上には豪華な屋形船や小さな船、橋の上にもたくさんの人が描かれています。現代の花火と比べてしまうと、やや暗いと感じられますが、当時の賑わいが偲ばれます。

その賑わいは、江戸時代の文献『江戸年中行事』に、「五月廿八日同日より両国橋涼、花火ともし初、茶屋・見せ物、都にて七月下旬まで夜みせ出す」(現代語訳:5月28日より、両国橋での納涼にて花火を上げ始め、茶屋や見せ物など7月下旬まで夜店を出した)とあることからもわかります。

享保18(1733)年の5月28日に行われた水神祭で花火が打ち上げられたことを記念して、現在も5月28日は花火の日となっています。

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上村翁旧蔵浮世絵集『千代田之大奥七夕』

(7月前半のみ)

千代田之大奥七夕

千代田之大奥は、江戸時代の大奥を想像で描いた作品群です。
7月7日は「七夕の節句」で御座之間の縁端に果物や菓子の供物を盛った白木の台を置き、その四隅に葉竹を立てて、灯明を供えました。御目見以上の女中たちは自作の歌を書いた短冊を御年寄に渡し、御台所に披露された後、竹に結び付けられました。

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上村翁旧蔵浮世絵集『上野公園より不忍花火(しのばずはなび)の夜景』

(7月後半のみ)

上野公園より不忍花火の夜景

豊原国周(1835-1900)は、月岡芳年、小林清親と共に明治浮世絵の三傑に数えられ、役者絵が人気で明治の写楽と評されました。
江戸っ子気質の国周は宵越しの銭は持たず、画料が入ると酒を飲み、本人の談によれば117回の引っ越しを重ね、妻も40数回替わったという奇人でした。

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上村翁旧蔵浮世絵集『かばやき沢村訥升(さわむらとっしょう)』

(7月後半のみ)

かばやき沢村訥升

こちらの絵には、「かばやき」とあって、鰻を裂いている歌舞伎役者の沢村訥升が描かれています。沢村訥升とは、歌舞伎役者の名跡で、屋号は紀伊國屋で、沢村宗十郎に先立って襲名される名跡となっています。初代訥升は享和2(1802)年に生まれ、天保2(1831)年に訥升となり、天保15(1844)年に五代目沢村宗十郎を襲名した人です。改印からみてもこの絵は天保年間のものと考えられます。

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上村翁旧蔵浮世絵集『東京名所之内両国花火之図』

(8月前半のみ)

東京名所之内両国花火之図

両国橋は明暦の大火(明暦3(1657)年)をきっかけに、万治2(1659)年に架橋され、位置は現在よりも少し下流でした。橋の両側に火除地として広小路が設けられ、江戸随一の盛り場として賑わいました。両国橋での花火は現在の隅田川の花火の起源です。享保18(1733)年八代将軍吉宗が凶作・コレラの流行による犠牲者追悼と悪疫退散祈願のために行った水神祭の余興として行われたものが年中行事となり、今に続いています。

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『ろくろ首おつる』

(8月前半のみ)

ろくろ首おつる 歌川国貞(三代目豊国)による役者絵です。
ろくろ首は、「轆轤首」、「飛頭蛮」などと書く妖怪です。ろくろ首には、首が伸びるタイプと、首が抜け頭部が自由に飛行するタイプがありますが、これは伸びるタイプのろくろ首の「おつる」を描いています。
浮世絵のジャンルの一つである役者絵の中でも、芝居絵や歌舞伎絵と呼ばれるものです。ろくろ首を題材とした歌舞伎は江戸時代に大当たりしたそうです。

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上村翁旧蔵浮世絵集『東京開化三十六景両国花火』と『東京開化三十六景両国花火浅草橋』

(8月後半のみ)

東京開化三十六景 両国花火 両国花火浅草橋 三代目歌川広重は、初代広重、二代目広重に学びました。初代広重の養女に入婿した二代目広重が不仲で師家を去った後、入婿して広重の名跡を継ぎ、実際は三代目ですが、自らは二代目と称しました。
怒涛の如く押し寄せる文明開化の様子を、輸入アニリン紅を多用して描かれた明治の開化絵は「赤絵」と呼ばれました。この絵では暗い夜空に花火の赤が映えています。

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上村翁旧蔵浮世絵集『新形三十六怪撰皿やしき於菊の霊』

(8月後半のみ)

新形三十六怪撰皿やしき於菊の霊

新形三十六怪撰は、芳年(1839-1892)の晩年に描かれたシリーズ物で、芳年が生涯、重要なテーマとして探究してきた妖怪画の集大成です。古くから伝えられてきた説話を新しい感覚で描いたことから「新形三十六怪撰」と題したと言われ、当館では36点のうち31点を所蔵しています。
今展示では、その中から夏の怪談話でなじみ深い二人の幽霊、「皿屋敷のお菊さん」と「四谷怪談のお岩さん」を展示します。

主人の皿を割った罪で殺されたお菊が、夜な夜な井戸に現れ「1枚、2枚...」と悲しげに皿を数える、という話で有名な「皿やしきのお菊」。
芳年のお菊は新形三十六怪撰のシリーズの中でも他とは異なり、白く透き通るような体で怨めしそうにすすり泣く儚げな姿が描かれています。

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上村翁旧蔵浮世絵集『新形三十六怪撰四ッ谷怪談』

(8月後半のみ)

新形三十六怪撰四ッ谷怪談 四谷怪談のお岩さんと言えば、目の上が腫れた醜い姿をした幽霊をイメージしますが、芳年のお岩さんは違います。
屏風から垂れている帯が、蛇が鎌首をもたげた形をしていて怪異ではありますが、あまりにも恐ろしいお岩の描写を避け、子どもに添い寝をしている美しいお岩の姿が描かれています。

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