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2022(令和4)年10月のWeb版貴重書展示「城を歩く~『分國城圖』編~」

分國城圖

Q526-1『分國城圖』

城を歩く~『分國城圖』編~

~Web版 貴重書展示~

当館では1030日(日曜日)に講演会「戦国時代の城址講座 徳川家康最大の危機 ~二俣城・高天神城の陥落~」を開催します。

永禄3(1560)年、駿河、遠江、三河や尾張の一部にまで勢力を拡大していた今川義元が桶狭間の戦いで討たれ、今川氏が没落すると、その領地は三河の徳川氏と甲斐の武田氏により分割されていきます。そして、浜松城を拠点とする徳川家康と田中城を拠点とする武田氏が遠江の覇権をめぐり、高天神城や掛川城、二俣城、横須賀城などの争奪戦を繰り広げました。徳川家康というと、処世術に長けた、戦上手の知将というイメージがありますが、若かりし家康は武田軍に押され苦戦を強いられました。

今月は、前半に『分國城圖(ぶんこくじょうず)』に描かれた掛川城を、後半を同じく浜松城の縄張り図を展示します。この資料は当館デジタルライブラリーにて全ページがカラーでご覧いただけます。ぜひ、講演会と共に貴重書や関係資料もお楽しみください。

展示期間・場所

期間 10月1日(土曜日)~10月30日(日曜日)
場所 静岡県立中央図書館 入口入ってすぐの貴重書展示コーナー
(期間中、資料を入れ替えて展示します)

展示資料一覧

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書名等 画像 略説

526-1
『分國城圖(ぶんこくじょうず)』(2冊)

分國城圖

この資料は、当館の特殊コレクション「久能文庫」の1冊です。「久能文庫」は、明治19(1886)年初代静岡県知事に任命された関口隆吉が収集した資料です。

2巻本のうち上巻には東日本の70城、下巻には西日本の71城、合計141城が分国ごとに図面で記され、静岡県内については「遠江国 掛川、横須賀、浜松」「駿河国 田中」の各城が収録されています。各図面には東西南北や、本丸・二ノ丸・三ノ丸の位置、通路、池や堀などが統一した彩色で鮮やかに描かれています。

ところどころに寸法も記載されており、たとえば浜松城は、南の「大手」西側に「堀口大間長六十三間」、東側に「堀口九間長五十七間」、続いて北進する通路に「乾堀口六間長百六十二間」とあります。

1間=約1.8m 63間=約113.4m 57間=約102.6m 162間=約291.6m

遠江國掛川
(期間中前半)

遠江國掛川

掛川城は、遠江国佐野郡掛川(現在の掛川市)に築かれた城です。図の北東方向に、天王山(今川氏の家臣、朝比奈泰煕(あさひなやすひろ)が16世紀初頭に築いた掛川古城があった)が描かれていることから、永正10(1513)年頃、現在の場所に築かれた新城の図と考えられます。

掛川城は、付近を流れる逆川(さかがわ)を外堀に取り込み、内側に土塁(どるい)や石垣を使った曲輪(くるわ)と呼ばれる区画を作るなど、攻守に重きをおいた城でした。天正18(1590)年に山内一豊(やまうちかずとよ)が城主となると、当時の最新技術によって曲輪や堀の整備を行い、天守閣を新たに設けて平地の起伏を活かした近世平山城(きんせいひらやまじろ)へと大改修が行われました。

遠江國濱松
(期間中後半)

遠江國濱松

永禄11(1568)年、徳川家康は遠江へ侵攻します。その2年後の元亀元年、家康は、今川氏家臣の飯尾氏の居城であった引馬城(ひくまじょう)(「引間城」「曳馬城」とも書く)を取り込んで西側に拡大した大きな城を築城し、浜松城と名付けました。三河と遠江の2か国を領地とした家康は、岡崎城を息子の信康に譲り、浜松城を拠点に戦国大名として領地を拡大していきます。天正14(1586)年に駿府城へ居城を移すまでの約17年間を浜松城で過ごしています。

この頃の浜松城は、石垣や天守などはなく、湿地帯や丘陵などの自然の地形を利用した土塁(どるい)や堀からなる城であった可能性が高いと言われています。

家康が関東へ移封となった後は、豊臣秀吉家臣の堀尾氏が入城するなど数々の大名が城主となり、幕府の要職についた者も多いため「出世城」と呼ばれています。浜松城は、明治6(1873)年に廃城となりました。

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