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2021(令和3)年2月のWeb版貴重書展示 「富士を望む風景」

白梅に富士山の図

K915-108-048-060『白梅に富士山の図』

富士を望む風景

~Web版 貴重書展示~

富士山に関する有名な"県民あるある"に「静岡県民と山梨県民は、富士山がどちらの県のものかで論争になる」というものがあります。実際は、富士山の県境は未確定で、頂上付近も富士山本宮浅間大社の私有地ですので、どちらのものとも言えません。
また、富士山の見える範囲は意外に広く、東京でも建物がなければ路上から富士山を見ることができます。なんと福島県でも見えるポイントがあるそうです。
このように富士山は静岡・山梨両県民に限らず、実に多くの日本人が目にし、文化や信仰の対象になってきました。江戸時代には、富士登山に行けない人のために、小型の築山「富士塚」が各地に作られたり、多くの浮世絵師が富士山を画題にした浮世絵を描いたりしました。
富士山を望む風景は、今でも絵画や写真の画題として日本中で愛されています。

展示期間・場所

期間 2月2日(火曜日)~2月28日(日曜日)
場所 静岡県立中央図書館 閲覧室 貴重書展示コーナー
(期間中、資料を入れ替えて展示します)

展示資料一覧

画像をクリックすると、当館デジタルライブラリーの該当資料が表示されます。

書名等 画像 略説
S291/15
天保三年 伊豆紀行
『九十五年前伊豆(付録の画帳)』
※前半のみ
九十五年前の伊豆

本書は、江戸幕府の浜御殿(現在の浜離宮庭園にあった将軍の御殿)奉行であった木村喜繁(きむらよししげ)が、天保3年(1832)10月に伊豆を視察した時の紀行文とその画帳です。

伊豆国君沢(きみさわ)河内(こうち)村(沼津市)の樟木(しょうぼく)御林(おはやし)武蔵国(むさしのくに)新座郡(にいくらぐん)(埼玉県の南東部から東京都北部)の御薬園を検分するよう幕命を受けた喜繁は、滞在先の長浜村(沼津市)でマグロの大漁を目撃しました。

絵心のあった喜繁が各地の風景を写生した水彩画と、22日間の旅の感想を綴った紀行文は、当時の静岡県東部の人々の生活と文化を知る上で重要な資料となっています。

S220/1
駿国雑志(すんこくざっし) 巻之23
※前半のみ

駿国雑志

『駿国雑志』は、駿河加番(かばん)(駿府城の警備役)として駿府に赴任した阿部正信(まさのぶ)が、天保4(1843)年に記した、全4978冊から成る駿河国の地誌の写本です。

駿河全郡の地理、歴史、風俗、人物、植物など、多岐に渡った内容について書かれており、また、彩色をほどこした挿絵もふんだんに盛り込まれているのが特徴です。写本のため、阿部正信自身の画才に関して正確なところは分かりませんが、文才のみならず画才も持ち合わせた人物であったことが想像されます。

巻之23は、すべてが絵図で占められており、白糸の滝、富士川、浅間神社(現静岡浅間神社)などが描かれています。この絵図には、三保浦(みほのうら)(現静岡市清水区三保)から見た駿河湾や薩埵峠(さったとうげ)などの風景が描かれており、美しく雄大にそびえる富士山は迫力満点です。

K915/108
『富士三十六景はこねの湖すい』
※後半のみ

富士三十六景はこねの湖すい

この作品は富士山を題材とした「富士三十六景」の中の1作です。芦ノ湖畔の高所から富士山を眺望する構図で描かれ、荒々しい崖に囲まれた芦ノ湖とは対照的に、富士山が静謐(ひつ)凛(りん)とした姿を見せています。

「富士三十六景」は広重が亡くなった後の安政6年に出版が開始されましたが、広重はそれ以前にも「不二三十六景」というシリーズを手掛けていて、このシリーズの中にも「箱根山中湖水」という作品があります。同じ湖越しに見る富士山ですが、視点はぐっと下がって湖の岸辺から見た風景です。三十六景といえば北斎の「富嶽三十六景」があまりにも有名ですが、広重も自分独自の富士山を表現しようと試行錯誤していたのでしょうか。近年、「富士三十六景」も広重最晩年の作品として再評価されています。

K223/8
『やをかの日記』
※後半のみ

やをかの日記

江戸末期の国学者であり、歌人でもある 岩雲(いわくも)花香(はなか)による天保2年の富士登山記です。岩雲花香は阿波の人で、平田篤胤の尊王攘夷論を信奉し、勤皇を説きながら全国を行脚、自身の弟子からは勤皇の志士を輩出しました。

この日記は、伊豆の国の多田村(現伊豆の国市韮山)を訪れた際に、富士山へ登ることを思い立ち、その道中の8日間の旅の様子を記したものです。その日数から「八日の日記(やをかのにっき)」というタイトルが付けられました。

荒木神社(源頼朝が祈願参拝の折、社木に馬の蔵を掛けたことから鞍掛明神の名もある。)や三嶋の神社に詣でたこと、須走の滝でみそぎを行ってから富士浅間神社に参拝したこと、箱根の湖を見ながら登ったことなど、旅の様子が多くの和歌とともに書かれており、当時の富士登山の様子がわかります。

K915-108-048-060
『白梅に富士山の図』
※後半のみ

白梅に富士山の図

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