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2020(令和2)年10月・11月のWeb版貴重書展示 「静岡県立大学企画展 岡村昭彦 連携展示」

岡村昭彦

岡村昭彦 -1960年代 南ベトナム―

静岡県立大学企画展 岡村昭彦 連携展示

~Web版 貴重書展示~

岡村昭彦氏は、晩年舞阪町(現浜松市)を拠点に活動を行っており、岡村氏が監訳した『ホスピス 末期ガン患者への宣告』は、1980年代初めの日本におけるホスピス運動黎明期において大変貴重な文献となりました。
現代日本の黎明期と考えられる江戸時代後期から、幕府は欧米列強に対抗するため西洋の技術や知識を積極的に入手する必要があり、江戸幕府が収集した書物には西洋のものが多く含まれています。江戸幕府旧蔵書を引き継いだ当館の特殊コレクション「葵文庫」においても、3,586冊中、西洋の書物は2,325冊と3分の2以上を占めます。また、オランダ語やフランス語の資料の翻訳が盛んに行われるようにもなり、当館所蔵の他の貴重書にも、西洋の書物を翻訳したものが多くあります。
近世から近代への移行期の日本は急激な成長を成し遂げていきましたが、その背景には、このような西洋の書物の収集や各書物の翻訳や辞書の編さんがありました。どの時代においても、書物は後の発展に貢献する重要なものだということが、これらのことからもよく分かります。

展示期間・場所

期間 10月20日(火曜日)~11月29日(日曜日)
場所 静岡県立中央図書館 閲覧室 貴重書展示コーナー
(期間中、資料を入れ替えて展示します)

展示資料一覧

画像をクリックすると、当館デジタルライブラリーの該当資料もしくは拡大画像が表示されます。

書名等 画像 略説
AJ8
『厚生新編』
※前半のみ
厚生新編

本書は、フランス人ショメールが編集した家庭百科事典のオランダ語版を原本とし、日本語に翻訳したものです。徳川幕府は、文化8(1811)年、浅草暦局内に蛮書和解御用(ばんしょわげごよう)を置き、高橋景保(たかはしかげやす)指揮の下、馬場佐十郎(ばばさじゅうろう)、大槻玄澤(おおつきげんたく)を訳員として翻訳に着手しました。これが、公に洋書を訳読するはじまりであったと伝えられています。以後、天保年間まで継続しましたが、原著の全部を訳了するまでに至らなかったと言われています。本書は、昭和45(1970)年に大阪で開かれた世界万国博覧会フランス館に出品するため、フランス政府から借用申込みがあり、その一部を出品しました。

K070/3
『ヅーフハルマ(長崎ハルマ)』
※前半のみ
ヅーフハルマ

本書は、オランダの商館長ヘンドリック・ヅーフ(1777-1835)が、フランソワ・ハルマの『蘭仏辞典』(第2版1729年)を原本に、長崎通詞と協力して編集した蘭和辞典で、当時最良の辞典とされています。写本が33部作られ、幕府や長崎奉行所及び江戸天文方に一部ずつ分置され、その他の写本はさかんに転写され、全国で利用されました。
本書は当時最大の蘭和辞典でもあり、約4万5千の単語と5万余の短句・短文が収録されています。翻訳には、日本語の意味を十分に示すために口語を採用し、長崎の方言も使用しています。この方法が厳密な例文と平易な訳文を生み出し、後の対訳辞書の模範となりました。

402.10/オオ
『蘭学階梯(らんがくかいてい)』
※後半のみ

蘭学階梯

蘭学階梯

大槻玄沢(宝暦7年-文政10年(1757-1827))は、江戸後期の蘭学者・蘭方医で、現在の岩手県一関市の藩医大槻玄梁の子として生まれました。名は茂質、 字は子煥(しかん)、号は磐水(ばんすい)で玄沢は通称です。はじめ建部清庵(たてべせいあん)に医学を学びその後江戸に出て、杉田玄白からオランダ医学を、前野良沢からオランダ語を学びました。その後天明年間には、江戸詰めの仙台侯の侍医となり、家塾芝蘭堂(しらんどう)を開き多くの門人を輩出しました。文化年間には、幕命によって天文方蛮書和解御用(ばんしょわげごよう)となり、 ショメールの百科事典(『厚生新編(こうせいしんぺん)』)の翻訳にあたりました。
『蘭学階梯』は、まとまった形で刊行された日本で最初の蘭学入門書です。全2巻からなり、上巻ではオランダとの交渉や蘭学の始まり、蘭学のすすめを説き、下巻では、 アルファベットからはじまるオランダ語の初歩、舶来の書籍名、蘭学学習一般に関する注意等を略述しています。本書は広く流布し蘭語(オランダ語)の普及・発展に貢献しました。

Q611-27
『民間備荒録(みんかんびこうろく)』
※後半のみ

民間備荒録

         

建部清庵(たてべせいあん)は一関藩(いちのせきはん)(現在の岩手県一関市)の藩医で、『解体新書』を翻訳していた杉田玄白(すぎたげんぱく)とも書簡を交わしています。
凶作から食糧不足が度々起こった東北地方では、宝暦5(1755)年は旧暦5月から8月末まで長雨が続きました。痩せ細る人が増える惨状のなか書き上げたこの本は、さらに繰り返す飢饉の救済策に対応して次々と版を重ね、明和8(1771)年には江戸の版元から日本初の本格的救荒書として刊行されました。
上巻には飢饉に備えて植物を栽培し、貯蔵する方法を、下巻には餓死や凍死をしそうな人を救う方法、草木や生豆、生葉の食べ方や生葉で中毒した時の治療法が書かれています。

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