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富士山関係資料デジタルライブラリー(富士家文書)

富士山関係資料デジタルライブラリー
浅間大宮司富士家文書

富士氏は代々富士浅間神社(現:富士宮浅間大社)の大宮司をつとめ、富士山を拝礼する祭儀を司っていました。また戦国期には国人領主として周辺地域を支配下におさめていました。

富士家文書は富士氏が所蔵していた文書で、中世を中心とした現在の静岡県域の歴史を深く知ることができる貴重な資料です。当館所蔵の大宮司富士家文書の内訳は、中世文書34通、近世文書2通であり、数通を除き巻子本4本に収められています。

後醍醐天皇綸旨(宿紙)
資料年月日(西暦) 正慶 2(1333)年09月 03日
要文 九月三日、後醍醐天皇、駿河国下島郷地頭職を富士浅間宮に寄進する
後醍醐天皇綸旨(宿紙)
資料年月日(西暦) 建武 1(1334)年 09月 08日
要文 九月八日、後醍醐天皇、駿河国富士郡上方を富士浅間宮に寄進する
上杉憲将奉書
資料年月日(西暦) 観応 2(1351)年 01月 18日
要文 正月十八日、駿河国富士大宮司、甲斐国通路の警固を命じられる
後花園天皇口宣案
資料年月日(西暦) 寛正 3(1462)年 11月 02日
富士浅間宮物忌令
資料年月日(西暦) 明応 6(1497)年 07月 02日
要文 七月二日、駿河国富士浅間宮の物忌令が整えられる
今川氏親判物
資料年月日(西暦) 大永 3(1523)年 12月 19日
要文 十二月十九日、今川氏親、出家した馬淵弥次郎の所領を、同松千代に給付する
今川氏輝判物
資料年月日(西暦) 天文 1(1532)年 11月 27日
要文 十一月二十七日、今川氏輝、駿河国星山代官職を、富士宮若に安堵する
今川義元感状(切紙)
資料年月日(西暦) 推定 天文 6(1537)年 03月 08日
要文 三月八日、今川義元、駿河国小泉における、富士宮若の戦功を賞する
今川義元判物
資料年月日(西暦) 天文 6(1537)年 05月 15日
要文 五月十五日、今川義元、富士宮若に、駿河国田中・羽鮒の名職等を給与する
穴山信友寄進状
資料年月日(西暦) 天文 16(1547)年 02月 02日
要文 二月二日、穴山信友、駿河国富士浅間社に刀を奉納する
今川義元判物
資料年月日(西暦) 天文 22(1553)年 03月 24日
要文 三月二十四日、今川義元、富士又八郎に、駿河国富士上方当知行百姓内徳を安堵する
今川氏真判物
資料年月日(西暦) 永禄 4(1561)年 07月 20日
要文 七月二十日、今川氏真、駿河国富士大宮司分代官職葛山頼秀を罷め、富士信忠に替える
今川氏真感状(小切紙)
資料年月日(西暦) 永禄 6(1563)年 12月 20日
要文 十二月二十日、今川氏真、遠江国飯田口合戦における富士又八郎・小笠原与左衛門尉の戦功を賞する
今川氏真朱印状(折紙)
資料年月日(西暦) 永禄 9(1566)年 04月 03日
要文 四月三日、今川氏真、駿河国富士大宮月六度の市を、楽市とする
北条氏政判物
資料年月日(西暦) 推定 永禄 11(1568)年 12月 19日
要文 十二月十九日、北条氏政、駿河国大宮城に楯籠る給人の領地を安堵し、無足人の恩賞を約束する
北条氏政判物
資料年月日(西暦) 推定 永禄 11(1568)年 12月 19日
要文 十二月十九日、北条氏政、駿河国大宮城に楯籠る給人の領地を安堵し、無足人の恩賞を約束する
北条氏康書状
資料年月日(西暦) 推定 永禄 12(1569)年 02月 25日
要文 二月二十五日、北条氏康、駿河国富士信忠に、敵地偵察を要請する
北条氏政書状
資料年月日(西暦) 推定 永禄 12(1569)年 05月 28日
要文 五月二十八日、北条氏政、富士信忠に、駿河国の処置について告げる
北条氏政書状
資料年月日(西暦) 推定 永禄 12(1569)年 閏 05月 03日
書名 中世三 資料番号 3761 ページ 1439
要文 閏五月三日、北条氏政、今川氏の名跡が北条氏直に渡されたことを諸士に告げる
北条家朱印状
資料年月日(西暦) 推定 永禄 12(1569)年 08月 04日
書名 中世四 資料番号 72 ページ 27
要文 八月四日、北条家、駿河国富士上方給人衆らの寄親糺明のため、代表を出頭させる
北条氏政判物(折紙)
資料年月日(西暦) 永禄 12(1569)年 12月 17日
要文 十二月十七日、北条氏政、富士信忠に、駿河国大宮城回復を命じ、その折りには同国遊野郷等を与えることを約束する。また、居住の地として伊豆国河津の内を与える
今川氏真判物
資料年月日(西暦) 元亀 2(1571)年 10月 26日
要文 十月二十六日、今川氏真、富士信通に、先年の駿河国大宮城における戦功を賞し、暇乞いを認める
武田家朱印状
資料年月日(西暦) 推定 元亀 3(1572)年 04月 02日
要文 四月二日、武田家、原昌胤に、駿河国から甲斐国へ向う富士信忠の路次の安全を命ずる
武田勝頼判物
資料年月日(西暦) 天正 1(1573)年 07月 25日
要文 七月二十五日、武田勝頼、富士信通に、駿河・遠江両国内で所領を与える
武田勝頼判物
資料年月日(西暦) 天正 1(1573)年 10月 14日
要文 十月十四日、武田勝頼、富士信通に、駿河国竜泉寺の内等を与える
武田家朱印状
資料年月日(西暦) 天正 1(1573)年 12月 17日
要文 十二月十七日、武田家、駿河国富士浅間社大禰宜に、流鏑馬銭の徴収を安堵する
武田勝頼判物
資料年月日(西暦) 天正 5(1577)年 03月 16日
要文 三月十六日、武田勝頼、富士信通を駿河国富士浅間社大宮司に補任し、神前献納物を支配させる
武田家朱印状
資料年月日(西暦) 天正 5(1577)年 03月 16日
要文 三月十六日、武田勝頼、富士信通を駿河国富士浅間社大宮司に補任し、神前献納物を支配させる
武田家朱印状
資料年月日(西暦) 天正 6(1578)年 05月 29日
要文 五月二十九日、武田家、駿河国富士浅間社大宮司富士信通に社法を下す。また、大宮町中に禁制を下し、同町中の諸役を免除する
武田家朱印状
資料年月日(西暦) 天正 6(1578)年 05月 29日
要文 五月二十九日、武田家、駿河国富士浅間社大宮司富士信通に社法を下す。また、大宮町中に禁制を下し、同町中の諸役を免除する
武田家朱印状
資料年月日(西暦) 天正 6(1578)年 10月 26日
要文 十月二十六日、武田家、富士信通に命じて、駿河国大宮宿の住人に富士浅間社の社中掃除役を勤めさせる
武田勝頼書状(切紙)
資料年不詳
要文 十月二十六日、武田家、富士信通に命じて、駿河国大宮宿の住人に富士浅間社の社中掃除役を勤めさせる
武田勝頼書状(切紙)
資料年不詳
要文 三月十日、武田勝頼、某に、駿河国方面番手のため、甲府に来るよう命ずる
後陽成天皇綸旨(宿紙)
資料年月日(西暦) 天正 15(1587)年 09月 01日
要文 九月一日、後陽成天皇、駿河国富士浅間社大宮司富士信通・同公文宮次郎・同段所与八郎・同安住又十郎に、衣冠を着することを許す
幕府裁許状
資料年月日(西暦) 天和3(168)年
本 淡路 坂 内記 板 伊予 水 右衛門から大宮司 宝幢院 公文 案主あて
幕府裁許状
資料年月日(西暦) 享保10(1725)年
小 信濃 大 備中 黒豊前から大宮司あて