江戸後期・明治初期の歴史/文化・文政期(1804年〜1830年)
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3[文化・文政期(1804年〜1830年)]2

 1811年(文化8)天文方蛮書和解御用掛(ばんしょわげごようがかり)が設けられ、馬場佐十郎、大槻玄沢(おおつきげんたく)らによって、フランス人ノエル・ショメルの家庭百科事典(蘭訳本)の翻訳が開始された。この事業は1845年(弘化2)頃まで続けられ、厚生新編と名付けられた。

 同年、ロシアの艦長ゴロウニンは、南千島の測量中に、わがクナシリ島守備隊に捕らえられ、松前近郊の福山に拘留された。

 1812年ヨーロッパではナポレオンのロシア遠征が失敗し、翌年のライプチッヒの戦いでも敗れ、連合軍がフランスに侵入した。この年、ナポレオン1世の命によって、フランス人宣教師が漢字をラテン語とフランス語で訳した漢字西訳を刊行した。その頃、フランス人宣教師は中国での布教活動を積極的に行っていた。

 同年、馬場佐十郎は拘留中のゴロウニンのもとに派遣されて、ロシア語を学んだ。前年、幕府御用船頭高田屋嘉兵衛がクナシリ島海上で、ロシア船に捕らえられて連れ去られたが、日ロ交渉が成立し、高田屋嘉兵衛とゴロウニンの交換が実現した。帰国を許されたゴロウニンは、日本での体験を書いて出版し、やがて、その蘭訳本が輸入され、馬場佐十郎、高橋景保は翻訳して遭厄日本紀事(そうやくにほんきじ、岩波文庫本では「日本幽囚記」)と名付けた。

<参考文献>

 
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