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7 「徳川慶喜公屋敷跡」石柱(西草深町慶喜邸跡)~鉄道を避けて転居~

 紺屋町の屋敷に住んでいた徳川慶喜は、東海道線開通前年の1888(明治21)年3月6日、西草深に転居した。ここでの慶喜の生活は東京に戻る1897年11月16日まで約10年近く続いた。慶喜が東京に去った後、この屋敷は葵ホテルとなり、日露戦争時にはロシア兵の捕虜収容所となったが、1905年8月に火事で焼失した。

<参考文献 記号は静岡県立中央図書館請求番号>

前田匡一郎『慶喜邸を訪れた人々』(羽衣出版)<S289/ト13-37>
前林孝一良『徳川慶喜 静岡の30年』(静岡新聞社)<S289/ト13-9>
静岡県日本史教育研究会編『静岡県の歴史散歩』(山川出版社)<S290/90>
静岡県『輝く静岡の先人』<S280/234>

「徳川慶喜公屋敷跡」石柱(西草深町慶喜邸跡)
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