辞書・辞典の系譜/幕末・明治初期の英和辞典等の系譜
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[幕末・明治初期の英和辞典等の系譜]
 幕末になると、蘭学に代って英学、仏学、独学が盛んになった。これは当時の世界情勢におけるオランダの地位、国力にもよるが、英仏独の学術、文化の地位および外交上の必要が大きく影響している。


 福沢諭吉が横浜に出て蘭学が実用に劣ることを悟り、英語を学ぶのに藩で購入してもらったホルトロップ「英蘭・蘭英辞書」(John Holtrop「English and Dutch dictionary; Nederduitsch en Engelsch woordenboek,1823-24」<AN−91>により独学で学び始めたことは有名な話である。なお、「英蘭・蘭英辞書」<AN−91>は、「新英蘭・蘭英辞書(1789-1801)」<AN−92>の再版である。
英語のみならず、フランス語にしてもオランダ語との対訳辞書を用いて学んだことが伺える。ピカ−ド「新ポケット英蘭辞典」(H.Picard「A New Pocket Dictionary of the English and Dutch Languages 第2版 1857」<AN−173>)もこうしたなかの一つである。

 文久2年(1862)幕府は始めて海外留学生榎本武楊(えのもとたけあき)、赤松則良(あかまつのりよし)、津田真道(つだまみち)、西周(にしあまね)らをオランダに派遣、その後ロシア、イギリスにも留学生が派遣された。こうした中で、洋書調所では堀達之助が中心となり「英和対訳袖珍辞書(えいわたいやくしゅうちんじしょ)」<830.3-110>(複製本)が編纂・出版された。 これは我が国の本格的な英和辞典であり、ピカ−ド「新ポケット英蘭辞典」の蘭語の部に日本語をあてはめたものである

 しかし、200部のみの印刷で需要を満たし得ず、慶応2年(1866)堀越亀之助が改訂増補して「改正増補英和対訳袖珍辞書」<K012-58>として出版した。 その後さらに版をかえ慶応3年(1867)、明治2年(1869)と増し刷りを重ねた。

 明治2年の「和訳英辞書」(薩摩辞書)(複製本)<833-34>、明治5年の「英和対訳辞書」(開拓使辞書)<K012-75>、明治7年の「広益英倭字典」などは、すべて「英和対訳袖珍辞書」と内容は殆ど変わっていない。
また慶応3年(1867)には、幕末に来日したアメリカ人宣教師ヘボンの編集による我が国最初の和英辞典「和英語林集成」(復刻版)<830.3-108、830.3-109>が刊行された。

 幕末から明治初期にかけての英和辞典は、「英和対訳袖珍辞書」等に見られるように、英蘭辞典のようなオランダ系の辞書に依存するものが多かった。しかし、明治6年(1873)にはオランダ語に頼らず、英英辞典を参考にした「附音挿図英和字彙(ふおんそうずえいわじい)」<830.3-111>が編纂された。原本は英国人オウグルビィ−(J,Ogilvie 1797-1867)の「Comprehensive EnglishDictionary 1863」が用いられた。さらに訳語の特徴から「改正増補英和対訳袖珍辞書」やロプシャイト(W,Lobscheid)の「英華字典」(「An English and Chinese Dictionary1866、1869」<G823-11>)なども利用されたと推測されている。ロプシャイトの辞書は日本の英学者にもよく利用され、明治16年(1883)には日本人向けに改編した「訂増英華字典」(「An English and Chinese Dictionary」<AO-8>が編纂された。

 
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