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書誌情報サマリ

書名

新説原谷本郷にある曽我兄弟墓の謎  墓の名は江戸時代中期に付けられた   発掘原谷史 1  

著者名 佐藤 收一/著
著者名ヨミ サトウ シュウイチ
出版者 佐藤收一
出版年月 2011.1


書誌詳細

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タイトル番号 1002000204041
書誌種別 地域資料
書名 新説原谷本郷にある曽我兄弟墓の謎  墓の名は江戸時代中期に付けられた   発掘原谷史 1  
副書名 墓の名は江戸時代中期に付けられた
著者名 佐藤 收一/著
書名ヨミ シンセツ ハラヤ ホンゴウ ニ アル ソガ キョウダイボ ノ ナゾ ハカ ノ ナ ワ エドジダイ チュウキ ニ ツケラレタ  
著者名ヨミ サトウ シュウイチ
叢書名 発掘原谷史
叢書巻次
出版者 佐藤收一
出版地 〔掛川〕
出版年月 2011.1
ページ数 10p
大きさ 30cm
価格 非売品
言語区分 日本語
分類 S232
件名 掛川市-歴史 曽我兄弟
累積注記 奥付の副書名:墓名は江戸時代中期に付けられた
目次 1、全国18カ所に曽我兄弟の墓がある…いったい何故、(1)、本郷の曽我氏の墓は全国的に見て特異な存在その謎に迫る、2、なぜ長福時に曽我五郎の墓があるのか、(1)、なぜ、菩提寺の工藤氏でなく敵方曽我五郎の墓なのか、(2)、今川・北条軍の明応年間の本郷大侵略、(3)、戦国期後半に長福寺と原氏の間が亀裂、なぜ本郷発展の両輪が確執なのか、3、長福寺の供養塔が曽我五郎の墓と呼ぶのは江戸中期から、(1)、なぜ江戸中期なのかその根拠は忠臣蔵にある、(2)、長福寺は寛保3年(1743年)、に全焼する寺院再建が悲願の時だった、(3)、討ち入りの吉良邸の隣は森町領主の土屋邸森町は話題騒然本郷も同様、(4)、江戸期は森町は秋葉道の中核宿場本郷宿は通過休憩宿江戸を始め多くの旅人が行き来してやってきた人・物・事が、(5)、秋葉道は信仰の道、生活の道、政治の道、経済・文化の等の交易の道であった本郷村にも多くの人や物や情報の江戸文化が入ってきた、4、曽我兄弟の仇討ち場所の富士市を訪ねて、(1)、元禄に起こった赤穂浪士事件は曽我兄弟ブームに火をつけた本郷に伝わる、(2)、富士市の曽我寺と曽我八幡宮を訪ねて分かったこと、1、曽我寺について、2、曽我八幡宮について、5、仇討ち曽我兄弟は全国的な大ブーム、本郷長福寺に影響大、(1)、曽我八幡宮や曽我寺の、「出開帳」、で莫大な資金調達、(2)、本郷長福寺は寛保3年に全焼する寺院再建の資金が急務である、江戸期に曽我兄弟と名付けた理由は長福寺再建資金獲得である、(3)、長福寺縁起略図が伝えるもの…、(4)、江戸期に描かれた長福寺山門前の絵図、(木刀が奉納されている)、(5)、曽我物語は国定教科書に掲載される昭和一桁世代は本郷の曽我兄弟の墓の前で現地授業を受けている



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No. 資料番号 所蔵館 請求番号 配架場所 資料種別 帯出区分 状態 貸出
1 0006333165県立図書館S232/194/書庫5地域資料貸禁資料 在庫     ×

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掛川市-歴史 曽我兄弟
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