辞書・辞典の系譜/家庭用百科事典の訳出
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[家庭用百科事典の訳出]
 18世紀末ごろからロシア船、イギリス船、アメリカ船などが来航し、通商を求めたり、薪水を要求したりしてきた。こうした状況を踏まえて幕府は長崎通詞にフランス語、ロシア語、英語を兼修させる一方、世界地図等の翻訳・出版の必要性から、文化8年(1811)天文方に蕃書和解御用(ばんしょわげごよう)を設置した。


 ここでまず着手されたのは、当時蘭学者の間で評価の高かったショメ−ルのオランダ語訳家庭用百科事典(Noel Chomel原著「Huishoudelijk Woordenboek」<G035−10>の翻訳であった。 この事典は種々の工芸・物品等の製造法その他の実用的、技術的知識が多く含まれていて、その中から利用厚生に役立つ知識・技術の項目を取り上げて訳出しようとしたものであった。この訳出事業は文化8年(1811)から弘化2年(1845)頃まで続けられ、「厚生新編」<AJ−8>として残されている。


 昭和になってこの続稿ともいうべき稿本が見出され、これも当館の所蔵となっている(「厚生新編 雑集」32冊<035−2>)。いずれにしても、この翻訳事業により蘭学が公の学として認められたといわれ、江戸時代最大の翻訳事業であった。

 
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