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2023年(令和5)年10月のWeb版貴重書展示 「家康ゆかりの書物」

群書治要

将軍職を譲り、大御所として駿府に移った徳川家康は、駿府城内に文庫(書庫)を設けました。この文庫を駿河文庫といい、儒学者で林家の祖として知られる林羅山が管理に当たりました。
駿河文庫の蔵書は約千部1万冊に及び、家康の没後、遺命を受けた林羅山により、江戸城の紅葉山文庫に移されたほか、尾張、紀伊、水戸の御三家に分賜されました。これら駿河文庫から分賜された書物のことを駿河御譲本といいます。
家康は駿府で出版事業も行いました。かつて京都の伏見で木活字による書物の刊行(伏見版)を行っていた家康は、駿府では金地院崇伝、林羅山らに命じ、銅活字による書物の刊行を行いました。その作業は駿府城内で行われ、臨済寺や清見寺の僧たちも手伝いました。
この時刊行された『大蔵一覧集』と『群書治要』は駿河版とよばれ、日本で最初の銅活字本として知られています。

展示期間・場所

期間 9月30日(土曜日)~10月29日(日曜日)
場所 静岡県立中央図書館 閲覧室に入ってすぐの貴重書展示コーナー
(期間中、資料を入れ替えて展示します)

展示資料一覧

画像をクリックすると、当館デジタルライブラリーの該当資料もしくは拡大画像が表示されます。

書名等 画像 略説

Q020/1
『右文故事(ゆうぶんこじ)』

右文故事

『右文故事』は、幕府の書物奉行の職にあった近藤正斎(通称は重蔵)が、紅葉山文庫(幕府が江戸城内の紅葉山に設けていた文庫)に所蔵する貴重書の考証をまとめた書です。近藤正斎は貴重書の取扱いについて建言し、目録の改訂に着手するなど、書物奉行の職務に意欲的に取り組みました。本書には、徳川家歴代将軍の学芸上の事績を顕彰した内容も記されています。
本書は、巻1~3『御本日記附注』(家康没後、江戸城に移された書籍について林羅山が記した「御本日記」の解説)、巻4~6『御本日記続録』、巻7~8『御写本譜(ごしゃほんふ)』、巻9~13『御代々文事(ごだいだいぶんじ)表』(家康から吉宗まで、歴代将軍の学芸関係年表)、巻14~15『御代々御詩歌』、巻16『慶長勅版考(ちょくはんこう)』の諸篇で構成されています。文化14(1817)年、幕府に献上されました。
当館では、『御代々御詩歌』を除いた14巻と、右文故事附録3巻を所蔵しています。


K071/2
『春秋公羊伝(しゅんじゅうくようでん)』
(前半のみ)

春秋公羊伝 春秋公羊伝

『春秋公羊伝』は孔子(こうし)の作とされる『春秋』に孫弟子の公羊高が注釈を加えたものです。これは、家康の命により、将軍家と御三家(尾張、紀伊、水戸)に分賜(ぶんし)された駿河御譲本(するがおゆずりぼん)の中の一つです。尾張藩主徳川義直に与えられたもので、義直の蔵書印とされる「御本(ごほん)」の印記があります。
明治維新前後に尾張徳川家から民間に流出していたとみられますが、広辞苑の編著者として知られる新村出(しんむらいずる)博士が入手、所蔵していたものを、大正14年3月、静岡県立葵文庫の開館に際し寄贈いただきました。

K915-108-039-012
上村翁旧蔵浮世絵集『本朝智仁英勇鑑徳川内大臣家康公(ほんちょうちじんえいゆうかがみとくがわないだいじんいえやすこう)』
(後半のみ)

本朝智仁英勇鑑徳川内大臣家康公

慶長元(1596)年、徳川家康(1542~1616)は正二位内大臣に任ぜられました。その内大臣家康の束帯姿を描いた錦絵です。絵師の月岡芳年(1839~1892)は、幕末~明治初期の浮世絵師で、嘉永3(1850)年に12歳で歌川国芳に入門し、15歳で初の作品を版行しました。その後、明治5(1872)年に神経の病に罹ったものの翌年快癒し、それを機に号を「大蘇(たいそ)」に改めました。そのため、明治11(1878)年の作品である本錦絵の落款も「大蘇芳年」となっています。

K074/1
『群書治要』

群書治要

『群書治要』は、貞観5(631)年に唐の太宗の命により、魏徴が『周易』、『尚書』など60余りの古典の中から、政治の要領を抜き書きし50巻に編集したものです。中国では宋代にすでに散逸してしまいましたが、日本では奈良時代に遣唐使によってもたらされ、天皇の帝王学の書として位置づけられていました。
展示してある『群書治要』は、「駿河版」と言われ、駿府隠居後の徳川家康の命によって鋳造された銅活字を用いて印刷されたものです。家康はこの駿河版『群書治要』の完成の前に亡くなりますが、書物の出版をもって「知」の普及を目指した家康の文教政策の一つと言えます。本書は頼宜の紀州転封の際に和歌山にもたらされ南葵文庫に保管されていたもので、昭和3(1928)年に紀伊徳川家の頼貞侯爵により当館に寄贈されました。

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