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2021(令和3)年9月のWeb版貴重書展示「天保三年 伊豆の旅」

九十五年前の伊豆

S291/15『九十五年前伊豆』

天保三年 伊豆の旅

~Web版 貴重書展示~

天保3(1832)年9月、伊豆国君沢郡河内(こうち)村(沼津市)にある幕府管理の樟木(しょうぼく)御林(おはやし)と武蔵国新座(にいくら)郡の御薬園(おやくえん)の検分を命じられた幕府浜御殿奉行の木村喜繁(よししげ)は、駕籠に乗って22日間の視察旅行にでかけます。

筆まめで絵心のあった喜繁は、公務日誌とは別に旅の思い出を「伊豆紀行」としてまとめ、道中の風景を写生した画帳も残しました。今でいうところの「イラスト付き旅エッセイ」でしょうか。

駕籠酔い予防のおまじない、難所越え後の素晴しい景色のスケッチ、口に合わない食事を梅干でしのぎ、熱海では温泉を堪能し料理に舌鼓...など、喜繁の視点で生き生きと描かれた景色や人情、風俗は、当時の人々の生活と文化を知る上で重要な資料となっています。

展示期間・場所

期間 9月1日(水曜日)~9月29日(水曜日)
場所 静岡県立中央図書館 入口入ってすぐの貴重書展示コーナー
(期間中、ページを替えて展示します)

展示資料一覧

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書名等 画像 略説

S291/15
天保三年 伊豆紀行

九十五年前伊豆』
(
付録の画帳)


天保三年伊豆紀行

本書は、江戸幕府の浜御殿(現在の浜離宮庭園にあった将軍の御殿)奉行の木村喜繁(よししげ)が、天保3(1832)年に伊豆を視察した時の紀行文とその画帳です。伊豆国君沢河内(こうち)村(現在の沼津市)の樟木(しょうぼく)御林(おはやし)を検分するよう幕命を受けた喜繁は、長浜村(現在の沼津市)に10日程滞在し、帰路には熱海温泉に宿泊しています。

絵心のあった喜繁が各地の風景を写生した水彩画と、22日間の旅の感想を綴った紀行文は、当時の人々の生活と文化を知る上で重要な資料となっています。

画帳の「95年前」というのは、本書が県立葵文庫(当館の前身)に寄贈された大正14年に、天保3年を指してつけられたと考えられます。現在から数えると、画帳に描かれた風景は「189年前」の伊豆ということになります。

十三 熱海温泉宿
(前半のみ)

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木村喜繁は、伊豆を視察した帰途、三島から熱海に入ったところで名主の今井半太夫に「麻の上下にて出迎」えられます。

当時、大名や旗本も宿泊した温泉宿は「表構(おもてがまえ)奇麗(きれい)にて玄関も広くして座敷も幾間(いくま)となくあり」、「上段の間へ案内」され「一汁一菜にてあれども仕立方(したてかた)よく江戸出立(しゅったつ)後初て心よく食事をいたしける」と好印象で、その様子を『天保三年伊豆紀行』に詳しく記し、絵にも描いています。

ここには万延元(1860)年、イギリス公使オールコックも滞在しました。

十四 伊豆山権現神社ノ景
(後半のみ)

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熱海に宿泊した一行は、次の日に伊豆山権現を通ることから家来を代参に遣わしました。説明文には、最花(はつほ)(初穂=神仏に捧げる金銭・食物・酒など)を奉(たてまつ)ったところ、般若院(別當(べっとう)(当)=神社に付属する寺院)から使者が来て、道中の無事を祝ったとあります。

『天保三年伊豆紀行』によれば、その先の山道は雨の後で、足場が悪く難儀をしたようです。礼拝峠というところでやっと平地になって一休み、眼下の眺望を記しています。この絵はその時の風景だと思われ、海岸越しに見える大島や帆を張り漁をする舟などが描かれています。

伊豆山権現は現在の伊豆山神社で、殊に源頼朝の崇敬厚く、参拝が鎌倉幕府の重要行事となっていたほどです。その後も北条、足利、徳川などの武将から厚遇されました。

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