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2020(令和2)年8月Web版貴重書展示 「懐かしき静岡県の海水浴場と江戸の花火」

江戸名所両国橋花火

K915-108-021-002『江戸名所両国橋花火』

懐かしき静岡県の海水浴場と江戸の花火

~Web版 貴重書展示~

静岡県の海水浴場

静岡県の海水浴場の数は現在56ほどあり、全国でも有数の県です。
海水浴は塩湯治が元々の始まりと言われて、現在のような海水浴場になっていったのは、明治10年以降です。その初めは、神奈川県の大磯や富岡、または岡山の沙美、愛知の大野、東京の芝新濱など諸説あります。
静岡でも、明治の終わりから大正の初めにかけて、浜名湖の弁天島をはじめ海水浴場が開かれていきました。絵葉書から当時の海水浴場の様子が伺え、当時流行していたと思われる水着の柄や監視台を兼ねた飛び込み台のようなものがあるのが確認できます。
静岡県の海水浴場は現在も水質がとてもよく人気があるため、このような貴重な財産をこれらからもずっと残していきたいものですね。

静岡県は日本一の花火どころ?

コロナ禍の中、全国で一斉に花火が打ち上げられるなど、古今東西、花火は人の心に元気を与えてくれるものとして進化しています。
ところで、あまり知られていませんが、静岡県は全国でも有数の花火どころで、経済産業省の統計によると、花火大会の件数が全国で断トツの1位、花火の出荷額も全国3位です。
理由は様々ありますが、お隣の三河地方が花火製造の盛んな地域で、静岡もその影響を受けているとも言われています。また、静岡は伝統花火も盛んで、新居の手筒花火や草薙の龍勢花火などは、全国でも有数の伝統花火です。
日本で最初に花火を鑑賞したのは徳川家康だと言われていますが、鑑賞した場所はなんと静岡です。慶長18(1613)年に駿府城にて家康が花火を観賞したとの記述が残されています。この花火に感銘を受けた家康が、三河武士に花火の製造を命じたとも言われており、静岡が花火どころになったのも家康のおかげかもしれません。

展示期間・場所

期間 8月1日(土曜日)~30日(日曜日)
場所 静岡県立中央図書館 閲覧室 貴重書展示コーナー
(期間中、資料を入れ替えて展示します)

展示資料一覧

画像をクリックすると、当館デジタルライブラリーの該当資料、又は、拡大画像が表示されます。

書名等 画像 略説
K670/17
『静岡県の絵葉書』より

(沼津名勝)沼津千本浜海岸海水浴の景

(三保名勝)三保松原羽衣海岸

(弁天島風景)学生ノ水泳場

※展示替えあり
(沼津名勝)沼津千本浜海岸海水浴の景(三保名勝)三保松原羽衣海岸(弁天島風景)学生ノ水泳場

当館が所蔵する『静岡県の絵葉書』(S690/17,S690/52)は、主に戦前に発行された県内の観光絵葉書のコレクションで、第一期と第二期に加え、令和元年度(2019年度)までに収集したものを合わせ、8,000枚近くの絵葉書を収録しています。
この中には静岡県内各地の海水浴場の風景も収められており、当時の海水浴の様子が伺えます。

K915-108-021-002
『江戸名所両国橋花火』
※前半のみ
江戸名所両国橋花火

夜空に大輪の花火が今まさに花開いたところ、川面に浮かぶ花火見物の屋形船、両国橋の上には人々が集まりだしたころでしょうか。
この錦絵に描かれた両国花火、今日の隅田川花火大会の始まりは江戸時代、日本の記録に残る花火大会としては最も長い歴史を誇っています。
時は享保18年、その前年に凶作がおこり疫病が流行したため、その悪疫を祓い、犠牲者を供養するために、旧暦5月28日の川開きに花火を打ち上げた、というのが今では通説になっています。
今年は新型コロナウイルス感染症の影響で中止になる花火大会が多いとのことですが、来年は日本全国各地でドンと景気よく花火が上がるといいですね。

K915-108-029-029
『上野公園より不忍花火の夜景』
※前半のみ

上野公園より不忍花火の夜景

上野不忍池に打ち上がる花火をバックに、いなせな浮世絵美人3人が涼しげな柄の着物姿でポーズをとっています。3枚目の画面右には精養軒と思われる洋館で、花火を見物する洋装の男性が描かれ、その対比が面白い構図になっています。
豊原国周(くにちか)(1835-1900)は、月岡芳年(よしとし)、小林清親(きよちか)と共に明治浮世絵の三傑に数えられ、歌舞伎の役者絵を得意とし、明治の写楽と評されました。
幼いころは暴れん坊、117回転居を繰り返し、女房は40人余り、お酒に関するエピソードには事欠かず、晩年は汚れた着物1枚ですごしたとか。ちゃきちゃきの江戸っ子で、宵越しの銭は持たない、という人物だったようです。

K315/52
『武徳編年集成 巻之62』
※後半のみ

武徳編年集成 巻之62 表紙武徳編年集成 巻之62 本文

         
『武徳編年集成』は、徳川家康の天下統一の過程を記述した全93巻で構成された伝記・歴史書です。天文11年(1542)から元和2年(1616)までの、徳川家康の生誕から逝去までの事歴を編年体で記述したもので、8代将軍徳川吉宗の命により、まとめられ、献上された資料です。
『武徳編年集成』巻之62には、慶長18年(1613)8月8日、駿府城から家康が花火を見たという記載があります。
徳川家康が花火を見たという記述は、『駿府政事録』(刊年不明、S220/43/ほか)、『宮中秘策』(1741年)などにも記載されており、これら資料の記録は、日本における花火についてのもっとも古い記録とされています。
[参考文献]『日本大百科全書』

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