[フランス語・ドイツ語辞書並びに文法書]
幕府が蕃書調所(ばんしょしらべしょ)にフランス語科を設置したのは、安政6年(1859)に村上英俊(1811-1890)を教授手伝に任命したことに始まる。村上は、それまであまり目を向けられていなかったフランス語の研究と著作を開始し、元治元年(1864)には我が国最初の本格的な仏和辞典
「仏語明要」<AF-206>
を編纂した。
続いて慶応2年(1866)、開成所の柳川春三〜やながわしゅんぞう〜(1832-1870)が同僚の小林鼎輔(こばやしていすけ)と協力して、
ノエル、シャプサル共著「簡約フランス語文法」(「Abrege de la Grammaire Francaise_1861」<AF-135>
の翻刻版である
「法朗西文典」(ふらんすぶんてん)<AF-136,137,138>
を刊行した。
一方、文久2年(1862)には洋書調所の編集による我が国最初のドイツ語辞典
「官版独逸単語篇」(かんぱんドイツたんごへん)<AG-19>
、明治3年(1870)年には大学南校の編集によるドイツ語の入門・学習書
「最初のドイツ語講義」(「Die Ersten Lectionen des Deutschen Sprachunterrichts」<AG-16>)
が刊行されるなど、仏学・独学の教育・研究も盛んになり、幕末から明治初期にかけての洋学は、蘭学から英学、そして仏学・独学へと次第にその流れを変えていったのである。
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