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書誌情報サマリ

書名

伊東市史 史料編      近現代 2

著者名 伊東市史編集委員会/編集   伊東市教育委員会/編集
著者名ヨミ イトウ シシ ヘンシュウ イインカイ イトウシ キョウイク イインカイ
出版者 伊東市
出版年月 2016.3


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タイトル番号 1006000108578
書誌種別 地域資料
書名 伊東市史 史料編      近現代 2
著者名 伊東市史編集委員会/編集 伊東市教育委員会/編集
書名ヨミ イトウ シシ   キンゲンダイ
著者名ヨミ イトウ シシ ヘンシュウ イインカイ
各巻書名 近現代
出版者 伊東市
出版地 伊東
出版年月 2016.3
ページ数 786p
大きさ 27cm
言語区分 日本語
分類 S212
件名 伊東市-歴史
目次 序、凡例、目次、細目次、第一章、政治・行政、第一節、昭和戦前期の伊東における政治と選挙、三団体事件、北伊豆地震と震災復興、若槻礼次郎首相の歓迎会、伊東町の開発、地方財政調整交付金制度、選挙、開発に伴う駐在所増設問題、陪審法施行への対応、第二節、戦時・戦争体制下の伊東、諸団体への補助金給付、湯川区長太田兼吉の年頭の辞、徴税、衆議院議員・町議会議員の翼賛選挙、第三節、戦後政治の展開と市町村合併、国際観光都市をめざす伊東町とその課題、戦後伊東町における税制の変化、伊東町における政党結社と地区別選挙人数、宇佐美村の政治状況と財政、伊東町と小室村が廃されて伊東市が誕生、国際観光温泉文化都市をめざして、観光振興の諸策、伊東市長選挙をめぐる情勢、宇佐美村・対馬村との合併をめぐって、第四節、観光発展期の課題と市政・経済の動向、新・伊東市の行政と政治の課題、自由民主党伊東支部の結成と活動、日本共産党や革新陣営による市政への要望、自由民主党市政の誕生、アスパック川奈会議をめぐる動き、七〇年代から八〇年代の課題と市政の方向、第二章、産業、第一節、各町村の年次報告から見た昭和前期の産業の概観、伊東町事務報告から、小室村役場事務報告から、対馬村役場事務報告から、第二節、農林、農漁村更生計画、宇佐美組合設立計画、水田害虫対策、水田改良、養蚕・養鶏などの副業、林業、薪炭以外の各種樹木、ミカン、農産物戦時体制、戦後食料対策、戦後の大事業「農地改革」、戦後経済、昭和二十二年池農事実行組合、「光の村」の戦前戦後、戦後の「光の村」、松尾開拓、第三節、水産、戦前の水産業の諸相、戦時中の軍による船舶徴集、戦時下の漁業の状況、戦後混乱期、戦後の漁業関連事項、第三章、インフラ、第一節、鉄道、伊東線の開通、伊東線の乗降客と利便性向上への動き、伊東線複線化の運動、伊東下田間の鉄道計画、第二節、道路・港湾・土木事業の展開、道路網の拡大、農村救済の土木事業、町村道小室・対馬海岸線への取り組み、戦後の土木事業、狩野川台風被害と復旧工事、港湾の整備、奥野ダムの建設、第三節、水道・電気・ガス、水道、電気、戦後の電力供給事情、ガス、第四節、バス・タクシー・海運、自動車の普及、戦後の交通輸送態勢、競合の時代、海運、第五節、電話・有線放送・郵便、電話、有線放送、郵便、第四章、社会・災害、第一節、不況下の伊東地域と人々の対応、大正天皇大喪と昭和改元、不況下の伊東地域と町村勢振興の努力、宇佐美村 森野半助と政治運動家・西田税との交流、伊東群発地震の発生と地域の対応、北伊豆地震の発生とその被害、疾病予防・環境改善に広がる保健・衛生対策、塵芥処理と衛生対策の発展、第二節、日中戦争下の生活統制と銃後の体制づくり、戦時体制の強化と国民精神総動員、大政翼賛運動の展開と紀元二千六百年奉祝、生活物資の配給と統制、戦時下における観光業での人員募集、 警防団の結成とその活動、健民の育成と健康増進運動、第三節、アジア・太平洋戦争下の生活と地域社会、初戦の勝利と戦勝祝賀、総動員体制の進行と生活統制の強化、選局悪化に伴う国債購入と貯蓄の強化、増産・供出と勤労動員の徹底、配給統制の拡大と町民生活、民族優良化と母性保護の努力、第四節、戦後社会の状況と生活の再建、戦後の生活・配給の実態と再建の努力、労働運動の始まりと人員整理、スポーツ施設の建設と環境整備、第五節、戦後の災害と防災活動、若者組改革とキティ台風への対応、狩野川台風による被害と救援、伊豆半島東方沖地震と富戸小学校、第六節、観光発展に向かう時代の医療と衛生、戦後の医療と衛生の状況、ごみ排出量の増加と公衆衛生・清掃事業の新展開、国民皆保健下の医療と健康、第七節、高度経済成長期の伊東の社会とその変化、第三次産業の増大と社会・生活の変化、原水爆禁止運動の広がり、労働運動・社会運動の高まり、在日朝鮮人帰還事業への対応、高度成長期における地域社会と環境の変化、生計費の実態と物価高騰への対応、七〇年代における労働運動とスト・賃上げ、七〇年代から八〇年代にかけての伊東市民の意識、第五章、教育・文化・宗教、第一節、昭和戦前期の学校教育と子どもたち、アメリカ人形歓迎の動きと満州事変後の教育方針、学校や子どもの状況と職業指導、小学校における奉安殿の新設、伊東高等女学校の建設と婦人会、開校した伊東高等女学校と生徒・保護者の状況、男子中学校創設への動き、第二節、昭和戦前期の文化や宗教の状況、地方新聞とラジオの普及、伊東ガス開業式と芸妓のお座敷、地域と関わる文化人・文学者、寺院・神社・教会の統制と国家主義の浸透、第三節、日中戦争下の学校と幼稚園、戦争を支える学校と子ども、伊東高等女学校の拡充と補習科の設置、戦時下の日誌にみる伊東幼稚園の教育、第四節、戦時下における文化の特色と寺社の活動、オリンピック出場から団体的訓練強化への転換、挙国一致から紀元二千六百年の奉祝へ、宇佐美村における戦死者慰霊、第五節、アジア・太平洋戦争期の教育、決戦教育の強化と実践、児童の健康状況、公務日誌・保育日誌にみる「戦争」、学童の集団疎開と地域・学校、男子中学校と高等女学校をめぐる状況、青年学校における軍事教育の推進、第六節、戦争完遂をめざす文化活動と宗教活動、健民運動の強化とラジオ体操、寺社の活動・行事への戦争の影響、地域に広がる各種の宗教団体とその活動、寺社の戦争動員と被害への対応、 第七節、戦後民主教育の出発、教員適格審査と新しい学校づくり、PTAの発足とその活動、進駐軍による学校視察、戦後の学校と児童の実態、児童の食糧事情と学校給食の実施、東豆教職組合の発足と教育実態調査、青少年の健全育成に向けて、新教育の展開と野間教育研究所、社会科を核とした新教育の実践、戦後の幼稚園と新しい幼児教育、旧制東豆中学校の開校と廃校、伊東地域における新制中学校の建設、県・市町村における教育委員会の発足、民間教育研究運動の始まり、新制伊東高校における生徒活動と将来の希望、青年婦人教育と青年運動の新展開、第八節、戦後文化活動の開化と宗教界の変化、戦時出版物の没収と民主化啓蒙映画の上映、童謡「みかんの花咲く丘」を伊東からラジオ中継、木下杢太郎(太田正雄)追悼と伊東町議会、地域新聞が記す子どもと女性の役割、同人誌の発刊と新日本文学会の設立、民主主義科学者協会伊東支部の設立、″シベリア抑留″をめぐる新聞紙上での論争、雑誌書籍の販売傾向と図書館をめぐる状況、市民劇団の発足とその担い手、テレビ放送の開始と映画の衰退、国家神道解体と社寺・祭典の変容、第九節、復興期から八〇年代に至る教育・文化活動の展開、伊東第二中学の建設に向けて、高度成長期の幼稚園教育と障碍児保育の始まり、伊東商業高校の建設、教育のあり方をめぐって、新しい文化活動の広がり、中学校卒業生の進路の変化、高校増設運動の展開とその受けとめ、第六章、温泉・観光・開発、第一節、温泉、温泉を守るための鉱山反対運動、戦後も激しく燃え上がった鉱山反対運動、温泉利用の拡大と、その限界、地域住民の温泉利用の例・湯川区の場合、戦後の市内各地における新温泉の開発、第二節、昭和初期の観光地としての発展、一碧湖、川奈ゴルフ場と川奈ホテル、戦前の観光地を支えた地域の各種組織等、戦前の観光関係施設・観光行事等、戦時下の伊東温泉の実情、第三節、戦後の観光、観光再建期、昭和中期の観光状況、第四節、開発、戦後の開発、第七章、兵事・戦争、第一節、山東出兵・満州事変と伊東地域の人々、第二次山東出兵への緊急動員と銃後の支援、満州への出動と各町村にみる兵士の動員状況、地域における軍事支援体制の強化、近隣海域での海軍艦艇の演習、第二節、日中戦争下の動員拡大と戦時体制の整備、戦争激化に伴う動員兵士の急増とその動向、前線の兵士への慰問と交流、従軍兵士と銃後の教育者の戦争詠、遺家族や傷痍軍人の援護と戦死者の顕彰、銃後の体制確立と国債購入・献金運動、防空システムの整備と防護団、東京第一陸軍病院臨時伊東転地療養所・傷痍軍人伊東温泉療養所開設、軍需動員の広がりと国民徴用、満州への移民・移住の推奨と募集、満蒙開拓青少年義勇軍の募集と壮行、 第三節、アジア・太平洋戦争期の住民動員と戦争参画、空襲に備えての訓練の強化、空襲の激化と戦災への対応、航空訓練の開始・軍事技術の開発、戦争中の軍事動員の実態と兵事事務、銃後支援活動の統制と強化、戦時輸送力・生産力の逼迫と対応、小室村における戦没者遺家族の実態と支援、ガダルカナル島戦没兵士の足跡と無言凱旋、増大する戦没者の町葬と慰霊、第四節、戦後処理と在日米軍への対応・再軍備、連合軍による接収と平和状態の回復、旧海軍電測学校宇佐美実習所の払下げ、帰還者・未帰還者と戦没者数の調査、村葬・慰霊の継続と元軍人・遺家族への対応、朝鮮戦争出動国連軍の慰問と難民支援、伊豆海域・湘南における米軍の演習、被害への対応と演習場反対運動の展開、保安隊員・自衛隊員の募集と地方自治体、執筆担当者一覧、第一章、政治・行政、第一節、昭和戦前期の伊東における政治と選挙、【三団体事件】1、「三団体事件」のきっかけとなった東豆新報の論評記事、昭和四年七月十一日、2、東豆新報発行人・宮下恭介対三団体事件に関する鈴木徳太郎手記、昭和四年、3、東豆新報の不買に関する共同宣言及び附帯決議、昭和四年七月二十八日、【北伊豆地震と震災復興】4、震災に関する伊東町長鈴木徳太郎日記(抜粋)昭和五年十一月、5、震災による県道伊東熱海線復旧工事に関する請願、昭和五年十二月三日、6、震災復旧の国庫補助等を小室村長が貴族院・衆議院に請願、昭和六年一月二十五日、7、伊東町震災救済資金設置規程の件、昭和六年五月七日、8、震災被害者に対する町税免除規程設定の件、昭和六年五月二十九日、【若槻礼次郎首相の歓迎会】9、若槻礼次郎首相の歓迎会についての鈴木徳太郎の日記、昭和六年七月二十九日、【伊東町の開発】10、町長が伊東町全区域に都市計画法を申請する、昭和九年三月十九日、11、伊東町の財政並びに事業に対する報告書(抜粋)、昭和十一年、【地方財政調整交付金制度】12、地方財政調整交付金制度設定に関する意見書提出の件、昭和十年一月二十八日、【選挙】13、伊東町における静岡県会選挙についての鈴木徳太郎の日記、昭和六年十月十一日、14、小室村村議会選挙に関する地区別投票一覧、昭和八年四月二十四日、15、小室村各区長への選挙粛正ビラの配布依頼の件、昭和十年十月十日、16、伊東町会議員選挙に際し太田兼吉の挨拶、昭和十二年五月吉日、17、第二十回衆議院議員選挙伊東町の区別投票調べ、昭和十二年四月三十日、【開発に伴う駐在所増設問題】、18、小室村大池に巡査駐在所設置を請願する件、昭和二年九月一日、19、小室村大池に巡査駐在所にあたり建築物寄付願の件、昭和二年十一月二十一日、【陪審法施行への対応】、20、陪審員抽選に用いる抽選器に関する件、昭和二年八月二十五日、21、陪審員の心得及び陪審員候補者への注意について、昭和三年三月六日、 第二節、戦時・戦争体制下の伊東、【諸団体への補助金給付】、22、昭和十二年度における伊東町より諸団体への補助金、昭和十二年三月十七日、23、昭和十五年度における伊東町より諸団体への補助金、昭和十五年三月二十四日、【湯川区長太田兼吉の年頭の辞】、24、昭和十六年、年頭の辞、昭和十六年一月一日、25、昭和十九年、年頭の辞、昭和十九年一月一日、【徴税】、26、昭和十二年度県税雑種税付加税の不均一課率賦課を小室山に許可、昭和十二年六月十日、27、伊東町における扇風機税条例設定の件、昭和十五年九月十二日、28、伊東町における町税賦課徴収条例設定の件、昭和十五年十月十一日、29、伊東町税賦課徴収条例改正の件、昭和十六年三月二十一日、30、アジア・太平洋戦争下の電気瓦斯税賦課についてのお知らせ、昭和十七年三月、31、戦時災害による町税の減免納税延期等に関する条例設定の件、昭和十九年七月十七日、32、伊東町各区別町民税比較表、昭和十八年ヵ、【衆議院議員・町議会議員の翼賛選挙】、33、翼賛選挙貫徹運動祈願継走大会、昭和十七年四月二十三日、34、衆議院議員選挙について有権者隣組へ通告、昭和十七年四月二十八日、35、伊東町会議員翼賛選挙実施方法に関する伊東町臨時常会協定案、昭和十七年五月八日、36、伊東町会議員候補者特別銓衡委員会による候補者推薦決定、昭和十七年五月十一日、37、伊東町議会選挙候補者鈴木一男の挨拶状、昭和十七年五月十五日、第三節、戦後政治の展開と市町村合併、【国際観光都市をめざす伊東町とその課題】、38、伊東町長による新年の辞、昭和二十二年一月一日、39、都市計画事業施行のため農地一部除外地区設置の陳情、昭和二十二年三月二十五日、【戦後伊東町における税制の変化】、40、町税賦課徴収条例改正の件、昭和二十一年十二月二十四日、41、静岡県田方郡伊東町都市計画税賦課率条例設定の件、昭和二十二年三月二十五日、42、伊東町税賦課徴収条例中改定の件、昭和二十二年三月二十五日、【伊東町における政党結社と地区別選挙人数】、43、勅令第百一号五条により届出された政党結社、昭和二十一年十一月三十日、【宇佐美村の政治状況と財政】、44、参院地方区では自由党、全国区では社会党が第一党、昭和二十二年ヵ、45、宇佐美村警察職員定員と警察署の位置名称管轄区域の規定、昭和二十三年三月七日、46、宇佐美村財政事情報告書(1)、昭和二十四年六月一日、47、宇佐美村財政事情報告書(2)、昭和二十四年十二月一日、48、宇佐美村財政事情報告書(3)、昭和二十八年六月一日、【伊東町と小室村が廃されて伊東市が誕生】、49、伊東市の設置に関する小室村議会議長の意見答申書、昭和二十二年八月一日、50、第五回伊東市財政事情、昭和二十五年六月一日、51、伊東市の各種選挙における投票状況、昭和二十七年、【国際観光温泉文化都市をめざして】、 52、伊東熱海国際観光温泉文化都市法案通過促進について、昭和二十五年三月十六日、53、伊東国際観光温泉文化都市建設法賛否投票の結果、昭和二十五年六月十六日、54、伊東市観光温泉資源保護条例の制定、昭和二十七年十月十一日、【観光振興の諸策】、55、静岡県野球連盟伊東支部へ補助金交付に関する請願の審査報告、昭和二十五年六月二十二日、56、伊東市自転車競走実施条例を市議会で議決、昭和二十五年八月十九日、【伊東市長選挙をめぐる情勢】、57、伊東市長立候補の声明書、昭和二十六年ヵ、58、市長選挙に関する自由党伊東支部の声明書、昭和二十六年九月二十一日、59、太田賢治郎氏立候補の経過、昭和二十六年、【宇佐美村・対島村との合併をめぐって】、60、対島村が市村合併の条件と要望を提示、年不詳、61、市村合併に関する対島村八幡野区の決議事項、昭和二十九年ヵ、62、市村合併に関する対島村富戸区の決議事項、昭和二十九年ヵ、63、伊東市が主催した市村合併懇談会の内容、昭和二十九年七月十日、64、宇佐美村における市村合併公聴会の記録、昭和三十年三月十一日、65、市村合併に関する日本共産党伊東市委員会の訴え、昭和三十年三月十三日、66、市村合併祝賀パレード実施要綱、昭和三十年八月十日、第四節、観光発展期の課題と市政・経済の動向、【新・伊東市の行政と政治の課題】、67、市の行政機構の調査研究と改善の方向、昭和三十二年十一月二十六日、68、伊東市建設審議会での審議の内容、昭和三十六年四月二十六日、【自由民主党伊東支部の結成と活動】、69、自由民主党伊東支部結成準備委員の依嘱状、昭和三十一年五月二十日、70、自民党静岡県連による伊東市長選挙の敗因分析、昭和三十三年、71、木部佳昭代議士の欧米視察壮行会について、昭和三十九年四月十日、【日本共産党や革新陣営による市政への要望】、72、伊東市民の要求(第一回草案)日本共産党伊東市委員会、昭和三十年六月一日、73、伊東郷土をよくする会の伊東市政に対する政策、昭和三十三年六月二十日、【自由民主党市政の誕生】、74、自民党公認稲木敏郎の市長当選と所信表明、昭和四十一年八月一・十五日、【アスパック川奈会議をめぐる動き】、75、アスパック粉砕伊東地区共闘会議の訴え、昭和四十四年四月二十四日、76、アスパック対策を柱とする伊東地区労働組合協議会の行動日誌、昭和四十四年一~十二月、77、アスパック川奈会議を終わっての伊東市長の声明、昭和四十四年六月十五日、78、伊東地区労加盟組合の大会代議員割当表、昭和四十七年一月、【七〇年代から八〇年代の課題と市政の方向】、79、伊東市総合開発計画審査特別委員会での委員長報告(抜粋)昭和四十八年一月十六日、80、昭和五十七年度予算編成にあたっての市長施政方針演説の概要、昭和五十七年四月、 81、伊東市が観光の根本として平和都市(核兵器廃絶)を宣言、昭和六十三年三月二十四日、82、伊東市における衆議院議員選挙の得票、昭和三十三~五十八年、83、伊東における県議会議員選挙の得票、昭和三十四~五十八年、84、伊東市長選挙の得票、昭和三十三~五十七年、第二章、産業、第一節、各町村の年次報告から見た昭和前期の産業の概観、【伊東町事務報告から】、85、昭和三年、伊東町役場事務報告(抄)、昭和三年三月、86、昭和六年、伊東町役場事務報告(抄)、昭和六年三月、87、昭和十八年、伊東町役場事務報告(抄)、昭和十八年三月、【小室村役場事務報告から】、88、大正十五~昭和元年、小室村役場事務報告(抄)、大正十五~昭和元年三月、89、昭和三年、小室村役場事務報告(抄)、昭和三年十二月末日、90、昭和七年、小室村役場事務報告(抄)、昭和七年十二月末日、91、昭和十年、小室村役場事務報告(抄)、昭和十年十二月末日、92、昭和十三年、小室山役事務報告(抄)、昭和十三年十二月末日、【対島村役場事務報告から】、93、昭和十一年、対島村役場事務報告(抄)、昭和十一年三月、94、昭和十四年、対島村役場事務報告(抄)、昭和十四年三月、95、昭和二十年、対島村役場事務報告(抄)、昭和二十年三月、第二節、農林、【農漁村更生計画】、96、小室村経済更生委員会設立に関する件、昭和八年八月十四日、【宇佐美、組合設立計画】97、宇佐美村信用販売購買利用組合設立計画、昭和十一年五月十六日、98、産業組合の創立の件、昭和十一年十一月五日、【水田害虫対策】、99、本田一斉駆除に関する件、昭和三年九月二十日、100、螟虫本田一斉駆除施行の件、昭和三年九月二十日、101、水田の害虫駆除・白穂刈り取り、昭和三年、102、稲の害虫対策の行事児童作文、昭和九年、103、昭和四〇年代「早とり米栽培」盛んとなる、昭和四十六年五月十五日、【水田改良】、104、水稲湿単作地帯営農改善施策に関する陳述書、昭和三十年六月十日、【養蚕・養鶏などの副業】、105、小室村吉田蚕業小組合規約、昭和三年九月、106、小室村養鶏組合規約、昭和五年ヵ、107、小室村、家畜牛の現在届調、昭和十年五月二十二日、108、昭和八~十二年、伊東町屠殺場、昭和八~十二年、【林業】、109、静岡県営林署苗圃養成苗木譲渡の件、昭和二年一月十二日、110、村有林立木売却の件、昭和六年五月五日、111、村有林野売却許可申請、昭和六年五月七日、112、対島村有地に官行造林設定、昭和十二年十二月三日、113、造林用苗木の生産並需給調査、昭和十年七月二十五日、114、杉・桧・松・椹等の立木及雑木林売却入札方法、昭和十二年七月十九日、115、村有地上木炭用雑木売却の件、昭和十二年七月十九日、116、昭和十九年度木炭生産実績、昭和十九年度、 117、小室村、木炭最高販売価格表、昭和十七年三月十七日、【薪炭以外の各種樹木】、118、アブラギリの植林のため借地御願い、昭和十二年四月二十七日、119、ユーカリの植林、昭和三年十月二日、120、ユーカリ試験林成績の照会、昭和四年三月十三日、121、樟脳原料楠木の確保に関する通達、昭和二十一年八月二十日、【ミカン】、122、昭和初期農村経済更生の一環として補助金申請願い、昭和九年九月二十九日、123、昭和中期の伊東ミカンの状況、昭和四十七年九月十八日、124、昭和後期の伊東農業、市の広報掲載の状況分析、昭和五十三年二月一日、【農産物戦時体制】、125、青果物販売に関する件、昭和十七年八月八日、126、軍用大麦提出に関する件、昭和十四年七月二十一日、127、米殻の国家管理に付て、昭和十五年十一月九日、【戦後食料対策】、128、食糧危機に備えて、昭和二十一年、129、昭和二十一年度野生苧麻増産に関する件、昭和二十一年八月七日、130、食糧委員会設置に関する件、昭和二十一年九月十日、131、南瓜種子搾油用として集荷の件、昭和二十一年九月十一日、132、甘藷早掘りに関する件、昭和二十一年九月十二日、133、一般農耕従事者(刈上)用酒類の特配に関する件、昭和二十一年十二月三日、【戦後の大事業「農地改革」】、134、農地制度の改革に関する件、昭和二十一年八月二十日、135、農地制度改革事務に関する件、昭和二十一年九月二十日、136、農地買収計画下調書、昭和二十一年ヵ、137、第二次農地制度改革講習会開催について、昭和二十一年十月二十五日、138、農地委員選挙に関する電文、昭和二十一年、139、農地委員会委員の選挙について回覧、昭和二十一年十二月十一日、140、農地委員選挙事務並農地委員会に関する件、昭和二十一年十二月二十日、141、農地買収代金中現金払分支払の件、昭和二十四年四月二十五日、142、自作農創設特別措置法による未墾地買収計画に対する陳情書提出の件、昭和二十三年十月二十九日、【戦後経済】、143、新経済政策の除外措置に関する陳情書、昭和二十六年七月二日、【昭和二十二年 池農事実行組合】、144、池農事実行組合会議録、昭和二十二~二十六年、【「光の村」の戦前戦後】、145、第一期工事漸く終了し開村式を待つ光の村、昭和九年二月十三日、146、戦前の「光の村」の紹介記事、昭和十年七月、【戦後の「光の村」】、147、民生委員機関紙『あゆみ』「私の歩んだ記録(その一・二)」抜粋、昭和五十年代、【松尾開拓】、148、『歩みつづけて七十年 松尾開拓七十周年記念』、昭和五十四年十月二十八日、第三節、水産、【戦前の水産業の諸相】、149、小室村川奈の沿岸漁獲物、昭和二年二月十四日、150、船舶職員甲板部講習会開催の件、昭和二年二月十四日、151、漁業権存続期間更新の件、昭和三年五月十日、 152、水産試験場伊東町分場新設費中へ寄付をなす件、昭和四年三月九日、153、漁業振興に関する建議案、昭和六年三月三十一日、154、漁業テングサ養殖事業に関する副申、昭和八年二月二十七日、155、漁業共同施設奨励願、昭和八年六月二十四日、156、海難報告書、昭和十年一月三十日、157、定置漁場賃貸入札公告、昭和十一年三月十九日、158、水産業優良者調査書、昭和十一年六月、159、アワビ・サザエの採取権等寄附物件受領の件、昭和十二年七月十九日、160、八幡野尋常高等小学校建築のため漁業採取権譲渡金を寄附、昭和十二年七月十九日、【戦時中の軍による船舶徴集】、161、船舶徴集に関する件、昭和十二年十月十一日、162、徴集船に関する指令、昭和十二年十一月十三日、163、徴傭船の具体的指名、昭和十三年十月六日、164、勤労報国隊員選定解除の陳情書、昭和二十年五月二十一日、【戦時下の漁業の状況】、165、宇佐美村の昭和十八年度における事業成績概略、昭和十八年、166、海豚油集荷配給に関する件、昭和十八年一月八日、167、海女雇入届、昭和十八年四月六日、168、船員遭難報告書、昭和二十年十月三十日、【戦後混乱期】、169、自給製塩責任量割当協議会の件、昭和二十一年六月四日、170、漁業実態調査に関する件回報、昭和二十一年七月十七日、171、漁業会概況、昭和二十二年ヵ、172、地先水面漁業権賃貸契約締結の件、昭和二十二年十月十日、【戦後の漁業関連事項】、173、伊豆諸島入漁契約について、昭和二十四年七月十五日、174、川奈に「いるか」景気、昭和二十七年十二月六日、175、富戸漁業協同組合、魚種別漁獲高及び漁業戸数人口調査、昭和二十八年六月三十日、176、赤沢漁業協同組合、魚種別漁獲高、漁業戸数入口、昭和二十八年七月五日、177、八幡野漁業協同組合、魚種別漁獲高及漁業戸数人口調べ、昭和二十八年七月六日、178、水産祭挨拶、昭和二十九年四月十三日、179、ゴルフ場建設に伴う漁場荒廃に関する件、昭和三十五年九月三十日、180、水揚高統計、昭和三十九年度(一月~十二月)伊東漁業協同組合、昭和三十九年、181、水揚高統計、昭和五十一年度、昭和五十一年十二月三十一日、第三章、インフラ、第一節、鉄道、【伊東線の開通】、182、熱海・下田間鉄道敷設の遂行を請願、昭和四年七月二十四日、183、宇佐美隧道の難工事、昭和十一年十二月十二日、184、鉄道敷設経過の照会、昭和十三年十一月二十四日、185、伊東線開通記念式の準備、昭和十三年十月二十八日、186、伊東線全線開通式典で建設経緯を述べる、昭和十三年十二月十五日、【伊東線の乗降客と利便性向上への動き】、187、伊東駅乗降客数調べ、昭和二十一年、188、『駅勢概要』抜粋、昭和十三~三十年、189、伊東線電車増発の陳情、昭和三十年、 190、宇佐美駅西口の開設に関する陳情書、昭和五十三年十二月二十一日、【伊東線複線化の運動】、191、伊東線複線化期成同盟会の発足と規約改定、昭和四十二年六月六日、192、伊東線複線化運動の経過報告、昭和五十二年一月二十八日、193、国鉄伊東線複線化工事促進のための要望書、昭和五十五年二月二十八日、194、伊東線複線化事業促進の要望書、昭和六十三年四月二十八日、【伊東下田間の鉄道計画】、195、伊東・下田間の鉄道敷設に伴う温泉源と水道水源の保護、昭和三十四年二月九日、196、伊東商工観光協議会が伊東下田間電気鉄道の敷設認可に反対決議、昭和三十四年三月九日、197、伊東温泉旅館組合の水道山隧道反対決議書、昭和三十四年三月十一日、198、伊東温泉組合の水道山隧道反対要請書、昭和三十四年三月十二日、199、水道山隧道反対同盟会の趣意書、昭和三十四年六月十五日、200、水道山隧道反対の陳情書、昭和三十四年六月十五日、201、鉄道敷設に伴う温泉源への鑑定書、昭和三十四年七月、202、水道山地質調査について、昭和三十四年九月五日、203、伊東市水道山隧道地質調査の経過報告書、昭和三十四年九月二十二日、第二節、道路・港湾・土木事業の展開、【道路網の拡大】、204、伊東町土木費累年増加表(当初予算による)、大正十年~昭和十五年、205、下田・伊東往還改良道路経由地の件、昭和一年五月十六日、206、小室・対島海岸線道路の県費補助を陳情、昭和二~四年、207、大池(一碧湖)への道路誘致のための寄付、昭和三年八月、208、小室村土木費に県費補助を得るための副申、昭和七年八月六日、209、伊東停車場通線の改築工事費の継続事業期間を設定、昭和九年三月十九日、210、県道の舗装費用負担に町村事務組合を設置、昭和九年十一月十九日、211、留田区が宇佐美村に道路修繕費の補助を申請、昭和十年八月十一日、212、宇佐美停車場線の新築工事を施工、昭和十一年十二月二十一日、213、県道熱海・伊東線の舗装計画、昭和十二年、【農村救済の土木事業】、214、吉田の溜池が竣功、昭和八年四月九日、215、農村振興のため町村道改良事業、昭和九年五月二十六日、【町村道小室・対島海岸線への取り組み】、216、小室・対島海岸線と吉田簡易水道費用捻出に小室村村有地を処分、昭和十二年三月八日、217、小室村民の雇用対策に道路工事実施を出願、昭和十二年三月十三日、218、道路改築費の地元負担金に県へ寄付を議決、昭和十三年五月十六日、219、小室・対島海岸線道路改築工事に県費補助申請の理由書、昭和十六年九月五日、220、資材と人員不足で小室・対島海岸線改築工事を延期、昭和十九年六月二十日、【戦後の土木事業】、221、宇佐美地区のキティ台風による災害復旧を要望、昭和二十四年九月二日、 222、川奈地区のキティ台風被害復旧工事の請願、昭和二十六年十二月、223、道路愛護運動の実施状況、昭和二十五年二月十日、224、川奈区の道路舗装と砂利敷設の請願書、昭和二十五年三月二十日、225、村道伊東・対島線の県道への移管を請願、昭和二十八年、226、伊東・富戸線道路改良の要望書、昭和二十九年三月、227、伊豆半島道路期成同盟会の構成、昭和二十九年七月二十九日、228、遠笠山観光道路計画への請願書、昭和三十二年、229、大仁・宇佐美線の改修を陳情、昭和三十三年九月十三日、230、玖須美浜新道の延長の請願書、昭和三十三年九月二十一日、231、一碧湖・十足・大室山から池までの市道の改良を請願、昭和三十六年九月、232、国道一三五号線バイパスの湯川、松原地区交通問題、昭和四十八年三月九日、233、国道一三五号線バイパスの反対運動、昭和四十八年四月二十五日、【狩野川台風被害と復旧工事】、234、狩野川台風被害と復旧策、昭和三十三年、【港湾の整備】、235、川奈の堤防改築工事の許可申請、大正十四年六月十日、236、伊東漁港の整備(『伊東漁港史』から抜粋)、昭和十三年三月三十一日、237、宇佐美漁港の整備(『静岡県の漁港』から抜粋)、昭和三十九年八月二十日、238、富戸払港の整備(『静岡県の漁港』から抜粋)、昭和三十九年八月二十日、239、八幡野港の整備(『静岡県の漁港』から抜粋)、昭和三十九年八月二十日、240、赤沢漁港の整備(『静岡県の漁港』から抜粋)、昭和三十九年八月二十日、【奥野ダムの建設】、241、伊東大川多目的ダム経過報告書、昭和四十七年四月、242、奥野ダムの環境整備と問題点、昭和五十四年十二月、第三節、水道・電気・ガス、【水道】、243、伊東町が水道使用条例を設ける、昭和三年十一月二十二日、244、伊東町が水道布設費の一般会計負担を調べる、昭和一年度~十年度、245、伊東町の水道費国県費補助の調べ、昭和二年度~十七年度、246、伊東町の水道使用料収入一覧表、昭和五~十四年度、247、最近一か年の水道使用水量の調べ、昭和七年十二月十五日、248、川奈の上水道敷設事業、昭和十年十月十一日、249、萩地区の簡易上水道敷設工事許可願い、昭和二十一年七月二十日、250、川奈区の上水道貯水槽増設に関する請願書、昭和二十五年三月二十七日、251、宇佐美村の村営水道布設について、昭和二十六年十二月六日、252、対島村の八幡野簡易水道実施計画、昭和三十年、253、萩水道移管について陳情書、昭和三十九年三月十一日、254、伊東市水源一覧表、昭和三十九年、【電気】、255、小室村十足区が伊東水力電気と契約、昭和二年四月、256、伊豆半島を関東地方と同様の周波数に変更、昭和十三年二月、257、伊豆合同電気株式会社の設立、昭和十六年五月六日、【戦後の電力供給事情】、 258、休電に際し危機協議会結成準備会開催の知らせ、昭和二十二年七月十九日、259、伊東市奥野地区の電気架設陳情、昭和二十五年十一月二十七日、260、電気料金値上に反対する陳情、昭和二十六年六月、【ガス】、261、伊東瓦斯株式会社の創立、昭和四~七年、262、瓦斯料金設定への意見書、昭和七年十月二十八日、263、湯川磯浦組合からの陳情、昭和二十八年五月二十日、第四節、バス・タクシー・海運、【自動車の普及】、264、各年末 自動車数調べ、大正十三年~昭和五年、265、昭和六年自動車料金収入の状況、昭和六年八月十三日、266、東海自動車株式会社の営業拡大、昭和七年八月~八年一月、267、昭和八年三月末 従業員調査表及び配車輌調査表、昭和八年三月末、268、不定期遊覧乗合自動車への営業拡大、昭和九年四月三日、269、伊東合同自動車タクシー会社の設立、昭和十五年十一月十三日、270、伊東町を中心とする旅客自動車輸送状況、昭和二十二年、【戦後の交通輸送態勢】、271、昭和二十二年の陸上貨物輸送概況、昭和二十二年、272、東海自動車株式会社の現況と将来計画、昭和二十二年、273、東海自動車株式会社 職名別人員配置表、昭和二十三年十一月十五日、【競合の時代】、274、駿豆バスが宇佐美への乗入れを出願、昭和二十四年四月十日、275、駿豆鉄道のバス路線申請却下の知らせ、昭和二十五年三月十日、276、駿豆鉄道が熱海下田間の乗合旅客自動車営業を模索、昭和二十五年三月三十一日、277、駿豆バス乗入陳情を市議会が不採択、昭和二十六年三月十九日、【海運】、278、昭和二十二年の海上交通概況、昭和二十二年、第五節、電話・有線放送・郵便、【電話】、279、電話加入区域統一について東海電気通信局長に陳情、昭和二十五年三月三十日、280、電話交換方式の変更、昭和二十五年五月三十日、281、伊東市吉田に乙番電話新設と補助金交付の請願、昭和二十六年五月三十日、282、電話線工事の施行、昭和二十八年十一月十九日、283、電話加入者数の調べ、昭和二十二年、284、新料金制度実施に伴う通話料、昭和三十七年九月三十日、【有線放送】、285、有線放送の設備の設置と業務開始届、昭和三十七年二月二日、286、有線放送の業務開始届、昭和三十七年五月二十五日、【郵便】、287、郵便飛行機の離発着、昭和五年十一月二十七日、第四章、社会・災害、第一節、不況下の伊東地域と人々の対応、【大正天皇大喪と昭和改元】、288、天皇崩御と服喪に関する光文元年と記された伊東町長の通知、昭和一年十二月二十五日、289、不敬な事態が起きぬよう宇佐美村内を消防組役員などが巡回、昭和二年二月七日、【不況下の伊東地域と町村勢振興の努力】、290、御大典を記念して小室村や吉田区が各種の施設設備を整える、昭和三年四月二十四日、 291、「伊東町状況一班」にみる町内産業の概要と将来の方向、昭和五年六月二日、292、「対島村土地利用計画書」にみる対島村・小室村の村勢の対比、昭和四年、293、区内における孝子順孫の調査を伊東町助役が玖須美区長に依頼、昭和五年八月十一日、294、県知事が川奈区での開墾と石材採掘を小室村長に対して許可、昭和六年四月一日、295、満州の将士を思い節約金を献金する克己日を伊東町などが設定、昭和六年十二月十五日、296、対島村県道工事終了後の朝鮮人解雇労働者を青年団等が警戒、昭和七年六月三十日、297、町内の家庭への電気の普及を示す伊東水力電気の新聞広告、昭和七年十二月二十一日、298、新たにつくられた屠場の使用料を伊東町が設定、昭和八年十一月二十七日、299、地域新聞『東豆新報』に報じられた伊東町民の年間野菜消費量、昭和九年一月七日、300、方面委員総立週間の周知と趣旨徹底を村長が各区長に依頼、昭和十一年十一月三十日、301、「小室村統計台帳」にみる人口動態と村勢の一端、昭和九~十一年、【宇佐美村・森野半助と政治運動家・西田税との交流】、302、内外情勢と国民生活の今後について記す西田から森野への返信、年不詳二月二十九日、303、荒木大将の講演や同志との懇談に関する西田から森野への返信、年不詳四月二十九日、【伊東群発地震の発生と地域の対応】、304、伊東群発地震の活発な活動を伝える新聞『時事新報』の記事、昭和五年三月五日、305、地震終息に伴う地鎮祭への協力を伊東町長が玖須美区長に依頼、昭和五年四月十七日、【北伊豆地震の発生とその被害】、306、地震に伴う町内の火災状況を伝える伊東小学校長の報告、昭和六年三月十四日、307、町役場が集計した伊東町の震災被害状況、昭和五年十一月二十八日、【疾病予防・環境改善に広がる保健・衛生対策】、308、小室村における結核調査の結果と青年男女の出稼状況、昭和十年末、【塵芥処理と衛生対策の発展】、309、小室村長が狂犬病予防週間の実施内容と結果を関係者に通知、昭和三年六月~七月、310、花柳病予防代用診療所診察費徴収につき伊東町長が議会に提案、昭和四年三月三十一日、311、警察・町役場などが伊東町民に対してゴミ捨ての注意を喚起、昭和六年九月、312、小室村の吉田・萩・十足各区における畜犬の一覧とその所有者、昭和十年十二月十日、313、伊東町長が町議会の議決を経て汚物掃除規程を設定、昭和十一年十一月八日、第二節、日中戦争下の生活統制と銃後の体制づくり、【戦時体制の強化と国民精神総動員】、314、伊東町松原区長が区民に示した時局に対応する生活改善の決議、昭和十二年九月二十五日、315、国民精神総動員の閣議決定に基いて伊東町が定めた実行事項、昭和十二年十月、316、宇佐美村長が漢口陥落に伴う行事の実施についての各区長に通知、昭和十三年十月二十七日、 341、特殊灯火管制の緩和を伝える伊東町警察署等からの回覧文書、昭和十八年二月二十五日、342、当局絶対信頼等を隣組員に要請する伊東警察署からの回覧文書、昭和十九年二月二十八日、343、戦争下の小室村における年齢別及び従業上の地位別人口一覧表、昭和十九年三月九日、344、伊東町長が各連合町内会長に割当残酒の円滑な配分を依頼、昭和二十年三月二十九日、345、沼津での朝鮮同胞調査打合に出張した対島村職員の日当領収書、昭和二十年五月二十八日、【戦局悪化に伴う国債購入と貯蓄の強化】、346、グアム島(大宮島)・テニアン島玉砕勇士仇討のため貯蓄を推進、昭和十九年、347、硫黄島戦に応じて銀・アルミ供出代償金の貯蓄を伊東町が訴え、昭和二十年二月二十八日、348、沖縄決勝の補給遂行のため隣組一世帯最低一五円の貯蓄を割当、昭和二十年、【増産・供出と勤労動員の徹底】、349、地域や職域・学校等における伊東町諸団体勤労報国隊の編成、昭和十七~二十年、350、伊東町湯川区に示された鉄を主材とする各施設の指定回収物件、昭和十七年、351、伊東町各区に対する軍用干草の割当量と助成金の一覧、昭和十七年、352、伊東町長が軍用へちまの栽培奨励を連合町内会長に依頼、昭和十八年四月八日、353、家庭に眠る銀の供出をよびかける隣組回覧用のチラシ、昭和十九年十一月、354、伊東国民勤労動員署長が罹災・疎開による未就業者登録を依頼、昭和二十年五月三日、355、松根掘り出しによる戦局の打開を訴える伊東町役場の回覧文書、昭和二十年、【配給統制の拡大と町民生活】、356、伊東町長が衣料切符制実施会議への出席を連合町内会長に依頼、昭和十七年一月二十八日、357、家庭用甘藷配給の要領を町民に伝える伊東町役場の回覧文書、昭和十八年四月二十三日、358、伊東町青果物生産配給統制規定案にみる流通機構管理の一例、昭和十八年、359、昭和十九年の伊東町湯川区回覧文書にみる町民の戦時生活、昭和十九年一月~十二月、360、一教師が記録した戦時から戦後にかけての伊東町の物価、昭和十八~二十二年、361、伊東町湯川三丁目第四組の隣組帳にみる戦中戦後の変化(抜粋)、昭和二十年三月~九月、【民族優良化と母性保護の努力】、362、民族の向上と結婚の弊害除去のため伊東町に結婚相談所を開設、昭和十七年六月六日、363、営養補給のため妊産婦への鯉特配を知らせる伊東町の回覧文書、昭和十九年一月十七日、364、国民健康保険の目的と概要を示す伊東町医師会等の回覧文書、昭和二十年三月一日、第四節、戦後社会の状況と生活の再建、【戦後の生活・配給の実態と再建の努力】、365、伊東町役場事務報告にみる戦中から戦後への配給事情の変化、昭和二十年、366、生活支援をめざして伊東町に設立された各種の社会事業団体、昭和二十二年、 367、伊東町湯川区三丁目第四組に対する衣料品の配給とその分配、昭和二十二年二月十三、二十二日、368、家庭での五割節電を電力危機対策協議会伊東支部等がよびかけ、昭和二十二年八月十五日、369、戦災援護台帳にみる伊東市川奈区の引揚者の状況一覧、昭和二十~二十三年、370、引揚援護愛の運動伊東市協議会会長が玖須美区長に協力を依頼、昭和二十四年六月二十五日、371、中国からの未帰還少女を死亡認定して伊東市より弔慰料を支給、昭和三十九年三月九日、372、伊東市における共同募金の計画と各区ごとの割当額(案)、昭和二十八年、373、伊東市における生活保護世帯数と交付した保護費の内訳、昭和二十九年十二月三十一日、【労働運動の始まりと人員整理】、374、川奈ホテル従業員組合役員が機関紙を通じて総会の意義を主張、昭和二十三年五月十九日、375、伊東郵便局労働組合が役員への人員整理の不当性を市民に訴え、昭和二十四年八月十四日、376、伊東市の小中学校教員二名の突然の馘首を地域紙が報道、昭和二十四年十月十四日、【スポーツ施設の建設と環境整備】、377、伊東スタヂアムが完成して球場開きを挙行、昭和二十七年五月、378、李垠所有の土地を伊東市が公園用に購入して管理人側と和解、昭和二十八年七月、379、戦後十年を経て今も残る伊東駅前の闇市撤去を求める陳情書、昭和三十年、380、駅前マーケット撤去促進委員会の開催案内、昭和三十一年七月三十日、第五節、戦後の災害と防災活動、【若者組改革とキティ台風への対応】、381、防災活動を担う若者組の改革を宇佐美村留田の青年が誓約、昭和二十一年九月二十五日、382、地域紙に報道されたキティ台風による伊東市の被害、昭和二十四年九月二日、383、村長が村議会に提出したキティ台風による宇佐美村の被害、昭和二十四年九月一日、384、対島村長が村内道路復旧工事を村直営で行うことを議会に報告、昭和二十四年十月二十四日、【狩野川台風による被害と救援】、385、狩野川台風による伊東市の状況変化と被害発生の経緯、昭和三十三年九月二十六、二十七日、386、伊東市立南中学校校務日誌にみる被災後の対応と学校活動、昭和三十三年九月~十月、387、伊東市各区における世帯別罹災状況の一覧、昭和三十三年十月八日、388、被災後の救助活動に使われた費用の総額と内訳、昭和三十四年二月十九日、389、被災した小中学生に支給された学用品の種類と総量、昭和三十四年二月十九日、【伊豆半島東方沖地震と富戸小学校】、390、伊東市における被災の概況を記した富戸小学校地震災害の記録、昭和五十五年六月二十九日、第六節、観光発展に向かう時代の医療と衛生、【戦後の医療と衛生の状況】、391、戦争直後の伊東町におけるさまざまな伝染病患者の発生数、昭和二十二年、 392、伊東市区長会長が市議会議長に国立温泉病院行バス運行を陳情、昭和二十五年四月、393、伊東市における死亡者の死因と年齢別区分の一覧、昭和二十七年、394、対島村衛生係がまとめた村内結核患者の死亡状況、昭和二十九年十二月十五日、【ごみ排出量の増加と公衆衛生・清掃事業の新展開】、395、伊東市区長会長が糞尿貯蔵場設置と農家による処理を市に陳情、昭和二十五年四月、396、伊東市定例区長会での衛生・清掃事業の現状報告と協力の依頼、昭和二十九年五月二十四日、397、昭和三〇年代の伊東市におけるごみ排出量の大幅な増加、昭和三十九年、【国民皆保健下の医療と健康】、398、伊東市における国民健康保険事業全市実施に至る経過の概要、昭和三十五年、399、地域紙にみる伊東市民のかかりやすい病気ベスト10、昭和四十七年九月十四日、400、地域紙にみる伊東市での七〇歳以上の医療無料制度利用状況、昭和四十七年九月十五日、第七節、高度経済成長期の伊東の社会とその変化、【第三次産業の増大と社会・生活の変化】、401、伊東市制施行一〇年の時点における消費者の買い物状況、昭和三十二年六月十五日、402、売春防止法施行翌年の伊東市内関係地域の変化を地域紙が報道、昭和三十三年三月一日、403、国勢調査にみる伊東市の人口構成や産業別就業人口の変化、昭和三十、三十五年、404、統計にみる昭和三〇年代の伊東市の生活・産業・児童等の状況、昭和三十六、三十七年、【原水爆禁止運動の広がり】、405、水揚げされた南方鮪の安全性周知を焼津市民が対島村長に依頼、昭和二十九年三月二十三日、406、広範な市民が結集した原水爆禁止伊東市協議会の役員名簿、昭和三十二年、407、伊東原水協会長による市民大会のよびかけと提灯行列の順路、昭和三十二年十月三十日、408、原水爆実験即時停止と日本の非核化を求める伊東市議会決議案、昭和三十三年七月四日、【労働運動・社会運動の高まり】、409、伊東市職員労働組合連合会が第二六回メーデー参加をよびかけ、昭和三十年四月二十八日、410、伊東松川事件対策協議会による啓発映画市内巡回上映の報告、昭和三十六年五月二~九日、411、伊東市の零細な職場の労働者が合同組合をつくり機関紙を発刊、昭和三十六年十一月、【在日朝鮮人帰還事業への対応】、412、朝鮮総連伊東支部長等との面談の内容等を伊東市より県へ報告、昭和三十四年九月二十六日、【高度成長期における地域社会と環境の変化】、413、宇佐美区で明治百年を記念し発展する区の人口当て懸賞を実施、昭和四十三年九月二十五日、414、伊東警察署がまとめた市内でのシンナー遊び少年の補導状況、昭和四十三年五月~八月、415、川奈区を通る国道の排気ガスによる松枯れを地域紙が報道、昭和四十七年九月十一日、 416、伊東市における昭和五十五年より五十九までの各種公害処理状況、昭和五十五~五十九年、【生計費の実態と物価高騰への対応】、417、地域紙にみる伊東市の世帯別標準生計費の内訳、昭和四十七年九月二十五日、418、石油危機による物価高騰に対応し伊東市物資対策協議会を設置、昭和四十九年二月一日、【七〇年代における労働運動とスト・賃上げ】、419、伊東の女性労働者が若年定年制反対・解雇撤回への支援を訴え、昭和四十七年、420、伊東市長が職員の半日ストの自粛をよびかけ厳正な対応を表明、昭和四十八年四月二十六日、421、伊東市内七事業所での夏期ボーナス支給の実態を地域紙が報道、昭和四十七年六月十四日、【七〇年代から八〇年代にかけての伊東市民の意識】、422、伊東市教育委員会による市内青少年四八四名の意識行動調査、昭和五十二年一月一日、423、伊東青年会議所が調べた市民一、一二七名の地域意識や政治意識、昭和五十六年、第五章、教育・文化・宗教、第一節、昭和戦前期の学校教育と子どもたち、【アメリカ人形歓迎の動きと満州事変後の教育方針】、424、人形を迎える準備をすすめる園児たち-伊東幼稚園日記より-、昭和二年三月七日、425、陸軍記念日に、伊東町においてアメリカ人形歓迎雛祭を開催、昭和二年三月十日、426、伊東小にて人形を出迎え、答礼人形に添える手紙を全校で作成、昭和二年五月五日、427、県視学池本澤悦が宇佐美小職員に自由教育思想への注意を喚起、昭和六年十二月三日、【学校や子どもの状況と職業指導】、428、小室村において乳幼児子守のため欠席する児童の調査、昭和七年度、429、給食を必要とする小室村の児童への大池小・川奈小の対応、昭和八年五月四日、430、交通事故予防のため伊東小児童の路傍遊戯取締りを学校に要望、昭和九年一月二十日、431、伊東小における職業実習のねらいと職種の変化、昭和十年七月二十九日、432、小室村役場による熱海・伊東及び各地紡績工場の児童求人公告、昭和十一年三月三十日、【小学校における奉安殿の新設】、433、小室村長が伊東警察署長に川奈小奉安殿菊御紋章の描出を届出、昭和八年十二月七日、434、小室村・川奈小における奉安殿工事の進行と落成、昭和八~九年、【伊東高等女学校の建設と婦人会】、435、伊東町における小学校児童数と中等学校入学者数の変化、昭和三年十二月一日、436、伊東に高等女学校を建設する建議案を町議会が満場一致で可決、昭和六年三月三十一日、437、伊東町婦人会による女学校建設寄付金募集の趣意書と芳名録、昭和七年二月十一日、438、婦人会員が上京し、若槻礼次郎の支援を受けて寄付金を集める、昭和七年十二月二日、439、伊東町立伊東高等女学校の校名を静岡県伊東高等女学校に改称、昭和七年十二月二十二日、【開校した伊東高等女学校と生徒・保護者の状況】、 440、伊東高等女学校の各学科課程と毎週教授時数表、昭和八年四月、441、校友会誌創刊号に掲載された参観記にみる学校の様子、昭和九年三月、442、校友会創刊号に掲載された生徒の作品にみる女学校生活、昭和九年三月、443、伊東高等女学校と実務女学校保護者の戸数割納税額を対比、昭和十年二月、【男子中学校創設への動き】、444、伊東町長が男子中学校創設基金設置規程の設定を議会へ通知、昭和十年三月十七日、445、男子中学校創設に関する伊東町議会でのさまざまな議論、昭和十年三月十八日、第二節、昭和戦前期の文化や宗教の状況、【地方新聞とラジオの普及】、446、内務省警保局が調べた伊東・熱海における新聞発行の状況、昭和二年十一月三十日、447、日本放送協会総務局が調べた田方郡各町のラジオ聴取者数、昭和十二年三月二十一日、【伊東ガス開業式と芸奴のお座敷】、448、伊東ガス開業式後の宴会における芸奴のお座敷、昭和七年十一月五日、【地域と関わる文化人・文学者】、449、プロレタリア作家若林つや(杉山みつゑ)の伊東小での動静、昭和三年四月九日、450.歌人尾上柴舟の指定寄付による奨学基金を伊東町が設置、昭和七年二月九日、【寺院・神社・教会の統制と国家主義の浸透】、451、神社の手水鉢に菊花類似紋章があり玖須美区長が始末書を提出、昭和十年六月十一日、452、二・二六事件に関して赤心奉公祈請の祭祀執行を小室村長が通知、昭和十一年七月二十五日、453、日本同盟基督教会宇佐美教会が村役場に設立許可願を提出、昭和十一年十一月十六日、第三節、日中戦争下の学校と幼稚園、【戦争を支える学校と子ども】、454、伊東小学校で日中戦争応召者の家族に授業料その他を減免、昭和十二年十月二十七日、455、学校便り『くずみ教育』第八・九号にみる戦時下の子どもの活動、昭和十二年十二月二十五日、456、『くずみ教育』第九号にみる、戦場の父を思う子どもの作文、昭和十三年三月二十五日、457、伊東小校長が教育問題克服と亜細亜新秩序建設の人材育成を訴え、昭和十三年十二月二十五日、458、伊東尋常高等小を西尋常小学校に代え東尋常高等小学校を設置、昭和十四年六月九日、459、対島村での生徒児童による遺家族支援と生産力拡充への協力、昭和十四年六月、460、体力章(初級)を川奈小における検定合格者九名へ交付、昭和十五年七月二十五日、【伊東高等女学校の拡充と補習科の設置】、461、伊東町と近隣町村における伊東高女入学志願者数の変化、昭和十五年、【戦時下の日誌にみる伊東幼稚園の教育】、462、出征兵士見送りや戦勝記念・伊東線開通にわき立つ、昭和十三年、463、兵隊さんと遊び、園庭の監視台をみて防空の心得を理解、昭和十五年、第四節、戦時下における文化の特色と寺社の活動、【オリンピック出場から団体的訓練強化への転換】、 464、東京オリンピック出場も視野に県水上競技大会の結果を報告、昭和十二年八月二十一日、465、伊東体育協会が開催した第一回町民体育大会のプログラム、昭和十三年六月三日、【挙国一致から紀元二千六百年の奉祝へ】、466、伊東町・相模屋百貨店発行の昭和十四年度大祭七曜表、昭和十四年、467、新井神社々掌が紀元二千六百年式典への参拝参列を呼びかけ、昭和十五年十一月七日、468、小室村長が奉祝歳費や静岡県護国神社移転費等を各部落に割当、昭和十五年二月二十四日、【宇佐美村における戦死者慰霊】、469、靖国神社臨時大祭に際しての黙祷の周知を村長が各区長に依頼、昭和十三年十月十八日、470、八幡神社忠魂碑前で行う招魂祭への出席を村長が依頼、昭和十四年三月八日、第五節、アジア・太平洋戦争期の教育、【決戦教育の強化と実践】、471、皇民錬成参観「母の会」への全員出席を伊東東国民学校長が要望、昭和十八年九月十七日、472、米英思想一掃のため伊東東国民学校にて外国人形を廃棄、昭和十八年十一月十六日、473、米国の動向にふれて奮起を促す伊東町湯川区長の年頭の辞、昭和十八年一月一日、474視学官が宇佐美国民学校を視察し戦時非常措置要綱実現を指示、昭和十九年、475、錬成重視の小室村川奈国民学校初等科二年・体錬科体操授業案、昭和十九年六月三十日、476、伊東西国民学校学徒隊の結成を祝う後援会長のあいさつ、昭和二十年、477、大池国民学校の校名を一碧湖国民学校に変えて清新感を高揚、昭和二十年二月二十日、478、伊東町議会が学校や役場などの備品・書類等の分散疎開を議決、昭和二十年八月三日、【児童の健康状況】、479、昭和十九年度伊東西国民学校学徒身体検査統計表(女子身長)、昭和十九年、480、昭和十九年度伊東西国民学校学徒身体検査統計表(女子体重)、昭和十九年、481、昭和十九年度伊東西国民学校学徒の栄養状態と疾病異常(女子)、昭和十九年、【校務日誌・保育日誌にみる「戦争」】、482、伊東西国民学校における飼育・採集・増産活動の広がり、昭和十七年~二十年、483、伊東西国民学校運動場・校舎の軍事的活用と軍隊の動向、昭和十七年~二十年、484、空襲警報の下で日々の教育を行う伊東幼稚園と園児の様子、昭和二十年、【学童の集団疎開と地域・学校】、485、伊東警察署長が小室村に疎開学童用玉蜀黍寄贈の取計いを依頼、昭和十九年八月十九日、486、伊東町の松月院住職が県知事に疎開学童七三名の受入れを届出、昭和十九年九月七日、487、伊東西国民学校校務日誌にみる学童疎開の受入れから送別まで、昭和十九~二十年、488、伊東町・熱海市における学童集団疎開受入れ施設の一覧、昭和十九~二十年、【男子中学校と高等女学校をめぐる状況】、489、戦中戦後の伊東熱海地区の男子中等学校入学志願者・許可者数、昭和十七~二十一年度、 490、終戦時における伊東・熱海高等女学校生徒の動員状況、昭和二十年八月十五日、【青年学校における軍事教育の推進】、491、静岡連帯が小室青年国民学校長に少年飛行兵試験について依頼、昭和十八年七月七日、492、伊東町外三ヶ村組合立青年学校の状況とその活動、昭和二十年五月八日、第六節、戦争完遂をめざす文化活動と宗教活動、【健民運動の強化とラジオ体操】、493、ラジオ体操全町大会への町民参加を伊東町長が広く呼びかけ、昭和十七年八月十三日、494、大東亜共圏全体で行う夏季ラジオ体操の会会長挨拶、昭和十八年七月二十一日、【寺社の活動・行事への戦争の影響】、495、朝光寺火葬場の伊東町営移管に関して町長が町議会で説明、昭和十七年七月六日、496、氏子総代会田方郡支部長が宇佐美村長に神職分与金増額を要望、昭和十八年六月二日、497、徴用者増加と戦局悪化に伴い伊東町新井区の鹿島踊を変更・中止、昭和十九~二十年、498、資源節約と防空のため松明の使用を田方地方事務所長が禁止、昭和二十年七月三、十四日、499、伊東町長が決戦下の神社参拝と米英撃滅祈願を各町内会に依頼、昭和十九年十一月二十一日、【地域に広がる各種の宗教団体とその活動】、500、宇佐美村における各宗教団体の教徒・信徒数の状況、昭和十三、十七年、501、日本基督教団伊東教会の布教状況と求道者・入信者の人数、昭和十九年九月二十九日、【寺社の戦争動員と被害への対応】、502、神社のアルミ貨の銀行等での引き換えを伊東町長が神職に依頼、昭和二十年二月十日、503、寺社・教会の空襲被害等の届出を県内政部長が伊東町長に通牒、昭和二十年二月十二日、504、寺院教会の境内にある欅樫の供出を伊東町長が慈光会長に通牒、昭和二十年五月九日、505、伊東町の仏光寺代務住職が住職安部龍謙の召集を県知事に届出、昭和二十年五月十八日、第七節、戦後民主教育の出発、【教員適格審査と新しい学校づくり】、506、県視学が宇佐美国民学校を視察して民主教育等の推進を指示、昭和二十一~二十二年、507、川奈国民学校の学校長代理を教職員の投票によって選出、昭和二十一年二月十日、508、教員七名の適格審査判定書交付を川奈小校長が要望、昭和二十二~二十三年ヵ、509、対島村立八幡野国民学校奉安殿撤去物の処分について、昭和二十一年十一月十六日、510、米国雑誌配給希望数の報告を田方地方事務所長が学校長へ依頼、昭和二十二年五月五日、【PTAの発足とその活動】、511、父兄と先生の会に関する川奈小学校での現状調査、昭和二十三年四月十日、512、PTA負担による西小温泉浴場建設を会長が教育委員会へ要望、昭和二十八年七月二十八日、【進駐軍による学校視察】、513、静岡県軍政部教育課長による川奈小学校視察と学校側との応答、昭和二十三年二月二十五~二十六日、【戦後の学校と児童の実態】、 514、川奈小学校児童身体測定における身長・胸囲・体重の平均、昭和二十二年、515、川奈小児童の年間拠出金の実態、昭和二十二年、516、伊東市における各小学校と新制中学校の概要、昭和二十二年、517、宇佐美児童学園に在籍する罹災児等の就学を村の学校で受託、昭和二十三年十一月二日、【児童の食糧事情と学校給食の実施】、518、川奈国民学校での昼食持参者・帰宅昼食者・欠食児童の調査、昭和二十一年六月二十日、519、伊東西小学校で行われた給食記念日の日程と献立、昭和二十四年二月四日、【東豆教職組合の発足と教育実態調査】、520、東豆教職員組合が新しく出発するにあたっての組合長の挨拶、昭和二十二年十月二十日、521、組合が発足一周年を機に作成した東豆教育実態報告書の抜粋、昭和二十三年十二月十七日、522、対島村教職員組合が作成して教育長に提出した生活実態調査表、昭和二十七年一月十日、【青少年の健全育成に向けて】、523、少年を村民一丸で守る宇佐美村青少年補導会設立趣意書(案)、昭和二十年代、524、区民を中心とする宇佐美村覚醒剤撲滅対策協議会支部規約案、昭和二十年代、【新教育の展開と野間教育研究所】、525、伊東・東豆の教師たちを啓発した野間教育研究所の思い出、昭和四十一年十一月十八日、526、野間教育研究所日記にみる伊東を起点とした新教育の取り組み、昭和二十一~二十五年、【社会科を核とした新教育の実践】、527、宇佐美愛育新聞に掲載された村政に関わる児童の学習活動、昭和二十二年十二月二十六日、528、伊東町立東小学校にて約三〇〇名を集めて新教育研究会を開催、昭和二十二年、529、全国に紹介された中学校一年の社会科実地授業の記録(抜粋)、昭和二十三年七月三十日、【戦後の幼稚園と新しい幼児教育】、530、戦後の平和や米国人と幼児の接触を記した伊東幼稚園保育日誌、昭和二十、二十一年、【旧制東豆中学校の開校と廃校】、531、県知事が地元の意向に沿い東豆中学校の設置を文部大臣に申請、昭和二十一年五月十三日、532、東豆中学校生徒の市町村別出身数、昭和二十二年七月八日、533、廃校と学校組合の解散を伊東市長が名古屋財務局長に通知、昭和二十四年三月二十六日、【伊東地域における新制伊東中学の建設】、534、伊東中学校と対島中学校・宇佐美中学校との建設比較表、昭和二十七年十二月二十五日、535、伊東町議会で議決された町立中学校設置要項、昭和二十二年五月三十日、536、復興宝くじ売捌に応じた中学校整備費を県知事が対島村に補助、昭和二十三年十二月十五日、537、対立感情払拭と学校問題解決のため村議会で了解事項を議決、昭和二十七年四月二十九日、538、富戸分校保護者の職業・生徒の職業意識、昭和二十七年、【県・市町村における教育委員会の発足】、 539、教育委員選挙の重要性について進駐軍担当官が伊東西小で講演、昭和二十五年十一月四日、540、対島村での教育委員会の発足を富戸小が学校報で周知、昭和二十七年十一月二十日、【民間教育研究運動の始まり】、541、自主的な教育実践の学びあいを呼びかける「東豆綴方の会」会報、昭和二十九年六月十二日、【新制伊東高校における生徒活動と将来の希望】、542、校内誌『海』創刊号にみる女生徒と尾崎士郎の対話、昭和二十五年十一月二十日、543、生徒の「将来の希望職業」と「配偶者の選択条件」アンケート、昭和二十六年十一月五日、【青年婦人教育と青年運動の新展開】、544、『昭和二十六年社会教育関係事務報告』にみる成人式の取組み、昭和二十六、二十七年、545、宇佐美村で自主的向上と結束を目標に青年連盟を結成、昭和二十一年九月十八日、546、伊東市青年団体連絡協議会機関紙『あせ』にみる団員実態調査、昭和三十年六月二十日、第八節、戦後文化活動の開化と宗教界の変化、【戦時出版物の没収と民主化啓蒙映画の上映】、547、戦時出版物の没収と送付について伊東町長が町漁業会に伝達、昭和二十一年六月五日、【童謡「みかんの花咲く丘」を伊東からラジオ中継】、548、伊東町立西小学校校務日誌にみる「空の劇場」開催記録、昭和二十一年八月二十五日、549、観光協会の日誌に記された聴衆殺到の中でのラジオ中継の労苦、昭和二十一年八月二十五日、【木下杢太郎(太田正雄)追悼と伊東町議会】、550、伊東町主催で木下杢太郎追悼会を開くことに町議全員が賛成、昭和二十二年十月二十日、【地域新聞が記す子どもと女性の役割】、551、伊東こども新聞発刊のことばと大伊東市発展の展望、昭和二十二年八月十五日、552、日本親米婦人協会を設立して民主化に果たす女性の役割を啓蒙、昭和二十三年十月二十八日、【同人誌の発刊と新日本文学会の設立】、553、新日本文学会伊東支部刊『じんなら』編集後記と同人の氏名、昭和二十五年二月一日、【民主主義科学者協会伊東支部の設立】、554、飯島衛等を中心とする民科伊東支部の構成員とその規約、昭和二十四年三月二十五日、555、文化人・研究者七名を招聘し伊東会館にて民科夏季大学を開催、昭和二十四年六月三十日、【”シベリア抑留”をめぐる新聞紙上での論争】、556、深澤七衛が抑留強制労働を否定して流行歌『異国の丘』に抗議、昭和二十四年三月四日、557、抑留生活の悲惨と留守家族の血涙の叫びにふれて反論、昭和二十四年三月十一日、558反ソ宣伝を助ければファシズム復活に直結と潮吹鳴男が再反論、昭和二十四年三月十八日、559、ソ連の宗教弾圧を批判して現実を直視するよう再批判、昭和二十四年三月二十五日、【雑誌書籍の販売傾向と図書館をめぐる状況】、560、伊東カナリヤ書店でのエログロ雑誌氾濫と雑誌書籍販売の明暗、昭和二十三年六月一日、 561、国連週間に関わる出版物普及を教育長が伊東図書館長等に依頼、昭和二十五年十月十八日、562、対島村にも移動文化館ステーションを設置して図書を巡回、昭和二十八年八月二十日、【市民劇団の発足とその担い手】、563、斉藤真一による第四回一周年記念公演パンフレットの表紙、昭和二十八年八月二十二日、564、五周年を迎えた市民劇団団員へ寄せた太田賢治郎のことば、昭和三十二年、565、創設五年目の時点における新旧劇団員の名簿、昭和三十二年、【テレビ放送の開始と映画の衰退】、566、伊東市長が吉田茂首相等へのテレビの民間放送への一本化を要望、昭和二十七年七月十四日、567、伊東市街の三映画館における一か月間の上映予定表、昭和二十八年十一月、568、テレビ放送開始を告げる伊東のラジオ店の広告、昭和二十八年八月二十二日、569、ラジオ・テレビ受信契約者数・映画館数・図書館閲覧人員数、昭和三十五年、570、入場者減少による伊東の映画館の衰退を地域紙が報道、昭和三十八年十二月十日、571、伊東最後の映画館『銀映オリオン』の閉館を地域紙が報道、昭和六十二年四月四日、【国家神道解体と社寺・祭典の変容】、572、終戦詔書奉戴誓役式の執行について伊東町長が各神社に通知、昭和二十年八月三十一日、573、戦利品の宝物等が人目に触れぬよう伊東町長が各神社に通知、昭和二十年十二月四日、574、鹿島踊りの施行についての伊東町新井区壮年団の申し合わせ、昭和二十一年一月一日、575、神道指令の各分野への徹底を伊東市長が青年団長区長等に通知、昭和二十二年十月十日、576、伊勢神宮式年遷宮奉賛会伊東支部が各区内に募金目標を割当、昭和二十六年、577、靖国神社合祀通知状を県民生労働部長が伊東福祉事務所に送付、昭和三十三年九月十六日、第九節、復興期から八〇年代に至る教育・文化活動の展開、【伊東第二中学の建設に向けて】、578、新中学建設を前提に市教育委員会が調査票を教育事務所に提出、昭和二十九年十月二十五日、579、伊東市湯川区長が第二中学誘致に向けて区民大会の開催を通知、昭和二十九年四月二十八日、【高度成長期の幼稚園教育と障碍児保育の始まり】、580、伊東幼稚園校務日誌にみる園児の様子と教育の変化(抜粋)、昭和三十二~四十一年、581、伊東初の心身障碍児通園施設・さくら保育園が開園、昭和四十八年五月一日、【伊東商業高校の建設】、582、地元が県教育委員会と合意した県立高等学校新設の条件、昭和三十七年四月三日、【教育のあり方をめぐって】、583、勤務評定反対闘争に携わった東豆教職員組合執行部役員の回想、昭和五十二年三月一日、【新しい文化活動の広がり】、584、演劇鑑賞団体・伊東市民劇場の発足とそのあゆみ、昭和五十二年、585、子どもの文化を育てる伊東おやこ劇場の設立総会宣言、昭和四十八年十一月十七日、 586、伊東おやこ劇場の会員数の推移と学区別・地区別会員数、昭和六十一年十月十八日、587、伊東市少年少女合唱団発足の理念を訴える理事長の挨拶、昭和五十三年三月二十六日、588、少年少女合唱団団員数の推移、昭和五十一年、【中学校卒業生の進路の変化】、589、市内四中学校卒業生の進路状況と進学率・就職率の逆転、昭和四十年三月、590、中学高校進路希望調査で上級学校への進学希望が増加、昭和四十七年六月二十日、【高校増設運動の展開とその受けとめ】、591、高校進学のみにとらわれず多様な進路選択を促す主張も登場、昭和五十四年四月十六日、592、伊東で高校増設をすすめる父母の会が県知事等に陳情書を提出、昭和五十四年九月十日、593、伊東・熱海の市長、市議会議長等が高校増設を県知等事に陳情、昭和五十五年二月二十九日、第六章、温泉・観光・開発、第一節、温泉、【温泉を守るための鉱山反対運動】、594、鉱物採掘許可処分に対し、不服の訴願、昭和四年十一月一日、595、鉱業権取り消しについて再請願、昭和七年五月十日、596、新たな鉱業試掘出願に対する伊東町の反対表明、昭和七年十二月二十二日、597、鉱業権取り消しについて重ねて陳情、昭和八年九月二十六日、598、鉱山反対宣言、昭和八年十月二日、599、鉱山反対期成同盟会規約、昭和八年十月三十日、600、鉱業権取消方陳情の件、昭和十三年十月二十八日、601、鉱山反対運動の歴史(井原為吉著作より)、昭和五十一年三月、【戦後も激しく燃え上がった鉱山反対運動】、602、戦後も押し寄せる金銀銅鉱試掘願い、昭和二十三年十二月十七日、603、伊東国際観光温泉文化都市建設法の衆議院での議決及び内容、昭和二十五年五月二日、604、金銀銅試掘願いに対し公益に関する意見書、昭和二十五年七月十九日、605、伊東市に係る鉱山出願調べ、昭和二十六年六月六日、606、鉱山師撃退に懸命の伊東市、昭和二十六年七月十二日、607、鉱区禁止拡大指定の請求、昭和三十七年一月十三日、608、鉱区禁止地域拡大を目指した伊東鉱山反対期成同盟会、昭和三十八年一月二十九日、【温泉利用の拡大と、その限界】、609、地区別の温泉数量の変遷、明治二十九年~昭和十六年、610、昭和前期伊東町の温泉数及び状況統計、昭和一年~二十七年、611、昭和前期(戦前)旅館別宿泊人数の変化、昭和八年、十四年度、612、昭和前期(戦前)の一般的な旅館の姿(東海館聞き書きその一)、昭和前期、613、温泉付き貸別荘(中谷宇吉郎『冬の華』抜粋)、昭和十三年九月十日、614、伊東市城内温泉源泉年次別分布図、大正一年~昭和三十九年、615、温度低下・湧出量減少への対応(東海館聞き書きその二)昭和前期、【地域住民の温泉利用の例・湯川区の場合】、616、湯川区と松原区の温泉に関する契約証、昭和六年六月十一日、 617、温泉日掛金納入の催促、昭和六年七月、618、湯川区共同浴場新設問題、昭和九年四月二日、619、湯川共同浴場運営の入札、昭和十四年三月十六日、【戦後の市内各地における新温泉の開発】、620、宇佐美温泉こんこんと湧出、昭和二十九年十一月三日、621、昭和六十三年度温泉調査表、昭和六十三年二月二~五日、第二節、昭和初期の観光地としての発展、【一碧湖】、622、伊豆伊東近郊「日出ヶ岡別荘地」概要、昭和四年頃、623、吉田の大池が一碧湖と命名される、昭和二年、624、吉田の大池(一碧湖)の地上権設定決議書及び契約書、昭和三年十一月八日、625、一碧湖の地上権設定契約証書、昭和三年十一月十三日、626、昭和四年、一碧湖遊覧道路の新設費を伊東町が寄付、昭和四年三月十四日、627、昭和初期の一碧湖水神祭の児童作文、昭和八年、【川奈ゴルフ場と川奈ホテル】、628、川奈ゴルフ場開設のための土地契約書、昭和二年三月十八日、629、川奈ゴルフ場建設に伴うボラ道等利用の件、昭和二年二月二十五日、630、昭和六年の川奈ホテル現状報告、昭和六年三月十三日、631、伊東町が川奈ゴルフ場存置を情願、昭和九年一月十二日、632、川奈ホテルの従業員を地元から募集、昭和十一年二月十日、【戦前の観光地を支えた地域の各種組織等】、633、温泉組合が事務所建設を願って町へ寄付、昭和十年一月二十八日、634、伊東町が伊東温泉観光協会設立に同意する件、昭和十三年八月八日、635、旅客案内所の設置を承認、昭和十六年十一月十八日、636、旅館組合に町有土地使用承認の件、昭和十六年十一月十八日、637、芸妓の車代につき旅館組合定期総会提案、昭和七年一月二十五日、638、旅館組合と割烹職組合との申合書、昭和十三年二月一日、639、伊東芸妓見番営業開始のお知らせ、昭和十年七月一日、【戦前の観光関係施設・観光行事等】、640、「蜜柑狩宣伝広告」に関しての協議事項、昭和十一年、641、観光施設「磯の家」の経営に関する契約、昭和七年十月二十八日、642、遊覧施設「磯之家」の運営状況(昭和十二年伊東町役場事務報告抜粋)、昭和十二年、643、伊東町観光祭挙行予定、昭和十三年四月、644、伊東線開通翌年の観光状況(昭和十四年伊東町役場事務報告抜粋)、昭和十四年、645、戦時下の観光地伊東の状況(昭和十六伊東町役場事務報告抜粋)、昭和十六年、646、昭和十年頃の伊東町における開発財源としての別荘税、昭和九年四月十六日、647、宇佐美村海水浴場、昭和十年七月十日、648、「伊東釣り案内」のパンフレット、昭和十三~十四年、【戦時下の伊東温泉の実情】、649、昭和十九年度の兵站宿舎、昭和十九年十一~十二月、650、伊東旅館施設組合 昭和十九年度事業概要、昭和十九年、第三節、戦後の観光、【観光再建期】、651、信興繁華街・湯の花銀座の誕生、昭和二十二年六月二十一日、 652、市制施行・貿易再開を祝して按針祭挙行へ、昭和二十二年八月十三日、653、闇売買撲滅運動の展開、昭和二十二年十一月二十九日、654、東京都の結核療養所設置反対運動の高揚、昭和二十二年八月十三日、655、伊東商工会議所設立趣意書、昭和二十四年四月二十六日、656、旅館組合を結成、昭和二十六年六月二十六日、657、観光協会の再建、昭和二十六年十二月十日、【昭和中期の観光状況】、658、『伊東市勢要覧一九六四』にみる「観光」、昭和三十九年九月一日、659、観光会館のオープン、昭和四十一年四月三日、660、旅館・寮等の室数・収容人員など、昭和三十二年、661、伊東大東館案内(昭和四十年頃の標準的旅館)パンフレット、昭和四十年頃、662、伊東の旅館総数二三六軒で料飲税一億円にせまる、昭和四十七年六月十三日、663、芸者の玉代値上げ決まる、昭和四十七年六月二十七日、664、地元新聞にみる中小旅館のゆくえ、昭和四十七年九月十日、665、地元新聞にみるリゾートマンションの旅館経営圧迫、昭和四十八年九月六日、666、昭和末期頃の宿泊施設一覧、昭和六十二年十月、667、『昭和六十三年度市政の概要』より「観光、農業、競輪」、昭和六十三年、668、『広報いとう』大室山麓に「桜の里」、昭和五十三年三月一日、第四節、開発、【戦後の開発】、669、風致地区申請に関する審査報告書、昭和二十五年十月二十八日、670、市内小室山観光遊覧地建設についての意見書、昭和二十六年七月二日、671、伊豆半島国立公園指定に関する陳情書、昭和二十九年六月、672、世界初の地球儀型温室が完成、昭和四十年四月二十五日、673、富士箱根伊豆国立公園事業執行承認申請書(写)の送付について、昭和四十三年八月十二日、674、富士箱根伊豆国立公園道路事業執行承認申請書、昭和四十三年八月、675、伊東市長が自然研究路の承認申請を副申、昭和四十三年八月十四日、676、国立公園日蓮崎道路(歩道)事業の執行承認指令書、昭和四十三年九月二十四日、677、城ケ崎のつり橋完成、昭和四十三年五月十五日、678、城ケ崎自然研究路整備計画、昭和四十三年、679、土地利用の現況(進出企業の状況)、昭和四十年代前半、680、伊豆新聞記事にみる宅地化進む伊東南部の様子、昭和四十七年六月九日、681、変わりゆく伊豆高原別荘地帯(伊豆新聞)、昭和四十八年九月十日、682、伊東市にゴルフ場や別荘の建設凍結令、昭和四十八年九月十九日、第七章、兵事・戦争、第一節、山東出兵・満州事変と伊東地域の人々、【第二次山東出兵への緊急動員と銃後の支援】、683、召集令状六六通を受領した伊東町役場の対応と帰郷兵士の歓迎、昭和三年、684、出征兵士とその家族への伊東町民の四つの支援、昭和三年五月十五日、 685、出兵目的を讃え、兵士の労苦に感謝する伊東町玖須美区民の手紙、昭和三年、【満州への出動と各町村にみる兵士の動員状況】、686、満州事変勃発翌年の伊東町における兵士召集と帰郷の情況、昭和七年二月三日、687、満州に出動した各部隊に属する伊東町出身兵士の名簿、昭和九年、688、日中戦争前年の小室村における陸海軍人の総数と種別区分、昭和十一年十二月末日、【地域における軍事支援体制の強化】、689、国防事業を助成して従軍者を後援するため伊東愛国団を結成、昭和七年二月、690、時局に対応し、後備・補充兵役終了者を集めて伊東町戦友会を設立、昭和九年三月二十八日、691、故東郷元師国葬当日に、伊東小学校校庭にて遥拝式を挙行、昭和九年六月三日、692、入港する戦艦比叡乗務員の無料入浴を伊東町長が旅館組合へ要請、昭和十年六月十三日、693、兵士送迎の簡素化を要望する伊東町各界代表からの通達、昭和十年十一月十六日、694、伊東町防護団結成と満州事変記念日における防空訓練の実施内容、昭和十一年七月二十五日、695、宇佐美村でも防護団を結成し、灯火管制実施について区長と協議、昭和十一年九月十日、696、伊東町防護団における警備班・避難所管理班など各班の役割、昭和十一年、697、満州の村出身兵へ各区一つの慰問袋を送ることを小室村長が依頼、昭和十一年七月十四日、【近隣海域での海軍艦艇の演習】、698、相模湾における戦艦比叡と駆逐艦・掃海艇による砲撃訓練の実施、昭和十年七月二十九日、第二節、日中戦争下の動員拡大と戦時体制の整備、【戦争激化に伴う動員兵士の急増とその動向】、699、盧溝橋事件(七月七日)一〇日後から始まる伊東町での兵士の召集、昭和十二年七月十五日、700、事変逼迫との認識の下、伊東町出征兵士への飲食物提供に配慮、昭和十二年七月十五日、701、伊東町における予備校・後備役・補充兵の大量動員を開始、昭和十二年七月二十七日、702、宇佐美村からも一四名の兵士を第二次召集、昭和十二年七月二十七日、703、対島村では池・赤沢・八幡野・富戸の各区から二名の兵士を召集、昭和十二年七月二十七日、704、伊東町から召集された兵士の動向と所属部隊、昭和十三年一月二十日、705、小室村にみる応召兵・現役兵・戦死者の数と村の対応、昭和十五年二月十九日、【前線の兵士への慰問と交流】、706、戦地へ送られた『伊東通信』第一号にみる銃後の様子、昭和十二年八月二十日、707、伊東尋常高等小学校の学校看護婦を現職のまま戦時召集、昭和十二年八月二十六日、708、伊東小の看護婦が学校便り『くずみ教育』によせた従軍報告、昭和十四年三月二十五日、709、前線兵士への慰問袋二四〇を宇佐美村各区に割り当て、昭和十四年、710、銃後の状況を戦地の兵士に伝える伊東町湯川区民の手紙、昭和十五年九月、 736、療養所開設に関する伊東町温泉旅館組合と第一師団経理部との協定、昭和十二年十月二十四日、737、東京第一陸軍病院臨時伊東療養所の収容力拡張を陸軍大臣が指令、昭和十二年十一月二十九日、738、伊東町消防組による傷病兵の出迎と開所式への参列、昭和十二年、739、臨時東京第一陸軍病院伊東療養所より旅館組合に本部の移転を通知、昭和十三年二月十二日、740、傷病兵慰問の閑院宮妃通過を奉迎するよう宇佐美村長が区長に依頼、昭和十三年四月二十五日、741、傷痍軍人伊東温泉療養所誘致に向けての努力と土地の買収、昭和十三年、742、転地療養所傷病将兵慰安のため旅館組合が映画会を開催、昭和十三年六月一日、743、転地療養所の傷痍軍人懇談会にみる住民への要望と社会復帰の願い、昭和十四年三月二十五日、744、宇佐美村での傷病兵慰安のため村長が東留田区長へ魚の寄贈を依頼、昭和十四年九月四日、745、療養所となっている大和館の別館新築認可を願う旅館組合長の副申、昭和十四年五月二十日、746、傷痍軍人伊東温泉療養所開所式奉祝アーチ建設費内訳、昭和十四年十二月十五日、747、鉄道による東京―伊東間の患者輸送計画表、昭和十三~十四年、748、軍事保護院総裁から伊東町鎌田区へ温泉療養所労力奉仕の感謝状、昭和十六年五月二十七日、【軍需動員の広がりと国民徴用】、749、横須賀海軍工廠軍需労務員二〇〇名を伊東町から募集、昭和十二年九月十九日、750、横須賀海軍工廠や各地の民間軍需工場で男女要員計九五〇人を募集、昭和十五年五月一日、751、伊東町長から各町内会長へ労務要員応募協力と隣組常会開催を依頼、昭和十六年五月十五日、752、小室村民へ中島飛行機小泉製作所への動員を命ずる国民徴用令書、昭和十六年八月十六日、753、国民徴用令に基いて出頭を命ずる三島国民職業指導所からの要求書、昭和十六年九月十六日ヵ、754、三島国民職業指導所が女子造兵報国隊適格者の斡旋を村長等に依頼、昭和十六年七月十七日、755、農繁期に小室村への一時帰農を希望する労務者の名簿、昭和十六年九月二十五日、【満州への移民・移住の推奨と募集】、756、満州農業移民の募集を各区長・団体長に伝える小室村長の通知、昭和十一年六月二十五日、757、三島国民職業指導所が満州鉱工業技術員実習生・一般工を募集、昭和十五年一月十五日、758、三島国民職業指導所が満州国鉄道警護総隊の隊員を募集、昭和十五年五月二十四日、759、三島国民職業指導所が満蒙女子拓殖訓練講習会への参加者を募集、昭和十五年九月二十五日、【満蒙開拓青少年義勇軍の募集と壮行】、760、満蒙開拓青少年義勇軍の応募皆無を改善するよう県が小室村に示達、昭和十六年一月二十日、761、三島国民職業指導所が義勇軍応募者の激励について小室村長に打診、昭和十五年二月五日、 711、田方郡町村会で決められた慰問袋募集計画表、昭和十六年二月十九日、712、中国に派遣された伊東出身兵から故郷の子どもたちへ届いた絵葉書、昭和十五~十六年、713、対島村池地区出身兵から国民学校・婦人会への慰問袋感謝の年賀状、昭和十七年□月二日、【従軍兵士と銃後の教育者の戦争詠】、714、穂積忠『歌集 雪祭』に詠われた銃後の妻と従軍海軍少佐の心情、昭和十二年十一月、715、対島村出身兵・稲葉源一郎の従軍手帳に記された日中戦争詠、昭和十六年一月、【遺家族や傷痍軍人の援護と戦死者の顕彰】、716、戦争四か月後に伊東町玖須美区で行われた出征者・遺家族への支援、昭和十二年十一月十三日、717、伊東町医師会が松原区・玖須美区で出征軍人家族の健康相談を計画、昭和十三年一月二十日、718、戦傷死者遺族の心境を小室村から静岡第三四聯隊弔慰委員へ報告、昭和十三年三月二十四日、719、小室村役場から戦死者遺族への扶助料前貸に関する通牒、昭和十三年四月七日、720、銃後公会による忠霊塔建設を伊東町が後援して負担金を支出、昭和十六年一月二十三日、721、小室村長から県への回報にみる傷痍軍人の数と職業輔導の重要性、昭和十六年四月四日、722、長男出征により生計困難となった一家から県への軍事扶助申請、昭和十六年七月十六日、723、昭和十年三月から十六年八月に至る伊東町戦病死軍人軍属の町葬、昭和十~十六年、【銃後の体制確立と国債購入・献金運動】、724、伊東町につくられた軍事後援会の規約と活動、昭和十二年九月八日、725、競走馬や白馬を馬匹徴発に配当しないとの伊東警察署長からの通牒、昭和十二年十月三十日、726、銃後奉公会の設置と軍事援護の強化についての宇佐美村長の通知、昭和十四年三月二十日、727、宇佐美村・銃後後援強化週間における実施事項、昭和十四年、728、国債・報国債券の引受目標設定に関する伊東町区会の決議、昭和十五年九月二日、729、三島砲兵聯隊の小室村内宿泊と馬糧提供・歓迎費徴収を村長が依頼、昭和十五年六月十六日、730、県民による戦車献納金の割当などを宇佐美村長が区長会に提案、昭和十五年九月十四日、731、伊東町役場の回覧にみる兵士送迎の規制強化と盗難防止への協力、昭和十六年七月十七日、【防空システムの整備と防護団】、732、伊東町防護団にて防空警報や灯火管制を詳細に規定、昭和十二年九月五日、733、伊東警察署長から町村長などへ海上での防空訓練実施要領を伝達、昭和十三年九月十九日、【東京第一陸軍病院臨時伊東転地療養所・傷痍軍人伊東温泉療養所開設】、734、陸軍転地療養所の開設を伊東町各界がこぞって担当将官に上申、昭和十二年九月、735、伊東町の五二の旅館が療養所として自館を解放することを承諾、昭和十三年九月十六日、 762、三島国民職業指導所が訓練生入所と隊員二次募集を小室村長に連絡、昭和十五年五月三十一日、763、田方郡と熱海市における満蒙開拓青少年義勇軍合格者の氏名、昭和十五~十六年、764、伊東町を出発する義勇軍の見送りを銃後奉公会会長が通知、昭和十六年二月三日、765、義勇軍郷土部隊へ採用された青少年一二名の氏名と出身校、昭和十六年十二月十一日、766、伊東町東国民学校 沿革誌にみる義勇軍関連記事、昭和十六~十八年、767、伊東町東国民学校、校務日誌にみる義勇軍関連記事、昭和十六~十八年、第三節、アジア・太平洋戦争期の住民動員と戦争参画、【空襲に備えての訓練の強化】、768、防空模範町内会の設定を伊東町長が連合町内会長に依頼、昭和十七年四月七日、769、防空警報は誰がどこに発令するかの区分を伊東警察署長が通達、昭和十七年四月二十六日、770、警察指定街路灯の臨時残置を伊東町長が湯川連合町内会長に通知、昭和十七年六月十五日、771、焼夷弾発火実験への隣組長の出席を伊東町役場が各町内会長へ通達、昭和十八年三月六日、【空襲の激化と戦災への対応】、772、伊東警察署等が空襲警報下の対応の不備を指摘し改善をよびかけ、昭和十九年十一月七日、773、灯火管制実働をふまえ防空決戦体制の確立を伊東警察や役場が要請、昭和十九年十二月十三日、774、対島村・富戸国民学校校務日誌にみる防空警報発令の実態、昭和十九~二十年、775、伊東町で定められた戦災住民への見舞金支給要綱、昭和二十年八月三日、776、空襲から農作物を守る方策を陸軍の部隊長が小室村長に通牒、昭和二十年六月六日、777、北海道帰農戦災者の募集を伊東国民勤労動員署長が小室村長に依頼、昭和二十年七月十九日、778、人手不足等を理由に軍需工場をやめて帰農する小室村民の名簿、昭和二十年、779、伊東町内の旅館に疎開した伊豆諸島島民数の推移、昭和二十年五~七月、【航空訓練の開始・軍事技術の開発】、780、滑空訓練費用調達のため伊東航空青年隊と青年学校が映画会を開催、昭和十七年十月六日、781、伊東町長が小室村長に滑空場予定地の反別等調査を依頼、昭和十七年一月二十二日、782、郡水産会長が陸軍の水中投光器試験への協力を漁協組合長に依頼、昭和十八年八月十四日、783、内務省防空研究所等による伊東でのセメント代土発見を新聞が報道、昭和十八年八月十七日、【戦争中の軍事動員の実態と兵事事務】、784、田方地方事務所に報国された小室村の軍人数の調査(極秘取扱)、昭和十八年四月十二日、785、対島村役場に納められた兵事関係公用紙代金の請求明細書、昭和二十年、786、東伊豆六市町村にみる海軍志願兵徴募検査の成績、昭和十八年、787、敵機識別に備え、対島村で八幡野防空監視哨双眼鏡購入資金を寄付、昭和十九年六月十日、 788、伊東町長が駐屯部隊の異動や戦時の業務推進について町議会に報告、昭和二十年六月三日、789、敵軍上陸に備えて伊東警察署が定めた沿岸警備などの要綱、昭和二十年、790、川奈国民学校校舎を非常時に海軍の患者収容所に転用する許可申請、昭和二十年七月十五日、791、大池国民学校校舎を第七陸軍技術研究所に貸与するための許可申請、昭和二十年七月十五日、【銃後支援活動の統制と強化】、792、戦地への送金絶無を期するよう野戦部隊より小室村長に依頼、昭和十八年二月二日、793、静岡聯隊から小室村長へ入営や応召の見送人統制を重ねて通牒、昭和十八年四月十四日、794、船員感謝援護運動の指導を田方地方事務所が小室村長に依頼、昭和十八年十二月一日、795、伊東警察署と旅館商業組合が防犯と防諜を町民によびかけ、昭和二十年ヵ、796、軍関係者や疎開者の利便のため伊東町が東京直通列車の再開を陳情、昭和二十年一月二十二日、797、特攻精神顕彰資金取り纏めを軍人援護会が町村の銃後奉公会に要請、昭和二十年七月二十日、【戦時輸送力・生産力の逼迫と対応】、798、輓馬機動隊要員の推薦を伊東国民勤労動員署長が小室村長に依頼、昭和二十年六月八日、799、大陸物資輸送員採用に関して小室村長が村民五名に静岡出頭を通知、昭和二十年六月十八日、800、松根油輸送に出動した畜力挺身隊員に関する報国提出を村長が通牒、昭和二十年七月二日、801、松根油製造竈火入式の執行を太田賢治郎議長が伊東長議会に連絡、昭和二十年三月二十七日、【小室村における戦没者遺家族の実態と支援】、802、戦没者遺児二名の伯父が静岡県知事に保育教養願を提出、昭和十七年四月二十八日、803、小室村内における軍事扶助者三一名の生活状況の実態、昭和十八年六月三十日、804、戦没者を出した、ある小作兼業農家の世帯構成と収支の状況、昭和十七年四月二十八日、805、寡婦教員・保母養成事業の概要を県内政部長が伊東町長に伝達、昭和十八年一月二十三日、【ガダルカナル島戦没兵士の足跡と無言凱旋】、806、将校の立会いの下で作成された山田幸男の最初の遺言書、昭和十六年三月十六日、807、戦地で投函された、伊東町の家族を案じる軍事郵便はがき、昭和十六年、808、スマトラ島で新たに作成された遺言書と遺族への死亡通知、昭和十七、十八年、809、当時の新聞の見出しにみるガダルカナル島の戦況、昭和十八年七~八月、810、中部第三部隊長が小室村長へガ島戦没者内報の取扱を依頼(厳秘)、昭和十八年八月十三日、811、中部第三部隊長が小室村長へガ島戦没者の無言凱旋について通牒、昭和十八年十一月十一日、【増大する戦没者の町葬と慰霊】、812、伊東町議会において町葬費用の削減と遺族への香料増額を決議、昭和十七年三月二十三日、 813、戦死者四名の伊東町葬執行にあたっての事務分担と人員配置、昭和十七年六月九日、814、田方地方事務所が小室村長に戦没者墓碑規格指導の通報を依頼、昭和十八年八月十七日、815、伊東高等女学校講堂にて戦死者二九名の町葬を仏式で挙行、昭和十八年十二月十八日、816、宇佐美村において忠霊塔建設の敷地を選定して実現に努力、昭和二十年三月十二日、817、町葬を仏式から神式に変えることを伊東町議会において可決確定、昭和十九年七月十七日、第四節、戦後処理と在日米軍への対応・再軍備、【連合軍による接収と平和状態の回復】、818、横須賀海軍病院川奈分院を閉鎖し建物を所有主に返還、昭和二十年九月十五日、819、小室村長が大日本飛行協会静岡支部長に滑空機格納倉庫払下を申請、昭和二十年十一月十三日、820、県鰹鮪遠洋漁業組合伊東市部に報告された近海の機雷掃海の現状、昭和二十三年四月七日、821、米軍による伊東地域での軍用貯蔵物資接収の状況、昭和二十三年、【旧海軍電測学校宇佐美実習所の払下げ】、822、宇佐美村民が旧海軍電測学校宇佐美実習所の敷地建物払下を陳情、昭和二十二年、823、電測学校設立時からの状況と旧陸軍第七研究所実験所の現状、昭和二十二年十二月一日、824、旧電測学校宇佐美村実習所を宇佐美中学校施設に供するために払下、昭和二十三年十月三十日、【帰還者・未帰還者と戦没者数の調査】、825、伊東町における帰還者と未帰還者人員調査、昭和二十一年十二月十三日、826、伊東市各区の戦没者調査、昭和三十年四月、【村葬・慰霊の継続と元軍人・遺家族への対応】、827、戦没者・生存軍人援護について静岡連隊区司令部が小室村長へ通牒、昭和二十年十月二十五日、828、殉国の勇士として戦死者七名の村葬を対島村会が議決、昭和二十一年五月九日、829、芙蓉会(県遺家族元軍人生活擁護連盟)が宇佐美村長に支援を要望、昭和二十九年十月、830、伊東市戦没殉難者慰霊塔建立会が活動の趣旨を市民に訴え、昭和四十年十二月、831、対島村赤沢分校児童の慰問文に対する巣鴨刑務所服役者からの礼状、昭和二十八年、【朝鮮戦争出動国連軍の慰問と難民支援】、832、傷病兵慰問と義損金品募集を民生委員連盟田方支部長が町村に依頼、昭和二十五年十一月七日、833、宇佐美村長が西留田から国連軍慰問・難民支援等の寄付金を領収、昭和二十五年十二月十八日、【伊豆海域・湘南における米軍の演習】、834、米軍が房州沖や相模湾での艦砲射撃演習を伊東漁協へ警告、昭和二十四年一月二十日、835、静岡県経済部長が茅ヶ崎付近での米軍上陸演習を伊東漁協へ通知、昭和二十五年八月十八日、836、連合軍航空機に対する海上保安庁注意事項を伊東漁協が漁船に通知、昭和二十五年九月二十二日、 837、射撃演習危険区域に関する米軍の通知を県渉外課長が漁協へ連絡、昭和二十六年八月十五日、【被害への対応と演習場反対運動の展開】、838、射撃演習ドック地区設定取り消しを求める静岡県漁連の陳情書、昭和二十六年八月三十日、839、伊東の漁民や県漁連によるドック・マイク海域対策運動の経緯、昭和二十六年九月二十日、840、ドック海域内での漁獲減による被害金額の集計、昭和二十六年十二月十九日、841、特殊漁場区域への出漁に関する注意を伊東漁協が漁民へ伝達、昭和二十六年十月十八日、842、駐留軍による被害証明書発行について県総務部長が対島村長に通知、昭和二十八年四月十三日、【保安隊員・自衛隊員の募集と地方自治体】、843、第二回保安隊員募集に関する報告を県総務部長が宇佐美村に依頼、昭和二十八年十二月二十六日、844、保安庁長官から宇佐美村長への、隊員募集に関するお礼とお願い、昭和二十九年一月二十六日、845、防衛庁が宇佐美村に送付した陸曹空曹志願案内の内容、昭和二十九年、846、『伊東市地域防災計画』で定められた自衛隊派遣要請計画の内容、昭和三十九年



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1 0006568919県立図書館S212/13/閲覧室地域資料貸可資料 在庫    
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