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書誌詳細
この資料の書誌詳細情報です。
タイトル番号 |
1009410026530 |
書誌種別 |
地域資料 |
書名 |
湯山半七郎日記 裾野市史資料叢書 2 |
著者名 |
裾野市史編さん専門委員会/編
|
書名ヨミ |
ユヤマ ハンシチロウ ニッキ スソノ シシ シリョウ ソウショ |
著者名ヨミ |
スソノ シシ ヘンサン センモン イインカイ |
叢書名 |
裾野市史資料叢書
|
叢書巻次 |
2 |
出版者 |
裾野市教育委員会市史編さん室
|
出版地 |
裾野 |
出版年月 |
1992.3 |
ページ数 |
295,23p |
大きさ |
21cm |
言語区分 |
日本語 |
分類 |
S213
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件名 |
裾野市 |
目次 |
凡例、日記目次、湯山半七郎日記、解説、下湯山家家系図、受け持ち小学校区域略地図、人名索引、日記目次、繙読の便宜を考え日記目次を掲げた。もとより粗い選択であり、これだけが重要項目というものではない。明治8年、4月3日、各所で神武天皇遥拝式を勤める(以下この項省略)、9日、千福村で区内説教一席(以下この項省略)、16日、郷社臨時祭典執行(以下この項省略)、5月1日、行餘学舎(荘園寺本堂)内試験に付、出席、5日、県庁御用及び皇朝学舎開講のための出岡、8日、中教院回廊へ皇朝学舎設立開講に付、出頭(11日帰宅)、22日、小田原、中垣秀通方に出発す(26日帰宅)、28日、江原素六、尾江川知三、神尾長鏡らを訪れる、6月3日、湖水表並掘貫穴並新川筋修繕出調入費総勘定に出席、5日、副戸長給料に付、十一ヶ村の集会あり、出席、10日、沼津にて第一大区中神官協議に出席、17日、自宅別座敷を郷社浅間神社の社務仮出張所として開局、27日、麻上下着用で県庁に出頭、権令大迫貞清より、第拾四番中学区取締を仰付かる、29日、蜂屋定憲より中学区附属小学校持場の指示あり、7月1日、郷社にて大祓式執行、説教一席、7日、静岡県蜂屋少属学区回視に付、同伴する、14日、戸長役は学区取締就任により免ぜられていることが判明、23日、次男禎次郎を連れ箱根に入湯、31日、禎次郎が小田原中垣氏に学文修行、留学する、8月1日、中学区取締、月給七円付与せらる、6日、須山村に登る。宍野半も来る、8日、岩崎佐十郎宅の第一大区中神官会議に出席。神道事務分局の支局を半七郎宅に設置することを承諾する、17日、四ノ小区学区巡回に登る、23日、手作田畑見廻り、24日、夜半俄ニ発病、医師を呼ぶ、31日、佐野村誠求舎生徒の親より、村名附ヶ名頭等を教育して欲しいとの申出あり、9月6日、尾江川知三来泊、各小学校を廻る、8日、潤身舘と洗旧舎の聯区を提起する、15日、清酒売捌税上納と学事用のため出岡、10月1日、静岡師範学校開業式に出席。権少属藤本駿馬、浅間神社祠官大井菅磨、布教御掛鈴木忠吉、少属蜂屋定憲等を訪れる、7日、文庫蔵新築につき地鎮祭を行う、10日、佐野村誠求舎にて三小区各小学校教員会議あり、出席、15日、当屋敷鎮守桜大刀子神及天神宮御遷宮奉仕。文庫蔵棟上ヶに湯山氏一統を招く、17日、萩原村集慣舎にて四小区中各小学校教員会議あり、出席、18日、新橋村之内鮎澤最寄の児童一名の帰属につき仲裁する、27日、御宿村の者で仏祭に戻ることを願い出たものを神葬祭に引きとめる、11月6日、御宿村八幡社前にて御宿、千福両村分の耶蘇教に入信しない旨の誓紙を取る、10日、行餘舎開業、12月5日、家日待をする、6日、郷村社■掌御免願記す、9日、沼津宿にて、神道支局沼津設置につき協議、23日、出岡中、大庭唯吉、江原素六等を訪う、明治9年、1月7日、行餘舎始業に付出席、8日、宍野半に年甫状を郵便で出す、12日、四小区に出張、学区取締として各校を廻る、(二十日迄)、 24日、長栄講に出席、2月6日、学区取締兼巡回教師田中大夢、行餘舎に見廻り、半七郎方に泊る。様々協議す、12日、四小区出張、(二十日迄)、26日、勧農講立会、3月6日、社寺上地貢租調掛り三名止宿につき、三小区二十三ヶ村正副戸長の出入り多し、10日、各校巡回に出発、四小区、五小区迄足を伸ばす、(十九日帰宿)。この間、県学務課より学区取締及巡回教師の旅費渡方につき通知あり、21日、湯山平次郎女おこわ婚姻に付、出席、24日、村方耕地道路修繕場所見分、27日、各校巡回に出発、(二十九日帰宿)、4月2日、歌四首詠む、9日、沼津駅集成舎に出頭。(第十四番中)、学区の内第一大区中の各小学教員試験のため、17日、■山村山林大火、召仕男一同を消防に遣す、19日、四小区、五小区各校巡回に出発、(5月5日帰宿)、5月11日、平松新田佐野原神社にて故中将為冬■神霊御祭典を副祭主として奉仕する、20日、四、五小区各校巡回に出発、(5月29日帰宅)、23日、この日の頃に、小学生徒試験は、隣校教員立会の上、該区巡回教師が試験を担当すべき旨の県第五課よりの達写しあり、6月2日、小田原駅中垣秀実、(妻清の父)、昨1日死去の飛脚到着。直ちに清、小田原に出発する、8日、伊豆韮山支庁に出頭、小学校資本金が確立しないため、教員給料等が滞る窮状を訴える、10日、初田植、13日、出岡、(16日帰宿)、17日、養蚕揚り最中、多端に付手伝う、21日、女喜和、嫁つる、孫一を連れ、小田原駅中垣秀通を訪う、(7月5日帰宅)、22日、中垣秀実墓所参詣、7月19日、山田大夢と共に四、五小区各校巡回、(7月24日帰宿)、27日、手作の田畑見廻る、29日、副戸長勝又■八方で村入費上半季割があり立会う、(旧高一石に付金七十二銭)、8月1日、村社八幡宮奉仕、同姓中に当日の礼に廻る。墓所参拝、2日、出沼。学区取締尾江川知三、県令大迫貞清、十等出仕今井信郎、十一等出仕蜂屋定憲に面会、3日、中学校開業式に出席。湊橋開橋祭の神事に加わる、4日、石脇村にて栄橋、(旧字繫橋)、橋開の神事に勤める、10日、四小区御殿場村小学明理舎に於て静岡師範学校訓導松山泉仲より各校教員へ正課授業法伝習あり、出席、12日、静岡県令大迫貞清の供をして各校、各地巡視、14日、大迫貞清、半七郎宅に泊る、15日、大迫貞清、行餘舎、字栄橋、五龍瀧神武天皇遙拝所等を見分、供をする、御宿村村社八幡宮の大祭典入用は、村持地田徳の内米八斗を以て、御神酒御饌に当てることに決める、17日、明理舎に出張。(20日帰宿)、この間、成美舎に赴く■研三に会う。■研三、月給7円の定め、22日、中山村に行く、(23日帰宅)、26日、次男禎を連れ第十四番中学校に入門させる。校長江原素六に面謁する、9月1日、第二大区扱所、(富士郡吉原宿)、に出頭、7日、行餘舎出席。仏像を取除くことを住職と相談、決定する、8日、十四番中学区取締兼巡回教師磯部物外来り、二人で各校巡視、(9月13日迄)、13日、本月5日嫁つる、小田原 駅中垣秀通方にて男子平産の通知あり。初名湯山薫、14日、郷村社■掌辞職願を書く、19日、渡邊隼雄に■掌辞職表への加印を求むるも得られず、22日、本年地租二納取立に付副戸長勝又■八方に出席、26日、柳雄を連れ小田原中垣氏に行く、(9月30日帰宅)。この間、中垣秀敷、(秀通の弟)、の渡邊隼雄への聟入を取決める、10月5日、山田大夢と二小区、一小区等の各校巡回、8日、一小区江之浦村江浦舎以下各校巡回、(10月12日帰宅)、20日、吉原宿にて第二大区扱所合併教育事務所に詰める、(24日迄)、28日、郷村社■掌辞表を三小区扱所に差出す、31日、下香貫村集慣舎以下巡視、(11月9日帰宅)、11月13日、11月8日付の■掌職務御免状を受取る、自らの身長五尺四寸六分と記す、15日、中垣秀敷、渡邊隼雄に婿入、婚姻披露に出席、18日、次男禎の梶与参方への婿入縁組本決りとなる、20日、三小区社務仮出張所廃止、届出、21日、茶製仲間衆会、22日、皇后宮行啓に付、各校生徒拝與の手配をする、12月10日、製茶結社入調印にもとづき、製茶資本金五十円等を送金する、14日、岩崎長康婚姻に付、鉄漿親となり、出席、31日、定例松餝りをする、明治十年、1月6日、小学校資本金、金二百円上納する、12日、明治9年12月12日より27日迄の旅費仕出、旅籠帳、郵送、21日、長栄講、結社七名、24日、吉原宿、教育事務所出頭。本月分月給7円と旅費5円48銭受取る、(27日夜帰宿)、26日、本月12日提出の「旅費仕出し」提出期限後ではあるが、披見してくれるよう県第5課に嘆願書提出、2月1日、教育事務所詰め、(7日帰宅)、2日、第十四番中学区取締免職願、(三日付)、を認める、3日、右免職願を磯部物外に見せる。同人の助言により提出見合わせる、25日、次男禎、須走村梶与参方に婿入り、3月5日、地租改正に付、地位定メ惣代人に選出される、沼津中学校火災、禎帰宅、7日、3月3日付、第十四番中学区取締職務差免辞令の請書を、7日付で書く、11日、地位等級詮定につき惣代人寄合あり、出席、(以下関係記事多し)、14日、地位等級詮定会議出席。上等田壱反当り収穫高、米壱石弐斗等を投票で決める。又田壱等より十等、(後十四等迄)、迄に決める、(3月20日から明治11年12月19日迄空白)、明治十一年、12月21日、静岡県大書記官石黒務より、駿河全国各郡平均壱反当り田麦宅地の価金等の達しあり。(駿東郡平均壱反に付、田米壱石弐斗七升収穫。米壱石に付、金五円八銭。)、27日、右の「地租改正収穫本郡耕宅地負担壱反歩の平均米麦金額」の諾否期限を、来明治十二年一月十一日迄猶予を願出る、明治十二年、1月11日、県より改めて、垂示の反米額請書を差し出すよう説諭あり、18日、大書記官石黒務より、服部文一を担当からはずし永峰弥吉を後任にする旨、口達あり、21日、区戸長総代一同相談の上、富士郡と反米麦金の比較をした帳簿を差し出し、それでも採用がない場合は、駿東郡反米麦金を御請けするこ とに内々確定する、25日、写真師水野佐一方で、野木昌三郎、小沢九兵衛等と三人で写真を撮る、湯山半七郎、年齢四拾六年五ヶ月也、26日、窪田凸に環融社設立についての礼に参上、27日、予て御垂示の反額では堪え難いこと、又富士郡との比較など相談、28日、帰宅、2月4日、一郡総代に選挙されるも辞退する、9日、一月廿九日請願の反額減量願却下される、12日、駿東郡と富士郡との権衡は直に駿東郡の不幸になることを様々請願する、18日、御宿村組親出会に出席。火之番、夜廻りを消防組と改称する事、上之原の御宿村供有地の立木をカロウト堰入用の用意として売払うことなどを決定、3月7日、東京市本郷区湯島、順天堂病院に柳雄入院。付添った半七郎も入院を勧められ同日入院、15日、帰宿。順天堂の診断書写しに、網膜充血症につき治療を怠ると失明の恐れあり、と、18日、郡区改正に付、本月十二日戸長改撰の布達あり。本日村方一同相談の結果、湯川関太郎を御宿村戸長に撰挙する、25日、総代人一同改正局に出頭、米価相場釐革を願出たところ、大書記官石黒務より、県も中間の立場で困却しているので、取り敢えず改租事業演達書には請書を出すよう説諭あり、26日、一、一月廿九日上申の願書返戻さる、一、実際の相場に適当するよう、昔日、(明治十一年十二月二十一日参照)、の指令の壱石代五円八銭を釐革するよう、改正局に総代一同出頭願出る。戸叶、永峰より、石代は、願によって決めるのではなく、官の存意により定めるとの答えあり、29日、一、静岡病院々長大川宗炳より通常に付、薬用に及ばず、但し近眼鏡を用うべき旨、診断あり、一、郡長江原素六以下改正局に出頭、様々談判すれども進展なし、4月9日、郡長、郡書記、顧問、重立一同参衆、米価相場の義、県庁で釐革聞届けない以上、改正局に出頭するか相談、確定せず、10日、衆議の上、県庁への再願の積り。但し、地種区分等着手の書面も上申する、7月27日、駿東郡各村戸長及び所々の名指しに人員を呼出し、郡会開設、 |
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