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書誌情報サマリ

書名

磐田ことはじめ 第2編      現代編 

著者名 熊切 正次/著
著者名ヨミ クマキリ マサジ
出版者 熊切正次
出版年月 1996.4


書誌詳細

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タイトル番号 1009610037932
書誌種別 地域資料
書名 磐田ことはじめ 第2編      現代編 
著者名 熊切 正次/著
書名ヨミ イワタ コトハジメ   @
著者名ヨミ クマキリ マサジ
各巻書名 現代編
出版者 熊切正次
出版地 磐田
出版年月 1996.4
ページ数 234p
大きさ 21cm
言語区分 日本語
分類 S293.4
目次 磐田ことはじめ(第二編)の刊行に際して、第一章、磐田の歩み(明治以降)、第二章、行政・自治会、1磐田市の大字/行政区使用が多い、2衆議院/最初は国民の一%の代表、3明治の議員/運営に馴れるまで要時間、4行政振興調査/戊申詔書が発端、5区会/議決された二之宮区会設置、6二之宮区会/大池関連特別区会を作る、7財産管理/財産問題後回しの合併、8寄付金/明治年代は学校寄付が多かった、9例規/村政の姿がその中にある、10予算表/経験を重ねて定着した、11北海道への移住/移住は大事業、12組合役場/磐田での組合役場は二つ、13役場事務/末端行政は徐々に複雑化、14役場の執務時間/戦前までは余裕のある勤務、15国勢調査/大正九年が日本最初の調査、16中泉町町章の制定/どんなテーマだったのか、17中町と改称/以前は東新町と呼んだ、18組長申合せ規定/組内で公選、19税務署/全国五指に数えられる大税務署、20郡役所/町村を指導監督する役所、21郡役所の廃止/廃止は大正十五年、22県財務事務所/出先機関は必要、23不景気/官吏減棒令が出された、24皇紀の奉祝行事/暦と皇紀の年号、25翼賛選挙/行き過ぎた翼賛政治、26、回覧板、とんとんとんからりと隣組の回覧、27、匡救事業、不況克服の農村救済事業、28、境界変更、合併は時期未だしだった、29、都市計画、指定は昭和十四年、30、磐田市制施行、式典に軍政部隊長も、31、部落会・町内会、国策徹底の組織、32、自治会、民主的な自治組織の育成は戦後、33、見付の町名変遷、京都風の名前が、34、中泉の町名、市制のとき町名改称、35、住居表示、旧村を大字としてきた、36、国府台土地区画整理、最初の宅地開発事業、37、太田川の改修、災害は繰り返された、38、ドッジライン、財政再建の決め手、39、市の木と市章、指定木はまき、40、広報いわた、平成六年に通巻千号、第三章、学校・教育、41、休日、西欧並は遠い道のりだった、42、旧見付学校、国の重要文化財、43、中泉学校、開校式は西町浅間神社で、44、龍門館、山岡鉄舟が名付親、45、小学校の授業料、明治年代は払っていた、46、小学校規則、学校規則には歴史の重み、47、学業成績査定、緊張した考査会場、48、机、腰掛けの寸法、児童の体格を基本に設計、49、教科書、終戦で国定教科書制度が廃止、50、義務教育年限延長、校舎不足が問題、51、学校組合、財政難で学校組合を考えた、52、体格検査成績、百年前の小学生は小さい、53、分散授業、空襲で児童の通学が危険、54、学校給食、磐田で昭和九年が初め、55、貧困児就学奨励、就学率向上方法、56、幼稚園、見付での開園は明治二十八年、57、PTA、磐田地方は比較的早い結成、58、六三制義務教育、教育の民主化、59、磐田の小・中学校、学校統計による、60、農学校、県下唯一の県立農学 校があった、61、県立中学、見付中学の水泳は有名、62、県立磐田北高等学校、幼児教育を併設、63、県立磐田西高等学校、前身は中泉高等女学校、64、東高等学校、市内唯一の私立高校、65、見付の高等小学校、寄宿舎から通学、66、准教員養成所、旧見付学校で授業、67、青年訓練所、軍事訓練の場だった、68、青年会、大正時代は県下の模範、69、見付青年団旗制定、和田画伯のデザイン、70、勤労動員、学業より多い勤労動員時間、71、珠算、算盤塾はブームだった、第四章、戦争・災害、72、壮丁、甲種合格は三七%、73、在郷軍人会、遠州地方が嚆矢だった、74、慰問袋、前線で受け取った元気回復剤、75、教化動員、精神作興運動が基本、76、太平洋戦争、三二〇万人の犠牲者がでた、77、百二十九部隊、最初のレーダー基地、78、空襲と磐田地方、遠州灘が入口、79、疎開、学童疎開児童約七百名受入れ、80、銃後、留守家族も戦場以上の苦労があった、81、戦災、磐田の戦火は比較的大きかった、82、戦没者、磐田では千八百余人、83、終戦、聞きづらいラジオ放送だった、84、軍用機不時着事件、海岸の怪事件、85、占領軍、占領軍の命令は絶対的なもの、86、進駐軍、ジープがこわかった、87、引揚者、引揚者住宅を作って対応、88、軍政部の行政視察、ジープの巡回、89、満蒙の開拓、政府の音頭とりで始まる、90、金属類特別回収、全部供出の対象、91、警察、磐田市警察は短命だった、92、米騒動、警備の軍隊派遣を要請、93、警防団、戦後は消防団となる、94、消防、消防ポンプ導入は大正十年、95、梅屋火事、見付の半分も灰にした大火、96、火災、昭和初年は少年警備隊が活躍した、97、洪水、太田川で小屋掛料などの援助措置、98、救護法、戦前福祉の集大成、99、大池量水基準標、排水の目安、100、東南海地震、戦時で被害報道はなし、第五章、農業・商工業、101、稲作、害虫駆除で増産へ、102、耕地整理、米作改良の耕地整理事業、103、農具、機械化で作業が一変、104、米葉奨励、米葉は乾燥室の建設が必要、105、小作料、懸案だった一俵の容量統一、106、農会技術員、増産に一役買った人たち、107、甘藷切干し、自然食ブームで売上げ増、108、供出と主食、食糧危機の克服は供出、109、地主、農地改革で農業は再編成された、110、農地改革、農業の基盤を変更、111、磐田の産業組合、全国で最初、112、農会から農協へ、農業振興の先進地、113、畜産組合、多頭飼育農家はなかった、114、養蚕業、農家は蚕に住まいを占領された、115、大池の川魚、川魚屋が三軒あった、116、金融、明治年代は地元銀行がたくさんあった、117、不況、昭和初年は世界的な大不況、118、新円の切替え、戦後だからできたという説がある、119、統制経済、戦時中に始まった配給、 120、遠州織物、自動織機は織物の産業革命、121、コール天、磐田地方は全国一の機業地、122、官営工場誘致、東海道線の側線利用、123、東部台地工場群、地元の努力実る、124、職業紹介、大正年代までは口入業、125、経済成長、為替相場三六〇円時代、126、磐田の商圏、大きくは浜松の商圏内か、127、明治・大正年代の米価の変遷、第六章、健康・衛生・福祉、128、感冒の流行、スペイン風邪でワクチン、129、トラホームの流行、予防検診で対応、130、結核予防、結核は医学が克服した、131、寄生虫、海人草液を順番に並んで飲んだ、132、医師会、大正年代には無料治療券を発行、133、健康保険、国保開始は長野村がトップ、134、胞衣、へその緒は血統を示すとされた、135、避病舎建設、疑獄事件に発展、136、衛生組合、明治年代の予防衛生は大掃除、137、火葬場、最終的に磐南聖苑に統一、138、ごみ・屎尿処理、資源保護運動の盛り上がり、139、救済基金、明治初年の救院活動は特例、140、方面委員、戦前福祉の中心的存在、141、民生委員、福祉の担い手、142、公益質屋、一六銀行と呼ぶ庶民の味方、143、年金、高齢者社会で財源問題がポイント、144、高齢化社会、戦後派人口とチェンジ、145、生活扶助、終戦直後は民生委員が大活躍、146、手をつなぐ親の会、山本さんの努力は立派、147、磐城学園、言葉の訓練が主体、148、同和問題、二一事業促進会が活躍、第七章、交通・通信、149、車両統計、車両の発達で道路整備促進、150、中泉駅、磐田駅と改称は昭和十七年、151、東海道線の複線化、電化は戦後、152、途中下車扱いの申請、強気の鉄道全盛時代、153、中泉軌道、人車鉄道は下りが得意、154、光明電鉄、庶民鉄道に国鉄並の電車、155、交通安全、大正年間の交通安全活動、156、中遠自動車組合、県下初の自動車組合、157、木炭車、煙を吐いて走る、158、磐田の道路、道路補修は地元の奉仕、159、秋葉街道、生活に密着した秋葉信仰、160、軍用道路、予備滑走路の役割も果たす、161、北大通り、懸賞募集した道路名、162、栄町と鉄道暗渠、連絡道路造成、163、郵便局、郵便の元祖は中泉奉行、164、年賀郵便、年賀郵便の始めは特別取扱制、165、電話の普及、電話線のイタズラ事故で故障が続発、第八章、衣・食・住、166、天竜電力、明治時代の電気会社、167、ガス、ガスは熱源担当に落ち着いた、168、木炭の配給、木炭までも配給制、169、配給、耐乏を迫られた最低生活、170、払下米、貧困者対策、171、白米食、我慢の一言で精白米は禁止、172、食糧難の戦後、ヤミ食糧の買出しが仕事、173、製塩の状況、浜の塩作りは毎日賑わった、174、国民服、統一したがる国民性なのかナ、175、代用品、スフの着物は雨に濡れるとヨレ ヨレ、176、共同飲料、高町の上水道建設は市内初、177、磐田原水道、待望の給水で急速な発展、第九章、文化・娯楽、178、社会教育、社会教育の先進地磐田、179、見付の婦人会、奥村女史が勧める、180、図書館、市立図書館は昭和二十五年設置、181、公民館、十一館もある市立公民館、182、城山球場、こけら落としは移動動物園、183、磐南文化協会、機関誌は通算二十一号を発行、184、磐田史談会、熱心な学習活動、185、常民文化談話会、民俗の研究会、186、赤松邸の門、市の文化財に指定、187、左横書き、いつの間にか変化した感じ、188、映画館、初めは男女の別席観覧だった、189、競輪事業、戦災都市認定で磐田も開催、第十章、自然、190、磐田の気象、気象条件に恵まれた磐田、191、遠州灘海岸、陸軍平松飛行場があった、192、磐田原の植物、照葉樹林帯の緑、193、アキザキヤツシロラン、竹藪に生育する寄生植物、194、桶ヶ谷沼、トンボの生息地、195、兎山遊園、一円募金運動で建設開園、第十一章、その他、196、子供の遊び、昭和三十年代のまでの子供遊び、あとがき、磐田ことはじめマップ、



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