蔵書情報
この資料の蔵書に関する統計情報です。現在の所蔵数 在庫数 予約数などを確認できます。
書誌情報サマリ
書名 |
邪馬壱(ヤマイツ)国(所謂邪馬台国)は焼津(ヤイヅ)・登呂 旅行日程の新解読法を発見
|
著者名 |
肥田 政彦/著
|
著者名ヨミ |
ヒダ マサヒコ |
出版者 |
肥田政彦
|
出版年月 |
1981.2 |
書誌詳細
この資料の書誌詳細情報です。
タイトル番号 |
1005010178454 |
書誌種別 |
地域資料 |
書名 |
邪馬壱(ヤマイツ)国(所謂邪馬台国)は焼津(ヤイヅ)・登呂 旅行日程の新解読法を発見 |
著者名 |
肥田 政彦/著
|
書名ヨミ |
ヤマイツコク イワユル ヤマタイコク ワ ヤイズ トロ リョコウ ニッテイ ノ シンカイドクホウ オ ハッケン |
著者名ヨミ |
ヒダ マサヒコ |
出版者 |
肥田政彦
|
出版地 |
大和郡山 |
出版年月 |
1981.2 |
ページ数 |
40p |
大きさ |
22cm |
言語区分 |
日本語 |
分類 |
S220
|
件名 |
邪馬台国 日本-歴史-古代 |
目次 |
1、「邪馬壹」の表意について、2、魏使の旅行日程の新解読法発見の端書、Ⅰ、疑問点一、末盧国を「倭の地」に含めると、末盧国の「魚を捕うるに好んで沈没して」ということが重複してくることになる、Ⅱ、疑問点二、魏使の仁川から狗邪韓国までは、全水行であることを解明、従って、韓の二辺八千里と到七千余里との間に矛盾が生じてくることになる、3、疑問点一の解明、「倭の地」とは、倭国(=女王国)の地、及びその治所を、「倭の地を参問するに、(中略)周施五千余里」とは、不弥国より女王の都して所、即ち邪馬壹国=倭国の治所迄を、いうことを解明、4、疑問点二の解明、「到」には、往復という邪馬壹国=倭国の治所解明にすばらしい意味があることを発見した。即ち、到七千余里、到五百里とはそれぞれ片道分平均三千五百余里、二百五十里であることを解明、5、陣寿が「至」とせず「到」の文字を使用した理由、(甲乙間の往と帰りの各所要日数が相当異なる場合、往復の積算里数合計で表示した方が正確であったため)、6、韓の方四千里とは、従来説一辺四千里ではなく、二辺で二千里であることを解明、7、水行二十日、水行十日、陸行一ヶ月の計六十日の日数は、不弥国から女王の都した所、即ち邪馬壹国(国都)迄の周施五千余里(積算里数)に要した日数、8、其の北岸について、9、狗邪韓国→末盧国間三千余里について、10、末盧国について、11、伊都国、奴国、不弥国について、12、方位のズレについて、13、会稽東治について、(会稽東治の東とは、大ざっぱに、春秋時代の越国の都山陰の東)、14、不弥国より南至投馬国水行二十日、投馬国より南至邪馬壹国水行十日、陸行一月の「南」が「東」の誤りであることを解明、15、投馬国について、(投馬国は、讃岐国三野郡詫間郷、現香川県三豊郡詫間町と推量)、16、邪馬壹国について、(女王国の東の国を伊豆大島と推量)、17、狗奴国について、(狗奴国を毛野「愷那」国と推量、鳥奴国を越後国魚沼郡内、現新潟県魚沼郡内、奴国を越後国沼垂郡、現新潟県信濃川川口右岸沼垂と推量)、18、魏使が、邪馬壹国に到着した月日の推算、19、陣寿が想定した倭人の住む島々の位置、20、卑弥呼の墓について、(富士宮市富士山本宮浅間神社境内にある神立山と推量)、21、本文中記した文献以外の参照文献 |
内容細目
この資料に対する操作
カートに入れる を押すと この資料を 予約する候補として予約カートに追加します。
いますぐ予約する を押すと 認証後この資料をすぐに予約します。
この資料に対する操作
電子書籍を読むを押すと 電子図書館に移動しこの資料の電子書籍を読むことができます。
資料情報
各蔵書資料に関する詳細情報です。
No. |
資料番号 |
所蔵館 |
請求番号 |
配架場所 |
資料種別 |
帯出区分 |
状態 |
貸出
|
1 |
0000031591 | 県立図書館 | S220/38/ | 書庫5 | 地域資料 | 貸可資料 | 在庫 |
○ |
2 |
0000031609 | 県立図書館 | S220/38/ | 書庫5 | 地域資料 | 貸禁資料 | 在庫 |
× |
関連資料
この資料に関連する資料を 同じ著者 出版年 分類 件名 受賞などの切り口でご紹介します。
東日本大震災(2011) 福島第一原子力発電所事故(2011) 災害復興
前のページへ