津田真道(真一郎)も西周とともに慶喜に呼ばれて京都に滞在していた。しかし、西より先に江戸に帰されて、引き続き開成所に勤務したので、訳文に十分な推敲を加えることができた。彼は『泰西国法論』を開成所から出版した。「泰西」とはヨーロッパ諸国のことである。
彼はこの本で三権分立の制度やヨーロッパの憲法を説明している。幕末期、ヨーロッパの議会制度や憲法は、中国の漢文による世界地理書などによって紹介されてきたが、『泰西国法論』の内容はヨーロッパ直輸入のものであった(1) 。またこの本は、従来の儒教的法思想とは全く異なったヨーロッパ近代の自由主義、功利主義を紹介している。これは当時、革命的な新思想であった(2) 。
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