蔵書情報
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書誌情報サマリ
| 書名 |
中学・高校生に語る郷土宇佐美の歴史
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| 著者名 |
加藤 清志/著
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| 著者名ヨミ |
カトウ キヨシ |
| 出版者 |
加藤清志
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| 出版年月 |
1988 |
書誌詳細
この資料の書誌詳細情報です。
| タイトル番号 |
1005010079659 |
| 書誌種別 |
地域資料 |
| 書名 |
中学・高校生に語る郷土宇佐美の歴史 |
| 著者名 |
加藤 清志/著
|
| 書名ヨミ |
チュウガク コウコウセイ ニ カタル キョウド ウサミ ノ レキシ |
| 著者名ヨミ |
カトウ キヨシ |
| 出版者 |
加藤清志
|
| 出版地 |
伊東 |
| 出版年月 |
1988 |
| ページ数 |
225p |
| 大きさ |
21cm |
| 言語区分 |
日本語 |
| 分類 |
S212
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| 目次 |
はじめに、第一章、原始・古代、一、東海岸では一番早く活動した宇佐美火山、ニ、氷河時代の海進と海退のなかで、三、旧石器時代に、宇佐美に人が住んだか?、四、宇佐美は縄文時代遺跡の宝庫、五、海底に沈んでいる留田遺跡、六、宇佐美縄文人の生活、七、黒曜石は何処から来たか、八、弥生時代の宇佐美、九、ハナレ山のテキアナは、宇佐美の首長の墓、一〇、宇佐美の浜に神様が上陸した、一一、伊豆の国造は、宇佐美の神様の十代の孫、一二、都にも知られていた留田のお宮さん、一三、伊豆半島内二十の集落の一つに、宇佐美郷があった、一四、宇佐美は鉄の産地であった、第二章、中世、一五、中世-伊豆は僻地ではなくなった、一六、宇佐美氏の登場-平安末期、一七、宇佐美氏の名を天下に広めた宇佐美三郎祐茂、一八、茨城県の方にも宇佐美祐茂がいた、一九、鎌倉・室町時代の宇佐美氏、二〇、はなばなしく戦った宇佐美家の武将たち、二一、名将宇佐美駿河守定行、二二、全国に散らばって栄えた宇佐美一族、二三、今に生きる「宇佐美」姓たち、二四、城あと、墓石群-宇佐美氏をしのぶ遺跡、二五、荻野家系図に書かれている中世の宇佐美、二六、室町時代には、お寺がたくさんできた、二七、宇佐美出身の高僧日朝上人、二八、後北条氏時代の宇佐美、第三章、近世、二九、豊臣秀吉が宇佐美に与えた文書、三〇、皇居(江戸城)の石垣には宇佐美の石が使われている、三一、たくさんあった大名の採石場、三二、遺跡公園にしたい、「羽柴越中守石場」、三三、伊豆と江戸を石船三千隻が往来した、三四、御石ヶ沢は伊豆最大の石切り場であった、三五、豪傑後藤又兵衛も石切りにやって来た、三六、宇佐美村の始まり、三七、江戸時代の宇佐美は、伊豆の海岸部では一番大きな村、三八、珍しい名主二人制の村、三九、失われてしまった宇佐美村文書、四〇、江戸時代の宇佐美村の領主、四一、小田原領の時代、四二、江戸時代の宇佐美村の村勢要覧があった、四三、宇佐美千石のうちわけ、‐田畑の広さ、四四、村の構成、‐人数・家数など、四五、貴重な荻野郷右衛門のメモ、四六、税金の負担は大きかった、四七、この頃からミカンの栽培をしていた、四八、ボラ網、鯛網、海老網、引き網、手ぐり網など、四九、廻船業(江戸や小田原への輸送)も盛んだった、五〇、宇佐美築港の大事業、五一、重要な商品であった薪・木炭、五二、宇佐美はボラ漁が盛んであった、五三、江戸時代の漁業、‐いろいろな網漁、五四、漁業の経営、‐株仲間・網元、五五、魚の流通、‐いさばや・ぼてふり、五六、生魚運送の花形は押送り船、五七、船乗りも漁民も、身分上は「水呑」と書かれた、五八、農業、‐刈敷・もく等、田畑は自給肥料で、五九、山・海の境をめぐって隣村との争いも激しかった、六〇、入会地・郷林・郷建山など、山林をめぐる問題、六一、草木の根を主食にしなければ、‐ききん・災害、六二、階層が分化し、 寄生地主ができた、六三、初津から留田まで浜通りが全滅した元禄大津波、六四、度重なる水害、‐特に仲川は暴れ川だった、六五、幕末に、村が四人の領主に分けられた、六六、陸上交通、‐江戸初期には一里塚ができた、六七、役人通行の度に人馬を出し、助郷の負担も大きかった、六八、旧道網代峠越えは、今も絶好のハイキングコース、六九、江戸時代の旅行記に書かれた宇佐美、七〇、春日神社の阿武楠は、学者文人のお目あてだった、七一、安宅丸の「伊豆いこう」伝説、第四章、近代から現代へ、七二、明治維新、‐韮山県から足柄県へ、更に静岡県へ、七三、宇佐美は賀茂郡か田方郡か、‐郡制の移り変わり、七四、明治のベストセラー「西国立志編」を書いた中村敬宇、七五、川端康成が書いた宇佐美の「中村敬宇記念碑」、七六、世の中も移り変わり始めた、‐苗字・徴兵、七七、地租改正、‐税金の取りかたが変わった、七八、入会地は誰のものか、七九、村有山林原野の行方、‐なぜ宇佐美に財産区が無いか、八〇、明治初期の東京までの旅の日程、八一、定期船を使っても東京までは二日の旅、八二、亀石峠を越えて一日で東京へ行けるようになった、八三、乗物だけで東京まで行けるようになった、八四、十九年の難工事の末、バスが走るようになった、八五、鉄道敷設への努力は明治時代から、八六、ついに待望の伊東線開通、八七、伊東みち・亀石峠越え・その他の峠越え、八八、明治六年、村に小学校はできたが、八九、日掛貯金までして新校舎を建設、九〇、明治の学校生活・明治の子供、‐子守しながら学校へ、九一、大正・昭和初期の学校、‐野球チームもできた、九二、明治二六年宇佐美産物一覧、‐のり・わさび・まゆなど、九三、明治以後の漁業、‐宇佐美の経済のなかばを支えた、九四、優勝旗・大漁旗を独占した宇佐美のあぐり網、九五、明治大正期の生活の変化、‐電灯・電話、九六、ききん・コレラ・大火事、‐明治の災害、九七、大津波も来た大正十二年の関東大震災、九八、一高水泳寮・健康学園、‐きれいな砂浜と空気を求めて、九九、伊東女学校・東豆中学校、‐郷土の中等学校、一〇〇、戦時下の小学生、(国民学校)、一〇一、毎日の空襲警報、銃撃で死者も出た、一〇二、大正時代から水泳指導、‐留田から松原まで泳いだ、一〇三、水泳王国宇佐美の黄金時代と一高プール、一〇四、農地改革前は、農地の半分が不在地主のもの、一〇五、人口が増え、職業も複雑多様になってきた、一〇六、宇佐美の平野が泥海と化し、多数の死者を出した狩野川台風、一〇七、生活が大きく変わりはじめた昭和三十年代、一〇八、「宇佐美三五六番地」という言い方は何時きまったか、一〇九、「嵯峨野」も「ヨシノ山」もある、‐地名は貴重な財産、一一〇、各部落にもそれぞれの歴史がある、一一一、山には山の歴史がある、‐植林・炭焼き・草刈り、一一二、県指定の天然記念物「ホルトの木」と鎮守の森、一一 三、海には海の歴史、‐横磯・黒根・利島出しなど、一一四、里には里の歴史、さいのかみ・こうしん塔など、一一五、風俗・習慣など故郷の歴史は無限、‐調べて記録しよう、一一六、宇佐美を知るための本について、あとがき、 |
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所蔵館 |
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配架場所 |
資料種別 |
帯出区分 |
状態 |
貸出
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| 1 |
0000028241 | 県立図書館 | S212/72/ | 書庫5 | 地域資料 | 貸禁資料 | 在庫 |
× |
| 2 |
0000077065 | 県立図書館 | S212/72/ | 書庫5 | 地域資料 | 貸可資料 | 在庫 |
○ |
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