江戸後期・明治初期の歴史/資料解説
葵文庫

 

K391-10
[高橋景保撰「新鐫(しんせん)総界全図・日本辺界略図」 文化6年(1809)
23×93cm 銅版]

 新訂万国全図の試作図として作成された対の東西両半球の世界図は、直径15cmと小さく、日本一帯が簡略化されている。このため、これを補う目的から日本周辺に重点を置いた「日本辺界略図」が添えられた。この図には中度と表現される本初子午線が京都を通り、さらに、東と西の語を冠して経度が刻まれている。景保が世界の中の日本を強く意識していたことがうかがえる。

 樺太は、間宮林蔵の樺太探検の報告に基づき島として作図したが、林蔵の未踏査地帯は細い線で表現している。後になって、シーボルトの大著「日本」にこの翻訳図が掲載され、間宮海峡Str.Mamia(seto)の名が世界に紹介された。銅版作成は、亜欧堂田善(永田善吉)である。

<参考文献>

    290.1-162「鎖国時代の世界地理学」 鮎沢信太郎 1980年 原書房
    291.03-ウン「地図にみる日本 ー倭国・ジパング・大日本ー」海野一隆 1999年 大修館書店


総界全図
 
日本辺界略図
 
北海道カラフトの拡大図
総界全図
日本辺界略図
北海道カラフトの拡大図

 
左下枠画像
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