AN97
H.Huijgens
“Handleiding tot de Kennis van het Scheeps-Stoomwerktuig ”Amsterdam, 1847.
(ホイヘンス『船舶蒸気機関説案内』1847年 アムステルダム)1冊
印記:蕃書調所、駿府学校、静岡学校
AN104
Huygens
“Scheeps-Stoomwerktuig; Atlas”
(ホイヘンス『船舶蒸気機関説案内、付図』)1冊
これらはわが国最初の蒸気船製作の原本(オランダ語)と同じ版のものである。
薩摩藩主島津斉彬(しまづ なりあきら)はいち早く蒸気船に着目し、箕作阮甫(みつくり げんぽ)( 1799- 1863) らに文献の翻訳を依頼した。手引きとなった本はヘルダムの“Gronden der toegepaste Werktuigkunst”(『応用機械学の基礎』)で、彼はそれをもとに、『水蒸船説略』6巻(嘉永2年、序)(1849年)という抄訳本を出した。これが薩摩藩の蒸気船製造の基となったのである。
安政2年(1855年)、苦心の末、江戸田町の薩摩藩邸で船舶用蒸気機関が完成した。この機関を西洋式の小船に取り付け、隅田川で試運転に成功し、「雲行丸」と命名した。(1)
明治になってからこの機関を見たイギリス人教師は、「鋳物でもよい箇所に、鍛練した材料を使っている」と驚き、日本人だけで作った功を称讃している。(2)
ところで、この雲行丸の機関図は、『薩藩海軍史(上)』にはヘルダムの図ではなく、ホイヘンス(1810-67) の“Scheeps-Stoomwerktuig; Atlas”(『船舶蒸気機関説案内、付図』)のものが掲載されているが、その理由は不明である。(3)
なお、当館所蔵本 Verdam “Gronden der toegepaste Werktuigkunst”(AN218)には「長崎東衙官許」(ながさきとうがかんきょ)と「文久辛酉」(かのととり)の印があることから、この本は蕃書調所(ばんしょしらべしょ)が江戸本石町の長崎屋を通して文久元年(1861年)に購入したことがわかる。
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