江戸後期・明治初期の歴史/資料解説
葵文庫

 

AJ-22
ブラント原著 高野長英訳
『三兵答古知幾』(さんぺいタクチキ)(写本) 27巻(欠、巻3.16.17)目録1巻 24冊
印記:静岡学校、静岡師範学校、番外書冊

外観
巻之二歩兵の部
外観
巻之二歩兵の部

 原書はプロイセンのブラント(Heinrich von Brandt)の“Grundzuge der Taktik der drei Waffen ”(1833)である。これをミュルケン(J.J.van Mulken) がオランダ語(“Taktiek der drie wapens ”1837)に訳し、それをさらに高野長英(1804-1850) が邦訳したものがこの本である。
 『三兵答古知幾』の「三兵」とは、歩兵・騎兵・砲兵をさし、「答古知幾」とは、オランダ語の戦術を意味するTaktiekの音訳である。三兵戦術とは独立して編成されたこの三兵を総合的に運用する戦術のことである。『三兵答古知幾』は戦略理論の概念を持たなかった当時の識者に大きな影響を与えた。(1)
 訳者の高野長英(1804-1850)は、幕末期の傑出した蘭学者であった。彼は蛮社の獄で江戸小伝馬町の牢に投じられたが、火災に乗じて脱獄する。幕吏の執拗な探索を逃れ、彼の逃亡は北は生地の水沢(岩手県)付近、南は宇和島(愛媛県)におよんだ。その後、江戸に再潜入し、青山百人町で医業を営んだが、幕吏に襲われて自刃した。
 この『三兵答古知幾』は、脱獄してまだ江戸潜伏中に翻訳したものである。これは初め写本として流布したが、のち刊本が出回った。
 江戸幕府旧蔵の当館本は写本で、「暁夢楼主人」とあり、長英の訳であることがわかる。また、「番外書冊」の印記は、この本が昌平坂学問所の蔵書であったことを示す。

<参考文献>

    (1) (080-111-2) 佐藤昌介『高野長英』岩波新書 1997 年 p.165.
      (402.1-46) 日蘭学会編『洋学史事典』雄松堂出版 1984年 p.305.