江戸後期・明治初期の歴史/資料解説
葵文庫

 

AE-229
[A complete Dictionary of the English language」1864年
(ノア・ウェブスター著、A,グットリッチ増訂「完全英語辞典」)
(印記)「静岡学校」]

 葵文庫中のノア・ウェブスターの辞書は、上記4点である。うち、AE-231には、「静岡学校」の印記のほかに、明治19年、静岡師範学校から分離独立する以前の静岡中学校(静岡師範学校敷地内に併設されていた)の蔵書印と推定される「静岡中学校章」の朱印が押されている。
福沢諭吉が創立した慶応義塾は、文久2年(1862)から英書の教授を始めたといわれるが、その頃の教授の仕方について「慶応義塾五十年史」には

「洋書といってもウェブスター辞典1冊と、カッケンボスとチャンバーの物理書各一冊に過ぎなかったので、各生徒は時を限って一回の輪講分ぐらいづつを書写し、字引書を引いて当時「六斉の回読」と称えた月6回の回読の用意をした(後略)」

 と見え(「日本の英学100年 明治編」344頁)、一方福沢自身も、万延元年(1860)幕府の軍艦「咸臨丸」でアメリカに渡ったときのことについて

「その時に私と通弁の中浜万次郎という人と両人が、ウェブストルの字引(ウェブスターの辞書のこと)を一冊づつ買って来た。これが日本にウェブストルという字引の輸入の第一番、それを買ってモウ外には何も残ることなく、首尾よく出帆してきた。」

 と後年語っていることなどから(「福翁自伝」の「初めてアメリカに渡る」の項)、ウェブスターの辞書が、我が国の英学の発展に果たした貴重かつ重要な役割の一端を知ることが出来る。

 なお、明治以降に我が国で編纂された英和辞典には、ウェブスター式発音記号で表記されているものがかなり多く見られることも、こうした推測を助けるであろう。

<参考文献>

    830.10-100「日本英学史の研究」(豊田実、岩波書店、1969年版)
    830-50「日本の英学100年 明治編」(研究社、1968年)
    289.1-フ1-8「福翁自伝」(岩波文庫本)
完全英語辞典 タイトルページ
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