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データ更新日:2024年4月20日開館前

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■かわら版

地域MARC番号 6000258814
書名 かわら版
副書名 小和田哲男が推薦する『岡部宿・藤枝宿かわら版』江戸の人々の暮らしを切り取る
著者名 松谷 和子/著
  池谷 圭次/古文献解読
  岩月 千代子/[著]
出版者 松谷和子
出版年月 2017.3
ページ 221p
大きさ 30cm
件名 静岡県-歴史
郷土目次 第17回静岡県自費出版大賞応募作品 奥付のタイトル:かわら版屋
分類記号 S223
書誌更新日 2021/09/25
目次 小和田哲男、『岡部宿・藤枝宿かわら版―江戸の人々の暮らしを切り取る』を推薦する、海野一徳、「かわら版刊行に寄せて」、はじめに、かわら版屋、松谷和子、目次、エッセイ、松谷和子、「徳川家康も愛でた朝比奈粽と駿府町奉行の彦坂九兵衛」、かわら版1徳川家康も岡部の朝比奈ちまきを食べた、彦坂様御状、四通之内、かわら版2秘伝の古文書すべて解読して載せます、粽アラカルト、かわら版3灌漑用水の確保〜蓮華寺池の拡張、蓮華寺池開発に関する彦坂九兵衛手形、かわら版4小川孫三あての徳川家康朱印状、白子町の住人には棟餞別と人足・押立などの人夫役を免除する、新町「白子町」の優遇策、彦坂九兵衛の白子町への人返し令(池谷圭次古文書発見)、かわら版5彦坂九兵衛、白子宛に駄賃馬をかくさないで出せと命じた、駄賃馬は公用でない人やその荷物を運んだ(池谷圭次古文書発見)、下伝馬の宿がひらかれた(池谷圭次古文書発見)、彦九兵、かわら版6二代将軍秀忠の出陣、大阪冬の陣と宿場の役割(池谷圭次古文書発見)、かわら版7藤枝宿の問屋場が上伝馬・下伝馬の二か所になった、藤枝宿の問屋場が二か所になった(池谷圭次古文書発見)、彦坂九兵衛覚、かわら版8宇津ノ谷にも関所があった、宇津之谷人改覚之事、彦坂九兵衛覚、慶長十八年、「徳川実紀より読み解く彦坂九兵衛の心を探す旅」、エッセイ、岩月千代子、「町奉行彦坂九兵衛が造った駿府九十六か町を歩いてみる」、岡部宿・藤枝宿かわら版(年号順)、1、今川家臣、岡部氏の働き、今川義元書状、『岡部實氏文書』天文五年(一五三七)、2、武田は水軍の陣を清水に置き知行地に藤枝岡部が含まれていた、武田信玄が水軍の大将に与えた文書、元亀三年(一五七三)、3、慶長五年岡部新宿宛の「定」、横田村詮定書『仁藤家文書』、慶長五年(一六〇一)、4、宿役人(問屋・年寄)の心得、東海道宿駅制度の実施・伝馬朱印状と掟書、『駿河志科(旧青島家文書)』慶長六年(一六〇二)、5、徳川家康奉行衆「伝馬荷物等定書」岡部宿五十三次に仲間入り、慶長七年六月、岡部宿宛の徳川家康奉行衆定書、慶長七年(一六〇三)、6、御本陣心得(岡部宿内野本陣)、岡部宿内野本陣間取り図、二氏略系、7、朝鮮使節来朝のたびに瀬戸川仮土をつくったり壊したり、宝永七年朝鮮使節来朝につき瀬戸川仮土橋絵図詞書、寛永七年(一七一〇)、8、高礼編、切支丹高礼、正徳元年(一七一一)、駄賃高礼、正徳元年(一七一一)、駄賃高礼、元治元年(一八六四)、伝馬運賃の変遷、親子高礼、正徳元年(一七一一)、9、御用竹請け負い、金策に困り居屋敷(宅地)を売り返済、享保二十年(一七三六)、10、農民は農地を売ることができなかった、農民の本当の姿、元文元年(一七三六)、11、口銭(くちせん)商品の取引税、四文は百円、江戸で口銭は税、宝暦三年(一七五四)、12、年貢米の収納、年貢米の借用について、宝暦四年(一七五五)、13、往来手形は旅先の旅籠屋での宿改めにも利用された、記載内容は住所・名前・宗旨・旅の目的・病死の場合は・身元保証人・証明年月日・宛先が共通、14、御幟竹之事、岡部の竹は質が良かった、『杉山雑記』、宝暦十年(一七六一)、
  15、朝鮮通信使、十二回岡部を通る、朝鮮通信使、藤枝宿に泊まる、『杉山雑記』、明和元年(一七六四)、16、お鍬祭りでええじゃないか、御鍬祭りは華やかに行われた、『杉山雑記』、明和四年(一七六八)、17、四文銭のこと、真鍮四文は昭和二十八年までニ厘硬貨として法的に通用していた、『杉山雑記』、明和五年、18、「高役銀」と呼ばれる税を徴収、借用証書、『後藤家文書』、明和六年、19、早魃(かんばつ)のとき高草山に登って雨乞いをした、高草山に登って雨乞いした、『杉山雑記』、明和七年(一七七一)、20、宇津の山の狼藉者のこと、刑罰は過科、軽い違反であやまち科、21、心中は御法度だった、光泰寺にて心中編、心中事件の全貌を載せます、『杉山雑記』、安永四年(一七七六)、22、獄門の文書(加賀藩)が岡部宿に残る謎、加賀藩、木屋籐右衛門への獄門の書状、天明五年(一七八五)、23、天明の飢饉は多くの餓死者を生み、往き倒れた人は並木の肥やしになった、岡部での飢餓の様子、『杉山雑記』、天明七年(一七八七)、24、相良の城退去の事、行列は大部隊で臨戦態勢のものものしさだった、『杉山雑記』、天明七年(一七八七)、25、御鹿狩りの事、田中藩の殿様が滝沢山や島田千葉山で鹿狩り、『杉山雑記』、寛政七年(一七九六)、26、西国三十三所観音の事、『杉山雑記』、寛政七年(一七九六)、27、八十三歳の木喰五行菩薩が岡部に来て高草山のふもとで仏像を彫る、「南無阿弥陀仏国々御宿帳」より、寛政十二年(一八〇一)、28、東海道中膝栗毛、岡部宿版、享和二年(一八〇二)、29、人馬継立てで岡部はまたまた困窮、問屋場困窮の実情、『後藤家文書』、享和三年(一八〇三)、問屋場困窮、割増賃銭による助成、日〆帳、30、米の流通、江戸回米、御蔵納にしてほしい、享和三年、31、江戸時代の賭博と高札、賭博の禁止、文化二年(一八〇五)、32、新田開発、開墾していないので「年貢は納められない」、文化二年(一八〇五)、33、江戸時代琉球使節団は岡部宿を一七回通った、江戸上りに百姓・町人にも触書がでた、(文化三年)、34、猪鉄砲(野荒らしの猪や鹿を退治する)、鉄砲は五人組の目で管理されていた、文化五年三月(一八〇九)、35、ケンペルも褒めた東海道の道の清潔さ、東海道の橋や崩地の修理費を受け取った、文化五年九月(一八〇九)、36、江戸時代に岡部で三回火災が起こった、宿から預かった貯穀米も焼失、文化五年十一月(一八〇八)、37、宗門人別除きとは無宿人になること、人別帳は身分証明書、文化六年(一八〇九)、宗門人別帳(宗門改帳・宗旨人別帳・宗門帳)、宗門帳提出せよ、38、笠懸け松、桑門西住一軸之事、『杉山雑記』、文化六年、39、下り酒を買いたいのでお金を貸してください、借用書、『後藤家文書』、文化十一年(一八一四)、40、貴重な傘連判状、連印一札之事、文化十四年(一八一七)、41、岡部にもいた飯盛り女、奉公人請状残る、飯盛女の給金を貸してください、『後藤家文書』、文政弐年(一八一九)、42、大井川の廻り越しは厳禁だった、差出申壱札之事、嘉永四年(一八五二)、43、駆込寺、「東慶寺」へ送られた離縁状、
  嘉永五年(一八五二)、44、江戸庶民の暮らし、主に商人と職人、大地震史料からわかった岡部宿の職業構成、嘉永七年(一八五四)、45、安政東海地震はマグニチュード八・四、柏屋の土蔵に一四〇年間眠っていた安政の大地震の史料1、46、安政東海大地震、柏屋の土蔵に一四〇年間眠っていた安政の大地震の史料2、47、コロリコロリの安政のコレラ、安政五年(一八五八)、コロリ退治の御礼、48、田中藩による「津留(つどめ)」、万延元年(一八六〇)、49、毒荏(どくえ)の燈油をつくる、借金の担保にアブラギリ(毒荏)、「後藤家文書」、文久二年(一八六二)、50、徳川家光の家臣が紀州蜜柑の苗木を岡部町三輪地区に移植したのが最初、文久三年当時、子持坂村ではすでに蜜柑が栽培されていた、「鴫屋文書」、文久三年(一八六四)、51、幕末の「暗号文書」、庶民の痛烈な幕政批判、52、相撲の歩みと発達、明治五年、53、明倫舎は岡部小学校の前身、江戸時代の藩校・寺子屋・私塾とは、明倫舎への寄付、明治十二年、年号不明、54、江戸の火事と消防組、消防組の出揃い、55、病人は宿送り、病死したので検死に来てください、56、講は庶民金融の役割を演じ民衆にはやった、お金に困ったので、担保は屋根講、「後藤家文書」、57、玉串の由来、家内安全長久の御祈祷、「後藤家文書」、58、江戸時代の遁走稼業(いろいろな飛脚)、宇津之谷峠道の修築、あとがき(池谷圭次)、「古文書の旅」

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