| 地域MARC番号 |
6000010394 |
| 書名 |
相良藩 |
| 副書名 |
宝永七年本多氏が立藩。板倉氏の支配の後、前後期の田沼氏の自由な文化政策で栄えた湊町。 |
| 著者名 |
中村 肇/著 |
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川原崎 淑雄/著 |
| 叢書名 |
シリーズ藩物語 |
| 出版者 |
現代書館 |
| 出版年月 |
2015.4 |
| ページ |
206p |
| 大きさ |
21cm |
| 件名 |
相良藩 |
| 分類記号 |
S231 |
| 書誌更新日 |
2023/09/14 |
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20150417 |
| 目次 |
プロローグ 相良藩の特徴、第一章、相良藩成立とその前史、江戸時代中期に大名領となり陣屋が建てられ、田沼時代に城下町が完成する以前。[1]、応仁の乱から相良藩立藩まで、今川・武田・徳川の攻防と相良周辺、相良町のはじめ、相良町の領主支配、[2]、相良氏の肥後国下向とその後の管理者、相良氏と相良荘、相良氏館、中世に肥後へ下向した相良氏、その後の相良荘と相良氏、明応七年の大地震と大津波、[3]、相良藩立藩(田沼家入封以前)、本田家三代の治世、板倉勝清、本田忠央の治世、第二章、相良藩の前期田沼時代、本格的な城下町作りが行われ、相良湊も江戸、大坂と結び、近隣の物産を搬出した。[1]、田沼意次の出自と昇進、田沼意次の出自と経歴、意次の昇進、幕閣での立場とその評価、[2]、幕府と田沼意次の経済政策、将来を見据えた海外貿易の奨励、通貨制度改革、貸金会所令、印旛沼・手賀沼の干拓、[3]、蝦夷地開拓を含めた海防政策、北辺調査団の派遣、蝦夷地開拓、[4]、相良での田沼意次の実績、相良城の建設と落成、人間的で自由だった田沼文化、田沼意次時代の相良あれこれ、[5]、田沼意次悪評の根拠を疑う、教科書検定にも要因あり、田沼罪状二六カ条、人事の粛清、[6]、相良城の接収と破壊、田沼意次憎しの所業、相良城の遺構・遺物、意次の遺言、第三章、城が消えた城下町、完成した城も八年後には破却されて、領地は幕府領、一橋領となる。[1]、幕府領後は一橋領に、城の破却と巡見役人一行への駕籠訴、江戸での越訴と陣屋の廃止、三万石余の一橋領となる、[2]、巡見役人とのひと騒動、過酷な決定と巡見役人の恫喝、小前百姓が江戸に赴き陳情、蓑かぶり一揆発生、[3]、名代官小島蕉園の着任、名代官登場、代官就任の挨拶、年貢未納金の棒引き、小島蕉園と「蕉園渉筆」、小島蕉園と大蔵永常との交友、[4]、異国船の漂着への対処、住吉村の沖に現れた異国船、小島蕉園の対応、第四章、後期田沼氏の時代から維新まで、疲弊した藩財政の中、天狗党追討軍の総督として奮戦する。[1]、下村藩を立藩、田沼氏転封以前の下村陣屋、田沼下村藩の成立、寛政期が綴られた『よしの草子』、[2]、田沼氏の相良への再入封、相良藩二度目の初代藩主田沼意正、竹屋騒動、最後の藩主意尊の相良での逸話、[3]、田沼意尊と水戸天狗党の乱、天狗党追討軍総督を下命された意尊、御用金の調達と出動した相良藩兵、国元家老の処理した異国船事件と自刃、[4]、小久保藩と相良、相良の地から小久保へ、茶畑開墾と茶業の発展、維新前後の相良周辺、無禄移住したような廃藩置県の真相、徳川宗家の駿府移封、エピローグ、相良の地の「近世」の終焉、あとがき、参考文献、相良藩所在地、相良庄(荘)周辺の荘園、「人吉城縄張図」、相良氏系図、本田忠晴時代、本田忠央時代、吉宗以降徳川家略系図、田沼家とその周辺、幕藩体制と田沼政治、北方探検踏査図、相良城明け渡しの田沼家家臣配置図、旧・相良町中心部、 |
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これも相良、徳川家康と相良、相良氏の系譜と横地氏・勝間田氏の関係、本田氏の系譜と相良、相良湊などの盛衰、明応七年(一四九八)の東海大地震、相良湊と大江八幡宮の御船神事、相良凧と平賀源内伝説、相良への道、小島蕉園の父唐衣橘洲、日本で二人目の鳥人 川田市蔵、この人も相良人@茶業の発展に尽くした人々、松本順の推奨した相良海水浴場、この人も相良人A郷土に力を注いだ人々、田沼家の後継者の不審死と悲劇、相良奉行所の山高信徳(信離)、この人も相良人B郷土、日本の産業発展に寄与した人々、この人も相良人C世界に貢献した近現代の二傑 |