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HOME > 館長室から> ―館長室だより― 平成30年12月


12月25日


 早いもので、今年も残り1週間となりました。
 この1年間にも、一人ひとりに様々な「出会い」があり、今までの自分を振り返ったり、これからの新しい一歩を踏み出すきっかけになったこともあったのではないでしょうか。人間、この広い世界に一人で生きていけるわけではありませんので、当然のことかもしれません。出会う相手が、人間であるとは限りません。一冊の書物かもしれない、映画や音楽、絵画かもしれない、一匹の動物、一輪の花かもしれません。
 もちろん、他人(ひと)との出会いがいちばん多いのではないでしょうか。そんな中で、その瞬間に、あるいはあとで振り返ってみて、自分の人生にとって「運命的な出会い」というものがあるものです。


 会えてよかったという気持ちが、最初から一生続く出会いもあります。逆に、いやな人だな、という第一印象が、この人に会えたから現在の自分がある、という感謝の気持ちに変わることもあります。人間の心というものは、やっかいなものです。いずれにしても、出会いというのは、一人ひとりにとって重要な経験と言えます。そういった出会いを経験した方は大勢いると思います。そして、これからも。

 その出会いが自分の心の中だけにとどまることもあれば、相手に強い影響を与えることもあり、場合によっては、国家や世界の歴史に、大きな影響を残していく場合もあります。
 そんな出会いの一つを事例として紹介します。もしかしたら日本史の授業などで既に聞いたことがあるかもしれませんが。


 今日は、クリスマスです。街路を飾るツリーの美しいイルミネーションとともに、昨日、前夜祭のクリスマス・イブの日には、日本ではケーキを食べるのが習慣となり、最近では家庭科の授業のなかで、調理実習の一つとして、作って食べる学校も多いようです。
 キリスト生誕を祝うキリスト教徒の宗教上の祭礼としてではなく、自分がキリスト教徒でないのに、クリスマスを、何か、節分とか、ひな祭り、端午の節句、七五三、などの年中行事の一つのようにとらえて生活の中に定着させて楽しんでしまう、日本という国の面白いところで、このあたりの日本人の宗教観については、様々に研究もなされているようです。


 もちろん、いまは、ケーキの話をするのではありません。
日本に最初にキリスト教を伝えた人が、スペイン人でイエズス会のフランシスコ・ザビエルであることを、歴史の時間に学んだ方は多いと思います。1549年、日本史でいえば、織田信長が、織田家の家督を継ぐ少し前、動乱の戦国時代です。


 ピーター・ミルワードさんという、上智大学の教授をされた先生が書いた本の一つに、「ザビエルの見た日本」という本があります(講談社学術文庫 松本 たま 訳1998 当館所蔵)。
 この本によりますと、ザビエルが日本に来ようと思ったのは、気まぐれではありません。この16世紀という時代は、キリスト教が普及していたヨーロッパでは、キリスト教が二つの宗派(カトリックとプロテスタント)に分裂し、おおざっぱに言うとヨーロッパの北側の国々がプロテスタント、南がカトリックに分かれて、凄惨な宗教戦争を繰り広げておりました。ザビエルはカトリックの側についたイエズス会を立ち上げた一人で、1541年、当時ポルトガルの植民地であったインドのゴアというところに来て、インドを拠点に、アジアにカトリックの信者を獲得しようとして、必死だった人です。気まぐれで日本に来る余裕などありません。命がけだった。しかし、インドではキリスト教徒は増えませんでした。


 キリスト教の布教活動がインドでうまくいかず悶々としていた、1547年、ザビエルは、30代(らしい。年齢は不詳)のアンジロウ(ヤジローともいう)という日本人に、現在のマレーシアにある、当時ポルトガルの植民地であったマラッカという町で偶然出会います。このアンジロウに出会ったことで、ザビエルは、予定していたアジアの至るところへの布教活動を全て取りやめ、日本に来ることを決意したことが、彼が書き残したヨーロッパのイエズス会本部へ送った手紙の中に読み取れます。

 ザビエルはキリスト教に興味を持つアンジロウを、当時イエズス会のアジア最大の拠点であったインドのゴア(そこにはキリスト教の学校がありました)に連れて行き、勉強させました。アンジロウは8か月ほどでポルトガルの読み書き、会話をマスターし、ザビエルによる聖書の講義を理解し、その意味を日本語で書きとめるほど聡明であったといいます。史料的に証明できる、日本人として初めてキリスト教徒になった人物です(もう二人、アンジロウと行動をともにしていた日本人がいたということですが、彼らの名前はわかりません)。

 ザビエルは、アンジロウを通して日本人に興味関心を抱き、自分が日本へ行って教えを説けば、日本人はキリスト教徒になるだろうか、という質問をしました。
 アンジロウは、「日本人は、直ぐには信者にはなりません。日本人はまず、あなたに対して、いろいろな質問をして、あなたがどれだけ学問に明るいか確認するでしょう。次に、あなたが話していることと、あなたが行うこととが一致しているかどうかを見抜くでしょう。これに合格すれば、半年経たずにキリスト教を受け入れるでしょう。日本人は理性にのみ導かれる国民です」
 おおよそこのようなアンジロウの回答に、ザビエルは感銘し、「インドから日本へ向かう船は、嵐で難破したり、海賊に襲われたりするので、2隻のうち1隻が到達できれば幸いだといわれる。生きて日本にたどり着けない危険はある。しかし、私は日本に行くことを辞めない」とイエズス会本部に書き送り、1549年、アンジロウ(通訳も兼ねさせた)も伴って、インドから日本に出発し、4か月ほどかけてアンジロウの故郷、鹿児島に上陸しました。


 ザビエルは、しばらくして、日本からイエズス会にあてた最初の手紙の中で、次のように報告しました。
「私がこれまで見聞した範囲での国民の中で、日本人は一番すぐれており、キリスト教以外の国の中ではこれ以上の国民はない。日本人は、全体的に見て、きわめてすぐれた素質を持ち、悪意がなく、信頼に足る人間で、彼らは名誉心においてとくにそうである。また、日本人は貧困を恥とせず、貧しさの中で生きている。今後、日本に派遣される宣教師は、学問的に優れ、しかも尊敬に値する人物でなければならない」と。
 その後、ザビエルは2年半ほど日本で布教活動を行い、京都へも上りました(但し、都である京都は戦乱で混乱状態。布教はうまくいきませんでした)。ザビエルはさらに、中国での布教を希望し、1551年、日本を去りました。その後、数字ははっきりしませんがキリスト信者は増えていきます。
 もちろん、御存じのことと思いますが、やがて豊臣秀吉、そしてとりわけ徳川幕府は、凄惨なまでのキリスト教徒の弾圧を実行しました。その悲しい歴史をザビエルは知りません。日本を離れた1年後、彼はこの世を去りました。なお、余談になりますが、彼の遺体は、今もインドのゴアに安置されており、10年に一度、約1か月ほど公開されます。
 アンジロウという人物は、詳細についてはよくわからないところが多いです。現在、研究が進んでいて(といっても日本にはほとんど文献資料がなく、イエズス会が保管している資料が基本)、アンジロウが、イエズス会にあてた1548年の手紙の中で、「自分の生まれは(薩摩)鹿児島で、何かの理由で、殺人を犯し、ポルトガル船にのって、マラッカに逃げてきた」らしいことは確認できるようです。イエズス会は、日本のことをアンジロウの国と呼んだといいます。残念ながら、ザビエルといっしょに日本に来た後のアンジロウについては、鹿児島でザビエルたちのための通訳的なことをしていた以外、その後、どうなったか、はっきりしたことはよくわかりません。再び、日本を出て、中国にわたったという説もあります。ザビエルと出会ってからほんの数年、歴史の舞台に姿を現し、再び歴史の行間に沈み込んでしまいました。


 アンジロウに会わなければ、ザビエルは日本への命がけの渡航を決意したかどうかわかりません。1549年に、キリスト教、日本に伝わる、という歴史もなかったかもしれません。
また、ザビエルに出会わなかったら、アンジロウという日本人は、歴史に名を残すこともなく、忘れられたままだったでしょう。


 さて、「出会い」ということから書いてきました。ザビエルとアンジロウの二人の、小さな偶然の出会いは、その後の日本に大きな影響を与えることとなる、歴史的事件だったと言えます。
 私たちもまた、いい出会いもあれば、正直、最初は嫌だなと思う出会いもあるかもしれませんが、全ての出会いが、会えてよかった、になる可能性はあると思います。
 茶道の言葉を借りて言えば、すべての出会いは「一期一会」。私など何となくボーッと流れていくことが多いですが、毎日当たり前のように会っている人との出会いも、厳密にいえば、全く同じ出会いではなく、人生で一度きりの出会いだといえるのでしょう。大切にしたいものです。


 計画されている新しい静岡県立中央図書館は、新県立中央図書館基本計画(パブリックコメント案)にありますとおり、新しい機能として、県民が出会い、交わり、新しい文化を育む図書館を目指します。様々な資料との出会いに加え、人と人との貴重な出会いを提供できる図書館になればと思います。パブリックコメント案への、県民の皆さまの御意見を募集しています(平成31年1月15日まで)。皆さまのたくさんのお声を寄せいただけたら幸いです。

 今年の館長室だよりはこれが最終となります。平成31年3月14日には閲覧室を含めた全ての機能が再開予定で動いています。来年も静岡県立中央図書館を御利用いただきたく、よろしくお願いいたします。


 


12月12日


 12月8日(土)に、静岡新聞社・静岡放送が主催する、しずおか新聞感想文コンクールの表彰式が静岡 新聞放送会館で開催されました。私も審査員の一人として出席させていただきました。
 11回目となったこのコンクールでしたが、今回は6,677点の応募がありました。


 毎年の各種機関の調査で、社会全体の活字離れが指摘されています。
 そういう中で、応募した10代の皆さんが、新聞を通じて、自分と社会を取り巻く様々な問題について、広く興味や関心を抱き、しっかりした意見・考えを持っていることを知ることができたことは、新鮮な驚きでもありました。
 小学生、中学生、高校生と、学年が上がるにしたがって、経験や知識、語彙力、学習時間などが増えていきますから、それに比例して、読解力、思考力、表現力を含め、文章としての完成度は高くなっていきますが、全ての作品に共通していることが一つありました。
 それは、新聞記事を読んで、「なぜ」と疑問に思ったり、「そうだよな」と共感したりして、それをきっかけに、今を見つめ、過去のことを振返り、未来を考え、世の中はどうあるべきか、これからどう行動するべきか、社会のあり方や、自分を含む人間の生き方について、主体的に力強く意見・考えを述べていることでした。
 その主張は、「安全安心で美しい環境を守ろうという行為」であり、また「一人ひとりの命と人権を互いに尊重しあうことの大切さ」であり、「周りのことに関心を持ち、問題に気付き、積極的にかかわることで改善し、支えあうことの重要性」であり、「敵対しあうことではなく共に生きること」です。受賞した児童・生徒の皆さん全ての主張が、健康で、前向きで、プラス思考で、とても頼もしく感じました。来年も、10代の皆さんからの、元気がもらえるたくさんの感想文に出会いたいと思いました。


 新聞は自分と社会を取り巻くあらゆる分野の、最新の情報を簡潔にわかりやすくまとめて提供してくれる便利なメディアです。本館の新聞コーナーも、毎日、多くのお客様に利用していただいています。
 その製作過程では、現場を取材して文章にまとめる人、それを読んで内容をチェックする人がいます(※1)。さらに様々な記事を新聞紙に割りつけ、そこでも誤字脱字等を含め確認作業をする人、そして、最近は、紙面編集作業にAIも活用しているとのことです。
 つまり、新聞は複数の人の目を通し、人工知能も活用しながら完成されます。ですから、新聞の記事は、インターネット上にあふれている、多くは一人の人が書き込んでいる情報や文章と比べたときに、その信頼度と完成度が高い情報源といえるでしょう。
 もちろん、書かれている内容のすべてを鵜呑みにするということではなくて、場合によっては、今読んでいる新聞にはこう書いてあるけれど、でも、そうなのかな、と考える視点も大切であり、他の新聞あるいは他のメディアではどう扱っているか、比較してみることも面白いかもしれません。同じ問題を取り上げながら、主張や意見が違うこともあります。答えが一つとは限らない問題もあります。そういうときに、自分はどう考え、どういう意見を持つか。そういう行為が、人間と社会を見る目、考える力を育てることになるのだと思います。


(※1) かつて、ジャーナリズムを扱ったテレビ番組で拝見し今も記憶している一こまがあります。評論家の森本哲郎氏が、新聞社に勤務していた若いころ、苦労して記事を書いて、デスク(チェックする責任者)のところへ持っていったところ、デスクは文章を一読し、その原稿用紙を足元のくずかごへ、ポイと投げ捨てたそうです。さすがにムッとした森本氏が、「捨てるんですか」と問うと、そのデスクから「このことについて、こういう意見しか書けないのか。こういった考え方もある、別の見方もできる、三通りくらい書いてもってこい」と怒鳴られたそうです。「そのくらい厳しかったです」と、森本氏はコメントしていました。確かに記者として鍛えられるだろうな、と思いました。今の時代だと、状況によっては、ハラスメントに結び付けられるかもしれませんが。

 


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