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9 「従三位関口君之碑」(静岡浅間神社境内)~旧幕臣が初代静岡県知事~

 静岡市文化財資料館横に建っている石碑である。『静岡市史』第4巻によれば、篆題家は有栖川宮熾仁親王、撰文家は中村正直、書家は巌谷修、建設は1890(明治23)年11月である。初代県知事関口隆吉の功績を称えたものである。
 関口隆吉は1836(天保7)年、幕臣関口隆船の二男として江戸で生まれた。隆吉も幕臣となり、戊辰戦争の時には徳川慶喜の恭順を主張し、慶喜の身辺を護衛する精鋭隊(のち、新番組と改称)の一員として慶喜の静岡移住に尽力した。その後、駿府藩の公用人となり、東京で藩と政府との連絡調整にあたった。
 1870年には、一家で静岡に転居し、金谷開墾方頭取並として牧之原の開墾に従事した。1872年、新政府に出仕、1875年に山口県令となり、翌年起きた士族反乱の1つである萩の乱の鎮圧にあたった。1881年に元老院議官となり、1883年には地方巡察使として1府8県の視察を行い、詳細な復命書を残している。
 1884年には第3代の静岡県令となり、1886年7月の官制改革で県知事と名称が変わったため、初代静岡県知事となり、治山、治水事業等を展開した。また、収集した蔵書をもとに欧米にならった公開図書館を久能山東照宮境内に建設しようとした。しかし、1889年4月に愛知県の招魂祭に出席するために乗車した東海道線試運転列車事故で負傷し、それが原因で5月17日に55歳で亡くなった。
 彼の収集した蔵書は現在、静岡県立中央図書館に久能文庫として所蔵されている。彼の子どもには浜松高等工業学校初代校長の関口壮吉、国語学者で『広辞苑』を編さんした新村出、気象学者の関口鯉吉らがいる。

<参考文献 記号は静岡県立中央図書館請求番号>

静岡県『輝く静岡の先人』<S280/234>
静岡県立中央図書館編『関口隆吉旧蔵明治初期名士書簡集』<S289/セ1-3>
静岡県立中央図書館編『関口隆吉関係書簡集』<S289/セ1-18>

「従三位関口君之碑」(静岡浅間神社境内)
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