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3 西郷・山岡会見記念碑~慶喜助命、江戸無血開城へ~

 1868(慶応4)年1月、鳥羽・伏見の戦いで勝利した新政府軍は、徳川慶喜を朝敵として追討するために、有栖川宮熾仁親王を大総督、西郷隆盛を参謀とする東征軍(官軍)を江戸に向けて進発させた。
 当時、慶喜護衛のために結成された精鋭隊の頭だった旧幕臣山岡鉄舟(鉄太郎)は、慶喜から恭順の意思を新政府に伝えるよう依頼され、勝海舟の支持を受け、勝の手紙を携えて益満休之助とともに駿府にいる西郷隆盛のもとに急いだ。1868年3月9日、山岡は駿府に到着し、上伝馬町の松崎屋源兵衛宅に滞在していた西郷との会談に至った。ここで、西郷は慶喜助命のために7つの条件を示したという。この会談は有名な3月13,14日の西郷・勝会談につながるものであり、慶喜助命、江戸城無血開城の素地をつくったといえよう。 
 山岡は1868(明治元)年冬に駿府に移住、1869年に静岡藩権大参事となり、1872年からは天皇の側近として仕えた。静岡に無禄移住した旧幕臣たちの支援にあたっていたことが関口隆吉への書簡からもうかがえる。

<参考文献 記号は静岡県立中央図書館請求番号>

原口清「静岡県の成立」(『静岡県史研究』第13号)<SZ20>
宮地正人「明治九年静岡県成立の特徴」(『静岡県史研究』第13号)<SZ20>
前林孝一良『徳川慶喜 静岡の30年』(静岡新聞社)<S289/ト13-9>
静岡県日本史教育研究会編『静岡県の歴史散歩』(山川出版社)<S290/90>
静岡県『輝く静岡の先人』<S280/234>
静岡県立中央図書館編『関口隆吉旧蔵明治初期名士書簡集』<S289/セ1-3>
静岡県立中央図書館編『関口隆吉関係書簡集』<S289/セ1-18>

西郷・山岡会見記念碑
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