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名著・貴重書/明治初期の啓蒙書
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(5)[明治初期の啓蒙書]1

中村正直(なかむら まさなお)1
 中村正直(1832-1891)は明治初期の優れた教育者、啓蒙的学者である。号は敬宇(けいう)。彼は幕府の派遣した留学生の取締役としてロンドンへ同行し、その市民社会の実情にふれた。明治元年(1868年)、幕府瓦解の報を受けて帰国し、同年家族とともに駿府に移り、静岡学問所の一等教授となった。彼は学問所教授の職務のかたわら、スマイルズの『自助論』とミルの『自由論』を翻訳し、前者を『西国立志編』(さいごくりっしへん)、後者を『自由之理』と題して静岡から出版した。
 当館は、摺り、装丁が異なる3種類の刊本を所蔵するが、いずれも欠本がある(本来は全11冊)。

159-107 2冊本、9冊本、 159-21 9冊本
英国斯邁爾斯著(イギリス・スマイルズ著)中村正直訳
『西国立志編』(原名『自助論』)
官許 明治庚午初冬新刻 明治3年(1870年)
駿河国静岡藩 木平謙一郎蔵版

タイトルページ
 
奥付のページ
タイトルページ
奥付のページ

 イギリス留学中の友人フリーランドから、餞別としてスマイルズの『自助論』(Samuel Smiles“Self-Help ”)を贈られた中村は、帰国の船の中でこれを熟読し、スマイルズの「自助」の精神に深く打たれた。そして帰国後、静岡学問所の教授として多くの青年たちと接するうちに翻訳を思い立った。
 『西国立志編』では、「人は志しを立てて努力するならばきっと成功する」ということが繰り返し説かれている。当時の多くの青年は「余を作りし者は此の書なり」と叫んだという。階級制度の壁が打破され、だれもが能力があって努力すれば出世できるという時代であった。売上部数は、明治時代を通じて100万部以上にのぼったといわれる。
 『西国立志編』は日本の近代化のバックボーンとなり、日本の国民的教科書としての役割を担い、多くの小学校で修身の教科書として用いられた。

<参考文献>
    K347-525 石井民司「自助的人物典型 中村正直伝」(東京成功雑誌社、1907)
    281.08-101 高橋昌郎「中村敬宇」(吉川弘文館、1966)
    大久保利謙「中村敬宇の初期洋学思想と『西国立志編』の訳述及び刊行について」(「史苑」26-2,3巻、1966)
    S372-22飯田宏「静岡県英学史」(国宝社、1967)
    松本泉「静岡学問所・沼津兵学校ゆかりの人々と明治期の教科書」(SZ01-3『葵』<静岡県立中央図書館報>』第30号 1996.3)
    石田徳行「『西国立志編』と静岡〜出版事情をめぐる一試論」(「駿府・静岡の芸能文化」第4巻、静岡大学、2006.3)

 
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