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名著・貴重書/幕末のオランダ留学生による翻訳書
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(4)[幕末のオランダ留学生による翻訳書] 1

 文久2年(1862年)、幕府の派遣した15人の留学生の中に西周(にし あまね)(1829-97)と津田真道(つだ まみち)(1829-1903)がいた。二人はオランダのライデン大学のフィッセリング(Simon Vissering)(1818-1888)教授の門に入り、政治や法律の大要を週2回私邸に通って口授してもらい、それを石墨を使ってオランダ語で筆記した。帰国後、二人はその口述記録を翻訳した。

KO84-13
(オランダ・フィッセリング氏)[口述]、西周助訳
『万国公法』
竹苞楼瑞巌堂 慶応戊辰夏発行 (慶応4年)(1868年) 4巻4冊

タイトルページ
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 西周(周助)は将軍徳川慶喜の命で京都に滞在している時に、フィッセリング口述『万国公法』の訳稿の推敲をしていた。しかし、まもなく幕府は崩壊し、彼は鳥羽・伏見の戦いの敗走の混乱の中で、『万国公法』の訳稿を紛失してしまった。だから、彼の『万国公法』の刊行は不可能のはずだった。ところがその『万国公法』が、江戸で刊行されていた。
 刊行された『万国公法』は、西の門人の持っていた彼の未推敲の訳稿の転写本を、誰かが勝手に刊行したのであろう。著作権法のなかった明治初期には、このようなことがよくあったらしい。
 西はフィッセリングに宛てた書簡でこの事情を説明し、この版は誤りが多いと不満の意を表し、いつか自分の手で出版したいと述べている。たしかに訳文は生硬である。(1)
 この本は、小型ながら、当時の国際法の教科書が通例説いている諸問題を網羅して、これに簡単ではあるが正確な説明を加え、議論はおおむね穏健であるといわれる(2)。これは、フィッセリングが、日本の留学生にかたよった学説を注入しないように講義したためであろう。(3)
 西周や津田真道の著作からうかがえる当事の日本人の向上心の強さや研究態度の真剣さには、驚くべきものがある(4)。

<参考文献>
    (1) (121.9-121)大久保利謙編『西周全集』第2巻 西周記念会 1966年 p.683-694.
    (2) 田岡良一「西周助『万国公法』」(『国際法外交雑誌』71巻1号 1972年)p.25.
    (3) 前掲「西周助『万国公法』」p.11. 
    (4) 前掲「西周助『万国公法』」p.50.

 
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