江戸後期・明治初期の歴史/寛政期(1789年〜1801年)
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2[寛政期(1789年〜1804年)]1

 1787年(天明7)松平定信(まつだいらさだのぶ)が老中首座に任命され、寛政改革が行われた。この年、フランス人ラペルーズがヨーロッパ人としては初めて宗谷海峡を横断し、蝦夷地、カラフトをヨーロッパに紹介した。政権が交代すると、幕府から諸国へ巡見使が派遣されるが、1788年(天明8)奥州巡見使に随行した地理学者古川古松軒(ふるかわこしょうけん)は松前まで行ったが、「東遊雑記」を書いて、林子平の「三国通覧図説」(さんごくつうらんずせつ)をきびしく批判した。

 老中松平定信は海防問題に強い関心を抱き、世界情勢の認識に努めた。1790年(寛政2)長崎通詞本木良永は「阿蘭陀(オランダ)全世界地図書訳」を、定信に献上した。数年前、オランダから輸入したコバアン・モルチ−ル共編「世界新地図帳」の総論(世界全図)を訳し、世界情勢を説いたものだった。その一方では、定信は人心を動揺させるとして、林子平「海国兵談」を発禁処分にした。


 
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