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290-3-130
「露字ニテ地名記入ノ北半球図、同日本図」(付北半球図、蝦夷地図)
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寛政4年(1792)、ロシアの使節ラックスマンは根室に来航し、漂流民の大黒屋光太夫を送還して通商を要求した。その時、光太夫が持ち帰った10枚の地図の中の1枚で、日本国内の地名が、黒色のロシア文字と朱色の日本文字で示され、地図欄外には「隠岐ハ銀鉱アル所ナリ」など、一部の日本語訳が見られる。
1786年のロシア製であることから、光太夫のロシア滞在中に作られたものである。ヤソ会士の原図によって17世紀中頃デュランが作成し、1679年タヴェルニェが復刻したもので、福井市浄得寺所蔵の日本図屏風、ジンナーロの「東洋におけるザヴィエル」所載日本図(1641)、カルデュムの日本図(1646年ローマ刊)、サムソンの日本図(1660年刊)との類似が認められる。
なお、国立公文書館所蔵図の資料名は「皇朝輿地全図」である。
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<参考文献>
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290.9-150「北槎聞略」(ほくさぶんりゃく) 杉本つとむ 早稲田大学出版会 1993年
日本地図全体
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日本地図全体
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