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葵文庫概要/解説(参考資料)
葵文庫

 

[開成所](かいせいじょ)

 文久3年(1863)8月、洋書調所を開成所と改称する。この名称は、「易経」繋辞上伝の「開物成務」(あらゆる事物を開発し、あらゆる事業を成就する)に基づくといわれるが、そこには洋書の翻訳研究だけに止まらず、西欧の新しい技術、とりわけ洋式軍事技術の導入を視野に入れた幕府の姿勢が伺える。

 その結果、英学・仏学をはじめ数学・地理学・窮理学・兵学などの研究教育が盛んになり、慶応3年末には昌平坂学問所をはるかにしのぐ教官を擁し、幕府の教育機関の中でも最も重要な位置を占めるものの一つとなった。 しかしその一方では、次第に軍事的色彩を強めて陸軍所への従属度を深め、慶応3年11月には外国奉行の所管に移され、やがてその使命を終える。

<参考文献>

210.3-4 「国史大辞典」(吉川弘文館)
新村出「蘭書翻訳局の創設」(Z20-6 「史林」1-3 1916年)
沼田次郎「蕃書調所について」(Z20-2 「歴史地理」71-5 1938年)
原平三「蕃書調所の創設」(Z20-3 「歴史学研究」103 昭和1942年)
(「蕃書調所」の項に同じ。)

 
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